小田原城 銅門
住所 | 神奈川県小田原市城内3−22 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | odawaracastle.com/castlepark/akaganemon |
カテゴリー | 城, 観光名所 |
評価 | 3.9 9 件の口コミ |
Odawara Castle Copper Gate | |
最寄りの枝 小田原城 — 神奈川県小田原市城内 |
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小田原城 銅門 件の口コミ
9 再建された銅門の内部が特別拝観されていて、内部を無料で見学できました。
天井にはかなり太い材料が使われています。
こういった門の内部に入れるのは珍しいです。
内部の板の間では武将たちが集まり、会議が行われていました。
小田原城址公園内にある本丸へと通じる大手筋に設けられた枡形門
まるで時代劇に出てくるような立派な門でした
土日祝日には門内にも入れてその木組みの凄さには圧巻させられるし、後北条氏の城主&家臣団の会議の風景を再現している人形もありまたそれにも圧巻させられる
さらに攻撃の一つとしての石落しの床もあり当時を連想させられるのも良かったです?
一応、明治時代になって廃城になりその頃この門も解体されたのですが現在の門は平成9年頃に市内の大工さんや近隣の左官職人さんに寄って建てられた2代目ですので少し真新しい感はあります
また鋼門の名の由来は扉の飾り金具に鋼が使用されていた事からです
小田原城内では二番目に大きな門です
小田原城 銅門 に入ると広めの空間が広がっており、やや登り坂になってます。銅門 に向かうと動きが鈍くなります。銅門の上から狙い撃ちです。
小田原城 銅門 の上はこんな感じになっており、狙い撃ちできちゃいます。
小田原城は、廃城令によって明治3年にほとんどが解体されてしまった。昭和に入って隅櫓や天守閣が復興されてゆき、この銅門は平成9年の再建だとのこと。
城は軍事施設だから、明治政府としては、反対勢力の拠点に使用されないよう、破却させるしかなかったろうが、まったく惜しい話である。
とはいえ、当方のような素人の目には、往時のものか再建かなど見極めもつかない。「古さ」も表現されており、この豪壮な門を通って武士たちが登城する姿などが彷彿としてくる。
平成9年に古来の工法で復元。
のカメラスタンドがあり記念写真を撮れます。
小田原市HPより
銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治3年 (1870) の小田原廃城後、明治5年 (1872) に解体されるまで、江戸時代を通してそびえていました。往時は、大手筋にあたる馬出門土橋(現在のめがね橋)から城内に入り、銅門を通って二の丸御殿や本丸、天守へと進むようになっていました。
銅門の名前は、大扉などに使われた飾り金具に、銅が用いられたことに由来します。
現在の銅門は、昭和58年 (1983) から行われた発掘調査や古写真、絵図などを参考に、平成9年に復元されたもので、石垣による桝形、内仕切門及び櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる形式で、本来の工法で復元されています。
小田原城の南側にある駐車場からアプローチした場合はここから入城することになる。「橋を渡って水堀を越え、枡形門をくぐる」という典型的な城訪問体験を味わえる。
櫓門を下から見上げると鑑賞できる、なぐり加工を施された二本の立派な梁も見どころ。
創建 不詳
解体 明治5年
復元 平成9年
門の形状 櫓門
銅門特別公開 (櫓) 見学に。今年2度目の登城
スタッフに伺ったら本日は1,300人程の銅門内部見学だそうですカウンターで来場者数のチェックをしています! 2020/02/23
江戸時代は小田原城の二の丸表門でしたが明治5年 (1872年) 、飾り道具に銅が使われていたという理由で解体されました。
現在の銅門は枡形門という本来の形で平成9年 (1997年) に復元されました。
石垣も門も巨大です。
私は入れませんでしたが、特別公開の日は櫓の内部を見学出来ます。
銅門の梁にはマツ、柱と扉にはヒノキが使用されているという事です。
江戸時代は馬出門から銅門を通り、二の丸御殿から本丸、天守へ進むのが正規のルートでした。