鶉田神社
住所 | 岐阜県岐阜市東鶉5丁目63−1 |
サイト | www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 4.3 7 件の口コミ |
Uzurada Shrine | |
最寄りの枝 |
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鶉田神社 件の口コミ
7 子供を見守る龍神様
鶉の地に残る、龍神伝説。
鶉田神社(うずらたじんじゃ)と呼びます。
美濃国厚見郡鶉郷の産土神(うぶすながみ)
子供と健康の神社として信仰されます。
鶉郷という村名は、奈良時代にこの地を開拓
した、舎人親王の孫が名づけた地名です。
この付近は低湿地で、ウズラが多く
生息していたことに由縁します。
また、この社には、左甚五郎作の龍の彫刻
があり、龍伝説が残ります。
左 甚五郎(ひだり じんごろう)は
江戸時代初期に活躍したとされる
伝説的な彫刻職人です。
日光東照宮の眠り猫をはじめ、
甚五郎作といつわれる彫り物は
全国各地に100ヶ所近くありますが、
その製作年間は安土桃山時代~
江戸時代後期まで300年にも及び、
出身地もさまざまです。
左甚五郎とは、一人ではなく各地で腕をふるった
工匠たちの代名詞としても使われていました。
見事な龍の彫刻にまつわる民話がこの社には
のこります。
===尾なし龍の伝説===
左甚五郎作の龍の彫刻には命が宿っており、
夜になると空へ舞い上がっていたという。
村人はそれを恐れていたが、
「おはつ」という足の不自由な娘だけが
龍を恐れることなく、
龍と毎日遊んでいたという。
そんなある日、
年貢を納められなかった母親が
加納城の役所に連れて行かれ、
牢屋に入れられてしまった。
母親に会いたいおはつは、
まだ治っていない足をひきずりながら
加納城へ向かった。
途中の境川で溺れてしまい命を落してしまいます。
これを知った龍は激怒して天に舞い上がり、
口から火を吐いて加納城下を
焼き払ってしまった。
人々はそれを恐れ、彫刻の龍の
尾を切り捨てて、二度と空へ飛べない
ようにしたという。
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という悲しい民話です。
飛べなくなった鳥、鶉と
飛べなくなった、龍神様
親心としては、子供はいつまでも
近くにいてほしいのが本音ですよね。
会社の「氏神さま」です。この神社には「龍の伝説」が残っていて、伝説に出てくる「左甚五郎作の木彫りの龍」が本殿の柱に巻き付いています。
また、この神社の社紋は「織田胡瓜紋」です。信長の先勝祈願がもとで拝領しました。