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白水龍神

住所 板取 関市 岐阜県 501-2901
カテゴリー 神社
評価 5 3 件の口コミ
Hakusui Shrine
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白水龍神 件の口コミ

3
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Yama
23 二月 2022 5:36

私の秘境。

心身が疲れるとマイナスイオンを浴びて、パワーをもらいに行く場所です。

山の奥深くに、不動明王様、滝がありとても素敵な空間です。

駐車場はないし、プチ登山になるので注意ですけど

おとらさん
04 四月 2021 18:30

深山で修行をする山伏の気分
を少しだけ味わえます。

滝にたどり着くまでの、
この険しい山道を上ることで、
目の前にそびえ立つ、貴高き高賀山に
対峙し、己の向かいにあるものは、
おおきなこの山ではなく、小さな自分
であることに、気付かされます。

奈良時代以前より
ひときわ高くそびえる高賀山を
神と崇めて信仰の対象とし
時に厳し修行の場としたことで
高賀山信仰は、生まれました。

それは、千三百年以上の歴史を
積み重ねて、現在に至ります。
対峙する行為は、今も昔も、
多くの人々のこころを
癒し続けています。

日本の古神道においても、
水源・狩猟の場・鉱山・森林
などから得られる恵み、雄大な容姿や
火山などに対する畏怖・畏敬の念から
山や森を抱く山は、神奈備(かんなび)
という神が鎮座する山とされ、
神や御霊が宿る、あるいは降臨する(神降ろし)場所
と信じられてきました。

時として磐座(いわくら)・磐境(いわさか)
という常世(とこよ・神の国や神域)
と現世(うつしよ)の端境として、
祭祀が行われてきました。

また、死者の魂(祖霊)が山に帰る
「山上他界」
という考えもあります。
(この他は海上他界、地中他界など)
これらの伝統は神社神道にも残り、
石鎚山や諏訪大社、三輪山のように、
山そのものを信仰している事例もあります。

農村部では水源であることと関連して、
春になると山の神が里に降りて田の神となり、
秋の収穫を終えると山に帰るという信仰もあります。

また仏教でも、世界の中心には須弥山(しゅみせん)
という高い山がそびえていると考えられ、
空海が高野山を、最澄が比叡山を開くなど、
山への畏敬の念は、より一層深まっていきました。
平地にあっても仏教寺院が「山寺」と、
山号を付けるのはそのような理由からです。

チベット仏教でも聖なる山は信仰の対象ですが、
信仰は山自体に捧げられ、その山に登るのは
禁忌とされる場合が多数です。

一方で日本では、山頂に達することが
重要視されるのは着目されるところです。
日本人の場合、山自体を信仰する気持ち
に加え、そこから早朝に拝むことができる
ご来光を、太陽信仰・来世信仰と重ねました。

さらには、山頂のさらにその先(彼方)に
あるもの(あの世)を信仰している
ことが原因とされます。
日本ではアニミズムとしての太陽信仰と
山岳信仰が結びついているのです。

その後、密教、道教の流れをくんだ修験者や
山伏たちが、俗世との関わりを絶ち、
悟りを開くために山深くに入り修行を行うように
なりました。
これは、後に修験道や呪術的宗教などを
生み出す土台となります。

【修験道の誕生】

日本において、山岳信仰が、日本古来の古神道や、
伝来してきた仏教(特に天台宗や真言宗などの密教)
への信仰と結びついて、「修験道」とされる独自の
宗教が生み出されました。

修験道は、修行により吸収した山の霊力を人々に
授けるというもので、役小角が創始したとされます。
現在も、
「本山派」(天台宗)あるいは
「当山派」(真言宗)の修行僧
(山伏、あるいは修験者などと呼ばれる)が、
伝統的な修験道の修行を行っています。

それらの信仰の形には、次の1.2.3のような
代表例があります。

1. 死者の霊が集うとされる山への信仰
日本には、恐山や月山、立山、熊野三山など、
死者の霊が死後にそこへ行くとされている
山が各地に存在しており、それらの山々が信仰の
対象となることがあります。

2. 神霊がいるとされる山への信仰
宇佐神宮の奥宮である御許山や、
大神神社の御神体とされる三輪山や、
役小角が開いたとされる大峰山など、
山としては規模が小さいが、あるとき、
その山に神霊がいるとされて、
以後信仰の対象となることがあります。

3. 水源である山への信仰
白山など、周辺地域を潤す
水源となりうる山を信仰するものです。
水の流れは、龍へと変化し、龍神信仰へと
発展していきます。
そして、龍は、自然界の象徴として
祀られる存在となります。

なお、民衆の間でも信仰の顕れとして登山を行う
習慣がありました。
現在でも、霊場といわれる山岳をはじめとして、
山には多くの人々が登っています。

おそらく、この白水龍神は、上記 3のタイプに
当たる信仰形態に分類されます。

瀧に至る”修験道”で、多くの
龍の形ににた木々や、
龍のうろこのような表面の岩肌
などを目にします。

その霊力で、瀧に向かう人たちに
宿る邪念は、削ぎ落とされていきます。
登るたび、汗を流す都度、邪念は、蒸発し
瀧にたどり着くという一念だけが、
見事に蒸留されていきます。

この瀧の水は、飲料もできるとの、
表示がありました。
たどり着くまでで乾ききった、体内を
澄みきった、霊水で満たしてみてください。

霊水により、邪念の入る余地がなく、
あなたの体内は、既に最強の状態となります。
澄みきった思いだけが、あなたの芯に宿っています。

謂れはわかりませんが、
この瀧では、以前より積み石がされている
光景をよく目にします。
この険しい”修験道”を経て達したこの場所は、
まさにご利益そのものです。
気持ち的には、いつまでもここに佇んでいたいと
いう思いは、大いに共感できます。
そういった、思いを石にこめ、
自分を、投影する存在として、
その場に、残していきます。

このご利益が、いつまでも
受けられますように、私も積み石をして
帰路に向かいました。

south
04 十月 2020 18:05

山の中にひっそりと佇む 力強く美しい滝。

滝までの道のりは少々険しく滑りやすい場所もあるので、動きやすい服装、靴で行かれるのをお勧めいたします。

橋の手前に車を停められるスペースが4台ほどありました。

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