加納城跡
住所 | 岐阜県岐阜市加納丸之内7 |
時間 | 08:30-17:00 |
サイト | www.city.gifu.lg.jp/1.htm |
カテゴリー | 城, 公園, 観光名所 |
評価 | 3.9 7 件の口コミ |
Kanō Castle | |
最寄りの枝 岐阜城 — Gifu, 金華山, 天守閣18 |
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加納城跡 件の口コミ
7 空いていて止める心配のない無料駐車場があります。
加納城は関ヶ原合戦後、徳川家康が豊臣への備えのために築城を命じられたそうです。
縄張りは徳川家康自身が行い、普請奉行は本多忠勝だったそうです。
近世加納城の初代城主は、家康の娘亀姫の婿である奥平信昌で10万石が与えられたそうです。
そして明治の廃城令により廃城処分されたそうです。
そんなに高くない石垣がずっと続いていて、広い敷地が本丸だそうです。
300メートルぐらい離れたところに二の丸、三の丸跡があり加納小学校にも石垣があります。
また、1キロほど北に亀姫の墓があります。
加納城とは関係ないですが、加納城を一周しようと歩いていたら、掲示板に「信長まつり」「レジェンド&バタフライ」のキムタクのポスターが貼られていました。
徳川家康が縄張りをした、知られざる名城です。
子供の頃は自衛隊が使用していました。その前は米軍、更に前は日本陸軍が使用していました。むかし道路がコンクリーで舗装されていて戦車が走っていた記憶があります。
小学生高学年から中学卒業するまで、岐阜地方気象台にはお世話になりました。
高校生になった時にはradiko短波で、毎晩10時に発表される気象通報を聴きながら、天気図を既製品の用紙に書いて、天候を確認した方がより確実だから、今のコンピュータ化される前迄は、天気図ひとつあれば良かった時代だった。
当時、天体観測するのに翌日発表される天候は
全く役に立たず不満だから、岐阜地方気象台に毎日駆除の電話をした時代だったけど、それが必須で手作りの天体望遠鏡(筒の部分が厚紙)内径10㎝の望遠鏡を持って金華小学校へ越境して空を見上げるのに時間が必要なので、最初の頃は、加納城址に岐阜地方気象台があると思い込み、毎日電話していた。岐阜地方気象台を見に行き. わかったことは、あるにはあったが加納城址の中に間借りする形で存在した。
しかもその中にある器具類は、随分貧相であり地震計ひとつを見ても、こけしを高い順に並べ1番高いのが倒れると震度1、1番低いの加納城址倒れる。震度7というようにしてあるだけで、こんなん電話大丈夫か?聞くと、震度7程度になれば、この気象台に倒れる!と言われた(笑)
だからその後きちんとした震度計を含む地震計が新しく設置された。
昔はかなりいい加減なんだと思ったよ!
まあ確かに地震発生後に発表するから、震度7なんて地震が発生したら、かなり多くの家は、倒壊しただろうけどね!
話変わって、加納城址の桜以外に境川にある桜を標本木にして3つ以上花弁か見えたら、開花宣言すると決められたのでいい加減な発表はできなくなった。
花見客は、そんなのよりも、桜の花の下で飲食することの方が好きだけどね!