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松尾山城跡

住所 岐阜県不破郡関ケ原町山中
時間 00:00-24:00
カテゴリー
評価 4.2 17 件の口コミ
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松尾山城跡 件の口コミ

17
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
古川昌代
02 六月 2023 8:05

関ヶ原の戦いで勝敗の鍵を大きく握った武将
小早川秀秋 (一万五千の大軍) の陣があった城跡。
立派な遊歩道が整備されていて、293mの山頂からは関ヶ原の古戦場が一望できます。

中島正尚
28 五月 2023 20:37

小早川秀秋が布陣した、関ヶ原の松尾山を散策登山してきました。
松尾山城は、大永年間 (1521~1528) に近江の浅井氏の家臣の堀氏が居城した後、元亀元年 (1570) に浅井長政が江濃国境の境目の城 (長亭軒之城) として、樋口直房を入れ置いたことが「編照山文庫所蔵文庫」に記されています。
標高293mの松尾山には、西尾張最大級の山城として、曲輪、堀切、土塁など多くの遺構がほぼ完存しているそうです。
石田三成は合戦前の8月頃、大垣城主伊藤盛正に命じ城を改修し、西軍の総大将、毛利輝元を招き入れようとしました。しかし、輝元は出陣せず、合戦前日に小早川隊が布陣しました。
関ヶ原古戦場を一望できる主郭を含め、七つの曲輪が存在し、その規模は、東西400m、南北250mにもわたります。
登山口から、約1時間位山道を登ります。鳥のさえずりの中、整備された登山道なので安心して登れます。
自分の足で登った山頂からの眺めは良く、風が吹き抜ける場所での、お茶、おにぎりは、何にも勝る味わいでした。
道中、自生している藤の花なども咲いていて楽しく散策できました。

安藤俊幸
07 四月 2023 8:26

関ヶ原の南にある標高293mの松尾山️
単なる陣城と思い登城も、中々本格的な複数の曲輪を配置した中世の城郭で驚きました

関ヶ原の戦いの際は「小早川秀秋」本陣であったろう松尾山山頂部、思いの外、狭い曲輪で30m四方位でしょうか
本郭に設置された松尾山城の「縄張図」は参考に成りました、本郭から各方面に延びる尾根上に数多くの段々腰曲輪、一時的に即席では造れない規模、今は北東側と南側からの登城路2本の山道、途中に曲輪・土塁・切岸・虎口・土橋・馬出などが見られて楽しい、「縄張図」見てから下る際に再度確認

1570年頃元々は北近江「浅井長政」方の織田信長に対する出城、家臣/樋口三郎兵衛が入るも後に織田信長に寝返り、更に織田家臣/西美濃四人衆の一人「不破光治」入城、不破光治が越前に転封し廃城️
1600年関ヶ原の戦いで再利用、多分、再利用時に新しく普請したんでしょうね、小早川秀秋隊15000が布陣出来るように
思ったのは、関ヶ原から少し離れた奥まった西軍・東軍のどの武将よりも遥かに高い山頂が本陣、兵15000は一斉にどうやって戦場へ駆け降りたのでしょうか、傍観して日和見していた19歳の青年武将『小早川秀秋』

mihoko
08 一月 2023 20:57

自然の中に身を委ねられる登山道。にもかかわらず、道標が立てられた整備されているので安心して進んでいくことができます。華美な合戦演出とかがないので山そのものを楽しむことができます。最高

ここから山頂 の看板からが案外あります。登る下る、登る下るを数回繰り返すと急な階段に出会う。
こちらを登り切れば山頂=小早川陣営=城跡
説明看板があちこちにあるのでお城の形状もわかります。
関ヶ原を一望できる素晴らしい場所です。

下山は松尾登山道とちょうど反対側にもあります。こちらも説明看板があるので下山道だと判断しやすいです。

安心して歩ける松尾山️

三島和彦
01 十二月 2022 22:12

プチ登山したくて行って来ました。駐車場が狭いけど他にクルマ居なかったし、登山中も誰とも出会わずシカが居ました。目安40分位ですが、コンプレッションタイツにハーフパンツとトレッキングシューズに杖の格好で約30分位で登頂しましたけど、最後の登りが厳しいです。
その分、登頂後のお握りが美味しかった。

