本光寺
本光寺 件の口コミ
7 The place feels solemn and mysterious.
This temple is well known as one of three temples (santera) and believed to gives you blessings of love.
The Santera Mairi Festival (three temples pilgrimage), annually held on 15th January, features hundreds of snow candles and lanterns that light up the town for the event. Today, the event is more like a temple visit to pray and wish for a good relationship. Many young people from across the country still flock to the festival in the hope of falling in love with someone or at least seeking a little help with their love lives.
浄土真宗本願寺派で山号は白豹山。天文年間に教了が開山した。元々は大谷派だったが、江戸時代中期の宝永3 (1706) 年に転派したそうだ。
毎年1月15日に行われる報恩講は「三寺まいり」として知られ、真宗寺・円光寺とともに多くの参拝者が訪れる。
明治37 (1904) 年の古川大火で本堂が焼失。大正2 (1913) 年になってようやく再建された。現在の本堂は木造建築では飛騨地域で最も大きいと言われています。本堂の写真を正面から撮ろうと思ったが、境内が狭いため (荒城川に面しているため) 斜めから撮るのが精いっぱいだった。
境内には山本茂美が著した小説『あゝ野麦峠』の文学碑が建っている (気が付かなかったなぁ) 。
本光寺の本堂は、木造建築では飛騨地域で最も大きく、存在感を誇るお寺です。毎年1月15日に行われる飛騨古川の冬の風物詩「三寺まいり」の時にお参りするお寺の一つです。敷地内には、製糸業の盛んな信州に出稼ぎに行ったという多くの飛騨の若い女性たちの姿を描いた小説『あゝ野麦峠』を記念した文学碑も建てられています。
「三寺まいり」は飛騨古川に、200年以上も前から続く独特の伝統風習で親鸞聖人のご恩を偲び、町内の円光寺・真宗寺・「本光寺」を詣でるならわしです。
その昔、野麦峠を越えて信州へ糸引きの出稼ぎに行った年頃の娘たちが着飾って瀬戸川の川べりを歩いて巡拝し、男女の出逢いが生まれたことから「嫁を見立ての三寺まいり…」と飛騨古川の小唄にも唄われ、「縁結びが叶うおまいり」として知られるようになりました。
恋の御利益があると言われています。
たまたま観光で訪れた日に狐火祭に当たりまして、沢山のキツネ化粧をした女の子や男の子が居ました。キツネの嫁入りを模したお祭りなのか、偶然にもお嫁さんもお見掛けしまして、大変美しかったです。