義円公園
住所 | 39-1 Sunomatacho Shimojuku, Ogaki, Gifu 503-0104 |
時間 | 00:00-24:00 |
カテゴリー | 公園 |
評価 | 4 7 件の口コミ |
Gien Park | |
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義円公園 件の口コミ
7 公園と付いていますが、遊具がある公園ではなく、歴史を感じさせる小さなスポットという感じです。
住宅街の中にある「義円公園」。
駐車場はないため、墨俣さくら会館に車を駐車して散策していきました。
義円とは、源義円のことです。
そしてこの公園は、源義円が墨俣川の戦いで活躍し、亡くなってしまった義円を供養するために整備されました。
到着すると、義円公園と書かれた大きな石碑が出迎えてくれます。
現在放送中の「鎌倉殿の13人」と書かれたのぼりも飾られていました!!
鎌倉殿の13人の第11話「許されざる嘘」で描かれていた墨俣川の戦いでは、源頼朝の義母兄弟である源義円が討死するところも放送されています。
鎌倉殿の13人では、岐阜が舞台になっている場面などもあり、一目見てみたいと感じますよね
活躍された義円を供養するための、「義円地蔵」
「供養塔」「墨俣川古戦場石碑」もありました。
休憩するための、テーブルと椅子もありました。
住宅街の中にあるということもあり、静かな場所でした。
大きな戦いで活躍された源義円に関わる大切な場所ということが学べますね!!
源義円とは、父:源義朝、母:常盤御前であり、幼名が乙若丸。
同母弟に源義経(幼名:牛若丸)がいます。源頼朝の異母弟でもあります。
平治の乱で父・義朝が討ち取られた時、乙若は5〜6歳でした。
母と離れ、仏門に入ることを条件に命を助けられ、園城寺に入り、僧侶となります。
その後、墨俣川の戦いで叔父である源行家が挙兵した際、駆けつけたと云われています。
夜間に1人で敵陣に仕掛けようとするが、失敗してしまい、27歳の時に平家の家人に打ち取られたそうです。
小さなころから苦労をして生き抜いてきた人ということが分かりますね。
岐阜県大垣市墨俣川が舞台となる墨俣川の戦いで活躍された人のゆかりの地。
近くに、源義円の墓もあるそうです。(今回は行くことはできませんでした。)是非1度訪れてみてください。
駐車場:なし
トイレ:なし
バリアフリー:なし
真田戦記
源平墨俣川古戦場跡
源平墨俣川古戦場跡は墨俣一夜城から2キロほどで墨俣川は現在では長良川です。後年、斎藤道三と義龍の長良川の戦いも行われており、同じ川なのに名称は変わってます。平氏は前年に富士川の戦いで源頼朝軍に大敗しています。治承5年(1181年)に平重衡が兵、約30000で出陣、これに対し源行家・源義円も墨俣川東岸に布陣し待ちかまえます。合戦は源氏軍の大敗北で、湿地帯を背後にして戦った源氏軍は退却に手間取り被害を大きくしました。
公園は小さな佇まいですが綺麗に管理されていました。義円は常盤御前の生んだ三兄弟 (今若、乙若、牛若) の真ん中ですが弟のような華々しい活躍もなく、兄のように鎌倉幕府の誕生を見ることもなく、源平合戦の最中にこの地で早々と討死となりました。戦さ下手で知られる源行家の援軍に向かったのが不運だつたのかもしれません。それにしても兄の全成と弟の義経は権力闘争の中で誅殺され、義円自身は討死ですから常磐を母に持つ三兄弟の末路は本当に気の毒です。
源平合戦に於いて源氏が大敗した墨俣川の戦いの石碑やその際戦死した源頼朝の異母弟で義経の同母兄、幼名乙若丸、源義円の供養塔と地蔵がある。こじんまりとしているが綺麗に整備されてて好感持てる。
少し歩いたところプロペラがうるさい畑の中にお墓があるので忘れずに。
源義円(頼朝の異母弟・義経の同母兄)を祀った公園。1181年頼朝の命によって墨俣川(長良川)にて平重衡と戦い討死しました。この公園から北西20mくらいの場所に義円の墓があります。