日本郵船氷川丸
住所 | 神奈川県横浜市中区山下町 山下公園地先 | ||||||||||||
電話 | +81 45-641-4362 | ||||||||||||
時間 |
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サイト | hikawamaru.nyk.com | ||||||||||||
カテゴリー | 観光名所, 史跡, 技術博物館 | ||||||||||||
評価 | 4.5 28 件の口コミ | ||||||||||||
NYK Hikawa Maru | |||||||||||||
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日本郵船氷川丸 件の口コミ
28 横浜山下公園埠頭停泊している氷川丸のご紹介です。
1930年に竣工された貨客船氷川丸です。
主な活躍場所としては、北米航路で、その頃の主要の移動手段であった様です。
時代の移り変わりで、いろいろな用途で使用されたようです。
現在は、博物館として、歴史的重要な船となり、山下公園埠頭に停泊しています。
是非とも、訪問して、遠くなりました昭和の日本を、ご覧ください
平日訪問しました。
hpにて優待券を利用すると50円安くなります。また同社が経営する日本郵船歴史博物館とのセットだと2つの施設が500円で利用できます 別々の日でも利用可能です
浜っ子ですが数十年ぶりに訪問
中ではジュースの自販機はありますが食べ物の購入はできません
また併設してる物品販売店は閉めている状態ですので氷川丸グッズ販売は日本郵船歴史博物館にあるショップにて購入可能です
現在一部展示エリアを区切っているため 少し物足りない所はありましたが大変満足しました。また全てのエリアがみえるようになったらもう一度訪問したいと思いました
氷川丸は、1930年三菱重工と合併し、横浜造船所
(ランドマークの近く)で造船されました、
シアトル行きの船として太平洋を横断する、貨客船
でしたが、太平洋戦争から、海軍特設病院船となり
3回触雷しましたが、沈没は、免れました、
氷川丸船内では、写真OKなので、パシャパシャ撮ってください
山下公園に寄った時に再開していればまた寄ると思います。
広い機関室 (エンジンルーム) が印象に残っています。
的確なメンテナンスの体制についても触れられていた記憶があります。
コメディアンのルーツ元祖?と言える『チャールズ・チャップリン』が宿泊利用された客室も見て感じ、何かのパワーをもらった気がします。
船関係の人には、是非見てもらいたい、昔の構造や船内、エンジンルームが見れます。
改装中の為、一部エリアには入れませんでした。
船室の狭さには、びっくりです。
あそこに寝て、長期間の航海、、
想像するだけで、怖さもあります。
頑丈な造りがあるかと思えば、エレガントな空間もあり、当時の雰囲気を感じれます。
ぐるっとまわって、約1時間くらいで見ることができました。
次回は、入れなかった操舵室に行きたいです。
昔の話ですが船内を見学したことがあり
その時は豪華で綺麗な内装に感動した覚えがあります。
こんなご時世で臨時休業のようですが
再開した折にはまた伺いたいと思います。
1930年、シアトル航路の強化のために日本郵船によって建造された氷川丸になります。
保存状態も結構いいと思いました。客室などは実際に入ることはできないですが、機関室のトップデッキと船橋など、結構色んな設備も開放されていますが、フォアキャッスルへは行くことが出来ません。
1930年に建造された船ですが、機関室を見てはびっくりしました。たぶん4ストロークの主機関で建造された近年の商船と大差ないぐらいの立派なメインエンジンだと思いました。
日本郵船の株主優待で行きました。
戦前から活躍し第二次世界大戦を切り抜けた船(殆どの船が撃沈される中)。
それだけでも貴重です。
中に入ると豪華でこれが70年以上前の船かと驚きます。
やや遠くにありますが博物館も一緒に見学することをお勧めします。
渋沢栄一や岩崎弥太郎等らが幕末から明治に海外の商船と競い合った歴史を知ることができます。
今年で91歳になる、1930年 (昭和5年) 生まれの妙齢の淑女の物語を少々・・。彼女は昭和初期に花形だった北米シアトル航路の大型新鋭貨客船として横浜三菱造船で生を受け、他にも姉妹 (同型船) が2人いました。
彼女は長女で、妹2人の名前は日枝丸、平安丸です。それぞれ頭文字は「H」で始まり、氷川丸は大宮氷川神社、日枝丸は東京千代田区日枝神社、平安丸は平安神宮にちなんでいます。
体重 (総トン数) は11,622トンです。すぐ近くの横浜大桟橋埠頭を母港としている豪華客船「飛鳥II」は50,444トンなので、運良く飛鳥IIが停泊していたら大きさを比較してみてください。昭和の巨船も今では小柄な方ですね (笑) 。
参考までに、あのタイタニック号は46,328トンなので、やはり当時としては非常に大きな船でした。ちなみに現在世界最大の客船はカリブ海航路の「シンフォニー・オブ・ザ・シーズ」で22万8000トン (!) です。船というより動く都市のようなシロモノで、文字通り桁違いの大きさを誇っています。
しかし華々しい就役から10年、日米関係の悪化と共にシアトル航路は閉鎖されるに至りました。三姉妹は1941年に海軍に徴用され氷川丸は病院船に、日枝丸と平安丸は潜水艦に魚雷や食料を供給する特設潜水母艦への改装を受けます。
1941年12月の開戦に伴い、三姉妹は北から方向を変え南方の各地へと散っていきますが日枝丸は1943年に米潜水艦の雷撃により、平安丸は1944年のトラック島空襲により戦没し、遠い異国の地で祖国への帰還もかなわず果てました。
