曹洞宗龍祥山勝國寺
住所 | 神奈川県横浜市南区蒔田町932 |
電話 | +81 45-731-2524 |
サイト | tesshow.jp/yokohama/minami/temple_maita_shokok.html |
カテゴリー | 仏教寺院 |
評価 | 4.3 6 件の口コミ |
Ryushozan Shokokuji | |
最寄りの枝 寶生寺 — 神奈川県横浜市南区堀ノ内町1丁目68−68 日蓮宗経力山妙音寺 — 神奈川県横浜市南区三春台73 日連宗妙音寺 金蔵院 — 神奈川県横浜市磯子区磯子4丁目3−6 高野山真言宗 光明山 東福寺 — 神奈川県横浜市西区赤門町2丁目17 |
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曹洞宗龍祥山勝國寺 件の口コミ
6伊勢守
22 三月 2023 5:34
勝国寺は室町~戦国時代の蒔田吉良氏(世田谷吉良氏)の居城の麓にある寺で吉良氏歴代の菩提寺。吉良氏と言えば赤穂浪士に討たれた吉良上野介義央が有名だが、義央は吉良氏の嫡流に当たる三河吉良氏(東条吉良氏)の出身。分家の吉良氏としては奥州吉良氏があり、吉良政忠が武蔵世田谷に移って世田谷吉良氏の祖となった。政忠は今の豪徳寺(井伊家の菩提寺)の前身となる寺を開いた人で、世田谷城を拠点にした。政忠の孫の頼康は北条氏綱の娘を妻とし、蒔田(横浜市南区)を居城として「蒔田御所」と称された。その子の氏朝の代に北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされたので、吉良氏も所領を失うが、江戸時代になって高家旗本「蒔田氏」として再興された。宗家の吉良義央は高家の筆頭(高家肝煎)だったので、蒔田吉良氏は正式には吉良氏を名乗れなかったという事情がある。
蒔田城の所在した丘陵は今は横浜英和学院が建っていて、発掘調査もままならず、遺構はほとんど確認できない。腰曲輪の一部とみられるものが残っているそうだが、特筆すべきものはなさそうだ。戦後の宅地造成と学校建設で破壊されたと思われる。
吉良氏歴代の供養塔に行くには、本堂左手の墓地入り口から石段を上っていけばよい。案内板があるのでたやすく見つけられる。なお、世田谷の勝光院にも吉良氏歴代の墓所があり、こちらは保存状態が良い。
Ann
23 十月 2022 6:13
本堂は外も中も精緻な彫刻が施されており、
重厚な雰囲気が出ている。
境内の整備も行き届いているため、気分は
自然と晴れやかになる思いだ。
吉良氏供養塔までは案内が多く設置されて
おり、親切。迷わず辿り着くことが出来た。