JAPANRW.COM

常楽寺

住所 神奈川県鎌倉市大船5丁目8−29
電話 +81 467-46-5735
時間 09:00-16:00
サイト www.trip-kamakura.com/place/180.html
カテゴリー 仏教寺院, 観光名所
評価 4.4 12 件の口コミ
Joraku-ji
最寄りの枝
龍寶寺 — 神奈川県鎌倉市植木129
長寿寺 — 神奈川県鎌倉市山ノ内1503
海蔵寺 — 神奈川県鎌倉市扇ガ谷4丁目18−8
妙隆寺 — 神奈川県鎌倉市小町2丁目17−20
近くの同様の会社
円久寺 — 神奈川県鎌倉市常盤621
長慶山正覚院大巧寺 — 神奈川県鎌倉市小町1丁目9−28
英勝寺 — 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目16−3
五峯山証菩提寺 / 證菩提寺 — 神奈川県横浜市栄区上郷町1864

常楽寺 件の口コミ

12
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
芭蕉の末裔
04 七月 2022 16:28

過去に何度か訪れていますが久々に来てみました。
大船駅から歩いて行ける距離にあるので、意外と参拝客は多いですね。
本堂の阿弥陀三尊像をじっくりと拝む事ができて良かったです。
本堂裏の北条泰時公の墓の前でも手を合わせてきました。
木曽義高の墓は裏山の中に有るそうですが、登り始めた場所に一般の方の墓地があったので、今回は見合わせました。
門前の表示以外にも山の中に道標が有った方が良いと思います。

QUEEN
16 五月 2022 15:19

JR大船駅下車 徒歩15分
義仲の子義高
木曽義高は清水(志水)冠者とも呼ばれる。 1183年(寿永2年)3月、源頼朝と木曽義仲の武力衝突の際、義仲が子義高を鎌倉に人質として 義高は、頼朝の娘大姫の許嫁という名目で鎌倉に送られてきた。
1184年(寿永3年)正月20日、義仲は源範頼と源義経に討ち取られた。そして、4月、頼朝は義高を誅殺するよう命を下す。
これを知った大姫は、義高を逃がすのだが。大姫の願いは叶わず、義高は武蔵国の入間川で討ち取られた(1184年(寿永3年)4月26日)
この時代は必ず首を刎ねる。それを鎌倉に運ばれた。ここには首塚がある。

Utsugi
21 三月 2022 10:44

大船駅から歩いて15分ほどです。
北条義時の長男であった北条泰時の墓が仏殿の裏側にあります。
また裏山を登ったところには、木曽義仲の長男であった木曽冠者義高の墓と言われる木曽塚、また許嫁の大姫の墓と言われる姫宮塚があります。

tannkyu
25 一月 2022 13:12

大船で、有名なお寺らしいです。北条氏などの名前が出てきますが、詳しくないので他の口コミの方を参照さてください。

お寺の敷地としては、それほど広くないですが落ち着いた雰囲気です。
お堂などは、「木」という感じの華美な装飾のない見た目です。

お堂の裏手には、古いお墓が三基あります。その後ろは、檀家さんのお墓です。
お墓と、仏様の前では手を合わせましょう。最低限のマナーです。
場所は、大船駅から徒歩15分ぐらい。

自分は、鎌倉までの散策時に、寄らせていただきました。

宮内勇一
03 一月 2022 15:56

流石、北条泰時公のお寺ですね!蘭渓道隆さんが住職をし、臨済宗を広めた方の匂いが約八百年の月日を越えて伝わるような場所でした。
三浦一族を五六十年かけ概ね滅ぼし、鎌倉五山の構想を練ったとしたら三浦一族ファンとしては悔しいお寺ですが、良かったのです。
その後、北条時頼公が意思を次ぎ現在の鎌倉五山があるのですね!
逆説的に言えば、三浦一族が最大のライバルだったのでしょうね!

