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鶉田神社

住所 岐阜県岐阜市東鶉5丁目63−1
サイト www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php
カテゴリー 神社
評価 4.3 7 件の口コミ
Uzurada Shrine
最寄りの枝
比奈守神社 — 岐阜県岐阜市茜部本郷2丁目67-1
住吉神社 — 岐阜県岐阜市高砂町4丁目50−2
橿森神社 — 岐阜県岐阜市若宮町1丁目8
葛懸神社 — 岐阜県岐阜市池ノ上町3丁目47
近くの同様の会社
加納天満宮 — 岐阜県岐阜市加納天神町4丁目1

鶉田神社 件の口コミ

7
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
2020
17 十一月 2021 4:00

とてもきれいな神社です!
お参りに来ていた方々が朝早かったですがいました

ポン
21 六月 2021 5:22

落ち着いた良い雰囲気の神社でした。稲荷神社 (宇迦之御魂神) もお祀りされていました。
鳥居前に3台停めれる駐車場があります。

おとらさん
04 六月 2021 10:09

子供を見守る龍神様
鶉の地に残る、龍神伝説。

鶉田神社(うずらたじんじゃ)と呼びます。
美濃国厚見郡鶉郷の産土神(うぶすながみ)
子供と健康の神社として信仰されます。

鶉郷という村名は、奈良時代にこの地を開拓
した、舎人親王の孫が名づけた地名です。
この付近は低湿地で、ウズラが多く
生息していたことに由縁します。

また、この社には、左甚五郎作の龍の彫刻
があり、龍伝説が残ります。

左 甚五郎(ひだり じんごろう)は
江戸時代初期に活躍したとされる
伝説的な彫刻職人です。

日光東照宮の眠り猫をはじめ、
甚五郎作といつわれる彫り物は
全国各地に100ヶ所近くありますが、
その製作年間は安土桃山時代~
江戸時代後期まで300年にも及び、
出身地もさまざまです。
左甚五郎とは、一人ではなく各地で腕をふるった
工匠たちの代名詞としても使われていました。

見事な龍の彫刻にまつわる民話がこの社には
のこります。

===尾なし龍の伝説===
左甚五郎作の龍の彫刻には命が宿っており、
夜になると空へ舞い上がっていたという。
村人はそれを恐れていたが、
「おはつ」という足の不自由な娘だけが
龍を恐れることなく、
龍と毎日遊んでいたという。

そんなある日、
年貢を納められなかった母親が
加納城の役所に連れて行かれ、
牢屋に入れられてしまった。
母親に会いたいおはつは、
まだ治っていない足をひきずりながら
加納城へ向かった。
途中の境川で溺れてしまい命を落してしまいます。
これを知った龍は激怒して天に舞い上がり、
口から火を吐いて加納城下を
焼き払ってしまった。
人々はそれを恐れ、彫刻の龍の
尾を切り捨てて、二度と空へ飛べない
ようにしたという。
================
という悲しい民話です。

飛べなくなった鳥、鶉と
飛べなくなった、龍神様

親心としては、子供はいつまでも
近くにいてほしいのが本音ですよね。

Yuichiro
03 十二月 2020 15:53

郷社
龍の手水舎があり、清掃も行き届き素晴らしい

TAKASHI
20 一月 2020 22:05

会社の「氏神さま」です。この神社には「龍の伝説」が残っていて、伝説に出てくる「左甚五郎作の木彫りの龍」が本殿の柱に巻き付いています。
また、この神社の社紋は「織田胡瓜紋」です。信長の先勝祈願がもとで拝領しました。

FLAT
06 七月 2019 20:05

境内が狭いけど、長い、駐車場一応あり

長良たけし
15 六月 2017 7:33

南側に弘法大師のお堂があり、その前に神社参拝の駐車場3台分あります。

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