三姉妹の中でただ一人の生き残りとなった氷川丸も、2度にわたり触雷するなど無傷ではすみませんでしたが、波の荒い北米航路用に頑丈に作られていたので何とか沈没は免れることができ、その後も傷病兵を日本に運び続け、終戦の日は舞鶴港で迎えます。氷川神社の加護があったのでしょうか、彼女は過酷な時代を生き延びたのでした。
戦後は貴重な稼働船として海外からの引き揚げ任務に従事したあと、1953年についに彼女は本来のシアトル航路に戻ってきます。一緒に復帰すべき平和な海には、妹二人の姿はありませんでしたが。
その後1960年に無事現役を引退し、今は記念船として第二の人生を歩んでいます。戦地に散った妹二人の分も長生き出来ることを願って止みません。
氷川丸は日本郵船が1930 年にシアトル航路用に建造した貨客船です。1960年に引退した後、1961年より山下公園前に係留保存され、2008年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンしました。重要文化財に認定されている。
昭和5年に竣工された12,000トンの客船です。チャップリンが来日の際に乗ったことがあります。主に米国航路を行き来し、世界中を回りました。昭和35年まで現役で、その後横浜山下公園に係留され一般に公開されるようになりました。
戦中は病院線となり、戦後は在外邦人の引き上げ業務にも従事しました。
見学できる内部は調度品なども残り、豪華客船として活躍してた頃を偲ぶことができます。
素敵な産業遺産です。
The old ship with atmosphere of 100 years ago. Amazing. Charlie Chaplin was there. Need to feel this spirits to understand. Well recommend ️
久しぶりに氷川丸の見学に行ってきたのですが、操舵室と船長室は室内点検整備のため見学することができませんでしたが約一時間かけてゆっくりと見学してきました! 氷川丸の船上から撮った写真と山下公園に停泊している氷川丸の写真を投稿します!
2021年3月1日 訪問
数年ぶりの訪問でしたが『コロナ禍の
ため船内の見学は3/8まで出来ません』と
書かれた無情なお知らせに私はゲートの
前で暫し唖然としていました。
( i _ i )
冷静に考えれば、営業していない可能性は
高かったのに、事前に確認を怠ってしまった
私の判断ミス
少しだけ凹みました。
次回の訪問では氷川丸の船内を見学したいと
思います。
(10年以上昔になりますが、一度だけ船内を見学)
氷川丸は昭和5年 (1930年) にアメリカの
シアトルを結ぶ航路の船として就航しました
昭和16年 (1941年) 12月に太平洋戦争が勃発し
氷川丸は病院船に改装されて南方の
ラバウルやジャカルタ、マニラ、サイパンへ
赴いて多くの戦争病兵を日本へ輸送しました。
戦後は復員輸送や大阪・横浜と北海道を
結ぶ国内航路に就いて昭和26年 (1951年) に
シアトル航路に復帰します。
\ (^o^) /
本来活躍していたシアトル航路に復帰した
氷川丸でしたが、船体の老朽化や航空機の発達で
昭和35年 (1960年) に惜しまれつつ引退を
します。
翌年から横浜港のシンボルとして係留された
氷川丸
平成28年 (2016年) には国の重要文化財に
指定されました。 (Wikipediaより)
私は戦後、賠償艦として中華民国に
譲り渡した駆逐艦の雪風や南極観測船に
改造されて活躍した宗谷など、数々の修羅場を
経験しながらも沈没することが無かったこれらの
船はとても幸運に恵まれた船だったと思います
A very cool cruise ship to explore, kinda reminded me of the Queen Mary in Longbeach California but smaller and less luxurious. It was nonetheless still a good experience to see what it looks like on the inside. You get to see the first class cabins and common areas. The entrance fees was also very reasonable. I had fun!
「山下公園と言えばココ。でももっと魅せる工夫が欲しかった」
外から見ると迫力があって期待感が高まったんですが、中は正直ちょっと物足りなかったかな…以前三笠の軍艦を見て、船の迫力に興味があるのですが、やはり砲台とかそういった物がないと客室程度しか見る物がないですね。当時の最先端だったんでしょうけど、やはり今の基準からすると古臭さは否めず、こんな感じか~という印象でした。
そんな中でもエンジン室は趣がいきなり変わっていい雰囲気でした。映画エイリアンのワンシーンに使われそうな感じで、自分は嫌いじゃないです。
船の甲板からの景色は隣の大桟橋や行き交う船、ランドマークタワーなどが見えて爽快でした。
子供の時に親に連れられて訪れて以来、いったい何度足を運んだことだろう。昼の氷川丸、夜の氷川丸。暑い時の氷川丸。寒い日の氷川丸。歴史のある船のせいか、その佇まいには独特の重みがあって、そばに座っているだけで、近くを通り過ぎるだけで、何かを感じさせられるような、不思議な存在感。人の想いがたくさん詰まっているんだろうな。喜びと悲しみ、期待と失望、希望と喪失、緊張と安堵。様々な人々の、幾多の想いを積み込んで、太平洋を幾たび往来したのだろう。今はもう動かなくても、凛とした姿で横浜の港に停泊しています。
・「300円なら入ってみるか」と時間潰しに入ったけど時間を忘れるほど楽しかった。
・船の上から見る横浜は圧巻。ずっと居れる。
・フォトジェニックにもなるスポットだと思う。