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震災遺構 浪江町立請戸小学校

住所 福島県双葉郡浪江町請戸持平56−56
電話 +81 240-23-7041
時間
月曜09:30-16:30
水曜日09:30-16:30
木曜日09:30-16:30
金曜日09:30-16:30
土曜日09:30-16:30
日曜日09:30-16:30
サイト namie-ukedo.com
カテゴリー 学校
評価 4.2 14 件の口コミ
Ruins of Ukedo Elementary School, Namie Town, from 3.11 Earthquake
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震災遺構 浪江町立請戸小学校 件の口コミ

14
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
kamoshika
08 二月 2024 12:59

被災当時の様子、故郷を追われた人たちの気持ちがよく分かった。伝承館とともに日本人なら1度は来るべき場所。
当時のまま保存されているので、津波の恐ろしさがよく分かる。
ここの小学校はちゃんと避難して誰も亡くならなかったらしいので良かった。

鈴木凜愛
25 十月 2022 20:01

私は、まだあまり津波のことが知らなかったけど、請戸少学校に行ってみて津波とか、地震ってこんなにこわいんだなっておもいました。それと、私が、生きている間に絶対来る、南海トラフが怖いと思いました。東日本大震災がおきた時に、1年生は、帰っていたけどほかの所は、帰っていなくて、その、95人が、奇跡的に、逃げれたとゆう事がすごいなと思いました。
請戸少学校の、校長先生は、焦らず、冷静に、判断して、生徒に、どこに逃げるのかとかをしっかり教えて、校長先生だけ残って、自分の子供のことを、心配して学校に駆け付けてくる、ご家族の方に対応して、請戸少学校に、誰もいないことを確認してから、車で避難したという事が、すごく、冷静な、対応だと思いました。
私は、見に行った請戸少学校が、1番心に残っています。

ひろ
31 一月 2022 4:14

‘21 12月に双葉町のイベント参加前に、震災遺構として保存される事となった請戸小学校に伺いました。津波に襲われ、福島第1原発の爆発事故による放射線汚染による立ち入り禁止により、10年経過した今はかなり風化が進んでました。冬に訪れたせいもあるのか荒廃感はより増してました。1階の海に近い3年生の教室からの見学になります。津波は2階の床の高さまで押し寄せたらしく、1階と2階では天国と地獄の差です。仕切りの壁は押し流され、放送や管理等の機器は、西側の校舎の奥の給食調理室に積み上がって、津波のエネルギーに圧倒されます。見学順路に沿って、地震発生から大津波到達、児童たちの避難の様子が時系列でプラカードに子供達が書いたと思われる絵と共にその時の様子を疑似体験出来るのですが、その時の先生達の判断と、避難が間に合わない状況になった時の奇跡を知る事が出来、今、見学して良かった遺構です。これから施設の風化がさらに進むと思うので維持するのは大変かと思いますが、3Dデータでアーカイブ化するとか、今後も伝えていくべき施設だと思います。

Kojiro
10 一月 2022 16:36

強風吹き荒れる中、オープン時間を間違えて30分早い9時に到着。あまりに風が強かったこともあり、待合室で待たせていただいた。被災した状態が、ほぼそのまま残っており、津波の威力の強さがよく分かった。周囲は多くの工事車両が行き交い、あちこちで工事が進んでいた。震災以前の写真と比べると、集落が完全に消滅していた。幸いにして児童、教職員は全員無事だったとのこと。ここは、震災遺構として保存されているが、10年も経過すると、遺構そのものの保存も課題になってくる。何もしないと、どんどん劣化が進んでいくため、写真や映像、3D点群データなど、いろいろな方法で保存することも必要になってくる。記憶を残すための施設だが、未来を考えるきっかけにもなってほしいと感じた。

Vert
03 一月 2022 1:45

東日本大震災で被災した校舎を震災遺構としたもの。岩手県や宮城県の三陸海岸沿いでは、各自治体が保存するとしたものや、個人で自身の所有している建物を残したものなどがいくつかあるが、福島県ではここだけになる。
津波により校舎の1階部分が被災し2階部分まで到達しなかったが、幸い生徒は避難して無事だったそうだ。備考までに請戸地区はその後、津波の災害危険地域に指定され住宅が建てられななくなった為、校舎の周辺は何もなく殺風景であるが同じ被害を繰り返さない為には、致し方無いといったところだろう。
尚、全くの余談だがここへ来たら、道の駅なみえでヤキソバでも食べて小休止しその後、双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館にも立ち寄って災害について自身も少し考えてみるのもよいのではないだろうか。

suzu
02 一月 2022 13:13

2021年10月から開館された震災遺構 浪江町立請戸小学校です。2011年3月11日の東日本大震災による災害の脅威や教訓、その時に学校にいた先生や生徒たちの避難の状況など生々しく知ることができます。請戸小学校は海から300mと近く津波は2階まで達していた事から避難が的確にできていなかればつなみの犠牲になっていたかもしれません。周りの住宅などは津波で全て流されてしまったことが展示してある写真でもわかりました。日頃から避難先を大平山として意識高く行動していたからこそ生徒全員が無事に避難できたのだと思います。日頃の準備や訓練の大切さ、とにかく津波の凄さを知る、感じることができます。
入場料大人300円、高校生200円、小中学生100円です。駐車場は広く、障がい者用の駐車場やトイレも整備されています。スロープもあるので車椅子の方も見学できると思います。周りが工事中でナビ案内だと迷うかもしれません、海がわの道まで行って建物に向かった方が良いと思います。

