徳川家康最後陣跡
住所 | 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原959-2 |
電話 | +81 584-43-1112 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.town.sekigahara.gifu.jp/secure/4454/Epson_0214.pdf |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 4.3 7 件の口コミ |
Site of Tokugawa Ieyasu's Final Encampment | |
最寄りの枝 |
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徳川家康最後陣跡 件の口コミ
7 2022.10.25
ここから三成の本陣までは1kmほどだ。この間で数万の人間が戦っていたのだろう。
松尾山までは3kmほどありそうだがよく見える。この前線まで進出してきた家康を山の上から見ていた小早川はびびっただろうな。その上で撃ちかけられたら動くしかない。
島津の陣営までは1kmもない。騎馬で塊となって突っ込んでこられたのだから、あっという間の出来事だろう。捨て身で首をとるつもりなら、やれた可能性もあるんじゃないかな。
ここから石田陣地まで歩いて実感しました。ここまで家康 (総大将) に出張ってこられたら東軍も必死になるわと。石田陣の目と鼻の先です。と同時に島津陣の目と鼻の先でもありますので、そりゃ突撃されたら冷や汗も出るでしょう。
現地に行って実感できることは多いです。
徳川家康、2㎞東の「桃配山」から、この地に本陣前進させ着陣、「桃配山」から自転車で到着️
徳川家康が本陣を思い切って突出させた事凄く分かりました、一世一代、勝利への決断か
右手前方に「石田三成」本陣の笹尾山、左手には「小早川秀秋」陣地の松尾山、周囲の徳川方/東軍猛者武将達も驚いたでしょうね、直ぐ近くにまさかの徳川家康着陣
焦るし奮起するし遣る気必死、松尾山からも徳川家康の前進が小早川秀秋にも見えたでしょうね、そして家康勝利の天下分け目の裏切りへ
首実検の場でもあり、家康安堵の場、色々詰まった場所
「関ヶ原古戦場記念館」の裏手西側、広い陣場野公園の一角に存在、特に駐車場などなく記念館の駐車場を利用して訪問するのが良いです、田中吉政陣跡も一緒に
記念館のすぐ北側歩いて行けますのでここは足を運んで感じて下さい。
当初布軍していた桃配山から業を煮やした家康軍が石田陣営に詰め寄った場所です。
大勝した後、論功行賞の判断材料にするために敵将の首実研を行ったとされています。
記念館で勉強したら、ここを拠点にして古戦場を自分の足で巡ってみることをお勧めします。