秋元直生
06 十月 2022 12:21

2022年7月23日に行ってきました。

行き方。
松尾山城跡から東北の方角にP有り
Googleナビで松尾山登山口駐車場でセット
すると行けます。

駐車場
専用駐車場有り。

駐車場から砂利道を道なりに登って行くと案内が有ります。
時間は40分から50分ぐらいかな、アップダウンも有るので登山靴で行くのをお勧めします。

歴史背景
ここからはネット引用です。

松尾山城は「関ケ原の戦い」で東軍に寝返った小早川秀秋が布陣した城として有名です。美濃・近江の両方を一望でき、東山道と伊勢街道・北国街道が通じる典型的な境目の城です。戦国時代には、浅井長政が織田信長との同盟関係を解消したことにともない、長政は樋口直房に美濃国境である松尾山を占拠させ城を修築させました。しかし直房は竹中半兵衛の調略により信長に降り、その後は信長の家臣である不破光治が城を守りました。1579年(天正7年)には浅井家滅亡によって、その役目を終えていったん廃城となっていましたが、「関ケ原の戦い」で石田三成の要請を受けた大垣城主・伊藤盛正が松尾山城を修築しています。現在、城址はよく整備されており、山頂までのぼることができます。土塁や枡形虎口などの遺構も確認することができます。

ばたチャンオリジナル
04 十月 2022 4:40

関ヶ原の古戦場が見渡せます〜!

距離はそれほどないのですが途中の丸太の階段だ結構段差があり、ちょっと「ふぅ〜ふぅ〜」と息が荒くなります。
あと…降りはツルッと滑るところがあるので注意してくださいね。

馬秀のすけ
25 五月 2022 20:29

5年ぶりかな?前回は雪中行軍となったので今回は雪の無いのを確認してリベンジした。
さすがに素晴らしい!
関ケ原では最大の山城です。
登る途中にある山ノ神も曲輪状に思える。
トイレは相変わらず綺麗とは言い難いが使用できます。
トイレが馬だし状の曲輪にあるというのが…

下山は南側を周回しました。
林道、登山道よく整備されてます。
馬《》助ヒヒーン

加藤一郎
20 四月 2022 23:08

まずは、関ヶ原散策の起点となる岐阜関ヶ原古戦場記念館を訪れて小パンフレット「松尾山城 散策マップ」を入手してから城へ向かう事をお勧めします。
名神高速道路・関ヶ原インターの少し東 県道56号線を南下しグーグルマップで広域農道と表記されている道の交差点で左折し数キロ西進すると、小早川家の黄色い軍旗が林立している地点が見えてきます。ここで左折すれば駐車場です。
山城ですから、比高(高低差)約200mを黙々と登ることになりますが、登城口に置いてある杖を持って行った方が、登り下り共に楽だと思います。
山頂に到着したら、眺望と各武将の布陣状況を城址に設置されている写真マップで堪能したら、「松尾山城 散策マップ」の出番です。
主郭の全周には土塁が巡り、南の桝形虎口(出入口)も明瞭に残されています。マップに沿って馬出状の曲輪に進めば削平地(平地)とその先の堀切(山の斜面に直交して切られた堀=左右方向への移動を妨げる)も明確に視認できます。
※ここから先は山城好きには日常の景色ですが、初めて行く人には城址の整備が十分と言い切れないので、その事を念頭に置いてご覧下さい。
馬出状の曲輪の右手に回り込んで主郭を真下から見上げれば、切り立った斜面が虎口以外の侵入を厳重に封止している事が良く解ります。まあ、その為になだらかな斜面を垂直に削っているのですから。
さらに進むとマップにある空堀・曲輪・南西の曲輪です。
曲輪の登り口は真っ直ぐな急斜面、南西の曲輪の登り口は急斜面に沿った踏み分け道なので上に上がるなら十分注意が必要です。両方の曲輪の上部は主郭程きれいに整備されていませんが、削平地(平地)である事と周辺の堀切が確認できます。両方の曲輪を見たら空堀を北に進むとマップには書いてありませんが、現地に案内板がたっている食い違い虎口がハッキリと解かるので、城好きならここは見ておきたい。さらに進むと帯曲輪を抜けて主郭に登る最後の階段の下に至ります。時間に余裕があれば東の曲輪もご堪能あれ。東の曲輪の南にある曲輪はだいぶ降りにくいのでご注意を。