藤掛一敬
18 十二月 2021 7:59

2011/03/11 (金) 14: 46東日本大震災の津波で被災し、震災遺構として整備された福島県双葉郡浪江町の請戸小学校で10/24 (日) に一般公開が始まりました。壁が崩れた教室や壊れた時計など県内初の震災遺構となりました。太平洋沿岸から約300m内陸にある請戸小学校は、津波で2階付近まで浸水しました。児童達は避難して無事でしたが、浪江町請戸地区の154人が犠牲になりました。東京電力福島第一原発事故の避難指示は2017/03に解除されましたが、津波対策で、地区の大半は住宅を建てられない災害危険区域になっていました。JR常磐線の浪江駅の東口から請戸地区まで徒歩で40分以上かかります。駅から約4kmと離れていますので、交通事故に気を付けて下さい。

早織
10 十一月 2021 8:03

てっきり一般公開されていると思ったらまだ中には入れませんでした
9月いっぱい工事で、10/24から公開のようです
学校をぐるりと徘徊しましたが、時計が見えるほうの道路なんかは車一台がやっと通れて、雑草も2m以上のびてて、道路もガタボコでまだまだ整備が進んでおらず
これから急ピッチで直すのかな?
学校の周りは家も公園も何もなくて道路があるだけで不思議な感覚でした
校舎の横の建物はよくみたら中に流されたものが入ったままでした

ますやん
09 七月 2021 20:16

見学者向けの説明パネルがありましたが、GW中だったせいか中には入れませんでした。
周囲は荒涼としており人もいない寂しい場所です。
時計の針が津波到達時刻で止まったままになっています。

橘浩司
25 六月 2021 5:59

震災から10年経ちましたが、隣の福島原発は始まったばかりです。被曝のリスクを抱えながら現場で作業している皆さんの過酷さは想像を絶します。同様に津波の被害もたいへんなものです。記憶が薄れないように遺構を通じて常に備えることが大切だと思いました。

Pandora
23 六月 2021 9:37

The place is closed, but photos are not prohibited, you can take it from the grids protection. There's nothing around the remains.

のらねこかず
02 六月 2021 7:40

津波で被災した小学校の遺構です。
一昨年まで帰宅困難地域だった為、あまり手が加わらずに残っています。
保存が決まったそうで、周囲に柵が設けられ、説明板や歩行デッキ、駐車場などを設置し公開に向けて準備中の様です。
9年前、被災地を訪問した際は、ここまで訪ねられませんでした。
住民の方々すら最近まで来られなかったのです。
遺構は保存すべきか否か、どこでも悩んでいると聞きます。
可能ならば残して保存し、災害を受けた実物を目の当たりにした方が、より人の印象を深くすると思うのです。
なお、すぐ近くは何かの処理施設があり、まだ道も傷んでいます。訪問の際は十分気をつけて下さい。

岡ちゃん
18 五月 2021 1:41

ここ浪江町立請戸小学校は鉄筋コンクリートの2階建てで、漁港のある請戸地区にあります。海から約300メートル離れていますが、震災発生時高さ約15mの津波が直撃し、当時下校していた1年生11人を除く残っていた82人の児童は教職員14人に誘導され、約2km離れた大平山の高台へ避難し全員無事でした。その後、原発事故により町全域に避難指示が出され、休校となり、建物は震災当時のままの姿を残しています。学校を見下ろす大時計の針は、津波が到達した15時38分で止まったままです。

Shintaro
01 七月 2018 18:34

避難解除がされた2017年にあっても当時のまま取り残された小学校跡。津波の被害により、建物の電源が奪われてしまい15: 38で時計が止まっていることが印象的。
この建物の前に立つと、1Fはすべて津波でさらわれているため、窓ガラスが粉々になり、設置物が破壊されているのに対して2Fは窓ガラスも無傷であることがはっきりと残っています。
果たしてこの小学校跡を震災の記録として保存すべきか、過去を思い起こす、またはこの地の復興のためには全部を更地にすべきか議論があったとのことででしたが、結論を出すことはじき早々ということで、10年間先送りした経緯があるようです。思考停止の典型的な結論だと思いましたが、地域的にも時期的にも関係者と議論できる状態ではなかったのではないかと想像します。
実際に現地に立ってみると、この小学校をあえて残す必要はなく、きちんとこの土地を有効活用して人材と仕事を呼び込むために整備したほうが良いのではないかと感じさせられました。1つ1つ残していては遺跡ばかりになってしまいます。

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