松蔭寺
住所 | 神奈川県横浜市鶴見区東寺尾1丁目18−2 |
電話 | +81 45-571-1701 |
カテゴリー | 仏教寺院 |
評価 | 4.4 7 件の口コミ |
Shōin-ji | |
近くの同様の会社
|
松蔭寺 件の口コミ
7 今日は御朱印と七福神巡りをしょうと思い来ました。最初入り口に門があり入っていいのか、悩みました。門の中に入り日差しが降り注いで何とも言えない、気持ちになりました。後から見たのですが、撮った写真の中に虹が入っていて、凄く良い感じになりました。
私はお寺に行くと心が洗われるような感じがしてとても良い気分になります。
鶴見七福神のひとつ、最寄り駅は横浜線大口駅だけど徒歩だとかなり時間がかかる、横浜市営バス213系で大口駅東口からのって西寺尾の丘公園でおりそこから徒歩。案内図がなく住宅地の中を歩くのでわかりにくい場所にある。駐車場あり、入り口の門扉と門が閉まっているけど、鍵はかかっておらず入れる、御朱印を頂いた。
仙鶴山松蔭寺 (せんかくさん_しょういんじ) は臨済宗建長寺派の草庵として建武元年 (1334年) 開創され、寺号は正統庵とした。由来は鎌倉建長寺の第三十世佛壽禅師退隠の後、幽棲の地 (いわゆる隠居) として庵を結んだものです。文和3年 (1354年) 2月18日示寂 (逝去) との記述がされています。***西暦では3月13日です***
寺号は当初「松音寺」と書していましたが後に今の「松蔭寺」に改まりました。本堂は14mに11mの大きさで南向き。本尊は釈迦牟尼 (しゃかむに) 立像で高さは約70cmを安置。古器宝物は多くを数度の回祿 (火災) で失ったとの言い伝え。東側にあった本堂を現在地に移したとされています。徳川時代の境内は4000㎡弱で後背の山林は3.3haとなっていました。大正12年9月1日の関東大震災で本堂が大破となり川上誠宗住職が修復復興に向けて尽力されました。
通常、山門は閉じられていますからもう一つの入口から入ります。境内には鐘楼がありますが、鐘を撞く機会はほとんどなく、略式で1回撞きになっています。重低音に対する機微が影響しているのでしょう。奥に進みますと庫裡 (くり) 前に「布袋尊像 (本堂内にも祀れています) 」があり、山門側には「慈母観音立像」と「水子地蔵尊」、本堂は木鼻が阿吽の獅子の他、蟇股 (かえるまた) の部分には鳥の彫刻が見事です。本堂前庭園を通り奥に進むと観音様・庚申塔に達します。となりに祠があり、左には「里見義高公」を祀った「義堯入道尊堂」と観音堂があります。左右には阿吽 (あうん) の仁王木像が立ちます。仁王像の足もとには小石が置かれていますが、これは駒形明神の言い伝えである「小児疱瘡 (ほうそう) の類い他、何れの病にても悩める者はここに祈れば必験あり」と伝わり、「祈願する者は側石を取り、悩む所を撫でると自ら平癒 (治る) せり。平癒の後は石を二つ納めよ。」つまり、小石をひとつ借りて撫で、結果が出たら石は二つにして返す事になります。里見入道の霊験あらたかという事で現在は松蔭寺の義堯入道尊堂に小石が置かれるようになったものです。明治20年に現在の駒形天満宮より当地に移されたと生見尾村誌に記述されています。
観音堂は駒形天満宮の「慈眼堂」を移したもので十一面観音 (高さ30cmほど) 立像が安置とされる。真言は「オン_マカキャロニキャ_ソワカ」等です。病にかからない、災害・事故・犯罪にあわない、食べ物に困らない、財産運などの御利益があるとされています。
更に奥の位置に東司 (とうす:トイレ) があり、中は洋式便器や小便器が備わっています。また、閉鎖された松蔭寺幼稚園がそのまま残っています。
松蔭寺の寺宝は阿弥陀如来坐像があり、上野の国立博物館に寄託 (預けること) されています。1987年に横浜市の指定文化財に。高さ25.3cm飛鳥時代後期の金銅仏で松蔭寺別当の八幡宮 (現在の駒形天満宮) に祀られていたものを明治の神仏分離で松蔭寺に移したものです。当時は天皇の権威を高める為を口実に破棄された仏像も多数あったなかで危難を乗り越えたのです。全国には手首や腕のないもの、さらに顔を削られたもの等が多数残っています。
樹木については横浜市の名木古木指定された「サルスベリ」と「タラヨウ」があります。
境内の躑躅 (つつじ) が手入れされていませんでしたので剪定についてレクチャーしました。躑躅は適度に剪定しないと枝葉が大きくなり古い葉が残る事で新芽が出にくくなります。剪定により新しい枝葉が伸び、密生しながらも花芽は増えますから美しくなります。仏教的には輪廻した事になります。
***里見義高墓と義堯入道の表記については、どちらも「よしたか」となりますが間違いではありません。伝わる文書記述にはどちらもの文字もあります。「生見尾」は生麦・鶴見・寺尾の地名です。当初は「なまみお」でしたが発音しにくいので明治24年 (1891年) 「うみお」になりました。 (東) 寺尾の由来は松蔭寺に続く尾根と伝わっています。松蔭寺への道しるべとして横浜商大付近に庚申塔が残っています***