gen
24 十二月 2021 11:34

いつかは松尾山に登ってみたいと思っていましたが、実現しました。北口の登山口駐車場で40分ほどかかるとの表示があり、そうはいっても30分ぐらいで大丈夫と思っていましたが、40分しっかりかかりました。ただそれほど大変ではなく、いい汗をかいて登ることができました。
眺めは関ケ原を一望でき、雄大な伊吹山もきれいでした。関ケ原合戦の折、当時19歳の小早川秀秋は、この風景をみて何を考えていたのでしうょうか。そんな若者で天下を左右する決断は重すぎるのではと同情してしまいました。
本来、ここは城跡で、その名残の土塁跡や枡形虎口跡もありました。ただそんなに広くなく、小早川勢は13000人だったと言われていますが、山上はそれほど広くなく、そんな大軍はどこにいたんだろうと、疑問に思いました。
帰り道、同じ道を戻れば良かったのですが、違う道に挑戦し、迷ってしまいました。山の中をさまようこと小一時間、「遭難」という文字が頭をよぎりました。仕方がないので、沢に降りて小川伝いに山の南側へ降り道路に出ました。そのため松尾山をぐるっと一周することとなり、5km以上歩くこととなりましたが、さすが関ケ原、途中いろんな史跡があり、足が疲れましたが、それはそれで楽しめました。

吉野由宏
03 九月 2021 19:13

自分は山の北側の駐車場から登ったが、南側からのルートもあるようです。40分ほどかかりますが、登山道はよく整備されているので、きつくないです。
山頂から関ケ原盆地がよく見渡せる。本丸の土塁、南側の虎口や土橋がよく残っている。

harry
19 七月 2021 4:14

小早川秀秋の本陣跡はやはり人気です。
駐車場が5台くらいしか停められない
のですが既に満車でした。
登りはかなり辛いです。夏場はきっと
自分は登るのは無理だと思いました。
石田三成本陣跡が見えます。景色は良いですよ。

ケンタチバ
08 六月 2021 18:50

2020年3月ころに登城しました。駐車場に車を止め、片道40~50分程度登ると本丸に到達します。山頂からは関ケ原が一望できる大変眺望の良いスポットとなっています。本丸から奥へ進むと土塁で築かれた枡形虎口(主郭への入り口)やさらに奥へ進むとの大きな空堀やいくつかの曲輪を確認できます。関ヶ原の戦いにおいては、勝敗を決した言っても過言ではないある意味重要な役割を果たしたお城です。

秀久仙石
24 四月 2021 5:04

麓で猿と鉢合わせ
山頂からはなるほど戦場が良く見渡せる
土塁や切り岸や曲輪と良く残ってる (・∀・)
白い小早川の登り旗は麓での散策に役に
立ちます (・∀・)

momo
12 三月 2021 22:50

令和3年2月23日
関ヶ原観光ガイドにも掲載されているモデルコースの行軍コースを逆向きに歩いたのですが井上神社から南の名神高速をくぐるところが工事中で回り道する必要があります。

おだたかし
16 十一月 2020 14:37

関ヶ原の戦いでは小早川秀秋が陣を構えたのがこの松尾山である。陣を構えたのは東軍・西軍の配置が一望できるということもあるが、元々この地には南北朝時代から戦国時代の城である松尾城があり、布陣のさいにその跡を利用したという。現在も土塁、主曲輪、曲輪などの跡が残る。松尾山城址は関ケ原町指定史跡となっている。

岩田潤
08 九月 2020 15:57

山頂主郭とその北側斜面は木、下草も刈られ関ヶ原の眺望、遺構、特に土塁が見易く堪能出来ますが、登山道横の主郭東側直下の郭は草が生い茂り、西側にある大規模な遺構群は鬱蒼とした雑木林となっていて見ることは愚か近づく術もないのが残念です。

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