井澤孝子
28 七月 2021 1:02

鎌倉幕府第三代の執権北条泰時公と、建長寺開山大覚禅師 (蘭渓道隆) ゆかりの古刹です
山号を粟船 (ぞくせん) 山 常楽寺と名を改める前は 粟船御堂とよばれいました
現在の大船は「粟船」にちなむらしい
歴史も古く常楽寺なくして建長寺なし (常楽は建長の根本なり) としてあつく 尊崇さるた為

緑豊かなお寺で 本堂の阿弥陀三尊像が とても良かったです
御朱印を頂いた時に 常楽禅寺誌も頂きました

木村満
08 七月 2021 0:24

三代執権・北条泰時が 妻の母を供養する為に開いた 夏の蝉時雨は凄いです 仏殿の裏に泰時の墓があります お出掛け節はお参りして下さい
又三上延さんの小説 ビブリア古書堂の事件手帖 1の第2話の中で名前はでませんが寺が出て来ます 常楽寺です バス停も常楽寺 そして鎌倉三名梵鐘とは 建長寺の梵鐘 円覚寺の梵鐘 洪鐘 (おおがね) とくれば常楽寺の梵鐘で全てが国宝 常楽寺の鐘は鎌倉国宝館に寄託しているこの鐘は市内で最古の鐘です 仏殿天井に描かれた (雲龍) は夜 毎日水を飲むために出かけた お堂がきしみ困ったので両目を塗りつぶした 音がしなくなったと言う

le petit prince 星の王子さま
02 五月 2021 13:50

御朱印をいただいた時に
ご住職が優しく対応してくださり
いろいろな話を教えてくれます

鎌倉の外れ (大船) なので
ひっそりとして静かに参拝できます

久良岐のよし
08 一月 2021 1:05

北条泰時公による開基で退耕行勇和尚の開山とされ由緒正しく、実は中国の古文書には鎌倉五山の筆頭寺院の建長寺住職だった四川省出身の蘭渓道流和尚が常楽寺に住職としていた記録が残るので実際は更に上位の蘭渓道流和尚が開山だった事が解る。
境内には北条泰時公の御廟の他に木曽義仲公の遺児、木曽義高公の矢倉もある。
参道の雰囲気が良い御寺。

kurotamamiyako
16 十月 2020 5:39

創建1237年、開基は三代執権北条泰時。もと粟船御堂といわれ、大船の地名の由来の一つともいわれる。北条泰時の母の追善供養として建てられたものであった。臨済宗の寺である。寺の裏面に褒賞泰時の墓がある。
ひっそりとした趣のある場所。

whole
25 三月 2020 23:19

1月25日の文殊菩薩ご開帳の日に参拝しました。お靴を脱いでお堂に上がらせていただくと、お坊さんが懐中電灯で照らして見てください、と言ってくださりました。恐る恐る光をあてると、御光の部分にきれいな色のついた文殊菩薩が現れました。見られると思っていなかったので感激しました。
お昼過ぎについたのですが混雑しておらず、のんびり拝観できて良かったです。帰りには甘酒を振る舞っていて、お茶碗で麹の甘酒をいただきました。お米がゴロゴロして腹持ちの良い甘酒でした。ベンチに座ってのんびりいただけました。来てよかったです。

masayuki
01 二月 2020 16:07

小生横浜在住の定年退職者であるが、今年の旅テーマを「鎌倉」と定め、今般12回目の鎌倉訪問となる。かなり前、永井路子氏の『北条政子』にて木曾義高と大姫の悲劇を読み、鎌倉市街から外れるが、是非本寺と、近接する義高塚を訪ねたいと思っていた。本日漸く念願かなったと思っていたところ、何と迂闊なことに本日訪ねた墓所は三代執権泰時公の娘姫宮のものであり、義高塚は更に山を登った処にあるようだ。「ボケたか!」と自問自答。年内に (必ず) もう一度訪ねることにしたい。

本日 (R1.12.4) 、再度訪問。本堂にお参りした後、今度こそと思い、脇道から裏山の階段を登った。頂上付近の義高塚に行き着き、往時をしのび静かに合掌した。

レビューを追加