成願寺
住所 | 神奈川県横浜市鶴見区豊岡町6−1 |
電話 | +81 45-581-7609 |
サイト | www.joganji.or.jp/annai.html |
カテゴリー | 仏教寺院, 観光名所 |
評価 | 4.1 7 件の口コミ |
Joganji | |
近くの同様の会社
|
成願寺 件の口コミ
7本日初めて参拝しました。大変綺麗にされていて気持ち良いお寺です。住職様不在のようで、奥様から書き置きの御朱印を拝受致しました。JR 鶴見駅西口から直ぐの場所にあります。曹洞宗のお寺様です。ご縁頂き感謝です。有難うございました。
***成願寺では御朱印とセットで祈祷済みの仁王さまステッカーが授かれます。***曹洞宗醫王山成願寺 (そうとうしゅう_いおうざん_じょうがんじ) は大本山總持寺が石川県輪島市から移転するまでは現在の總持寺三松閣付近にありました。1575年の創建で1912年に現在の場所に移転しています。広大な成願寺の敷地の多くを總持寺に譲り、後背の山林を含めて現在の大本山總持寺が形成されました。成願寺の果たした役割はかなり大きなものでした。
***成願寺前は鶴見獅子ヶ谷通りです。この道は先で水道道につながっていて、大本山移転では実務で尽力された建功寺との連絡路でもあります。現在も行く事が出来ます***
成願寺本堂の左側に薬師堂があり秘仏の「薬師三尊・十二神将」が所蔵されていてあつく信仰されています。嵯峨野の大覚寺に所蔵されています歴代天皇の般若心経の嵯峨天皇御写経に描かれていますのは薬師三尊です。薬師如来、日光菩薩 (向かって右) 、月光菩薩 (がっこうぼさつ:左側) となっています。
成願寺は大本山總持寺の山内 (さんない) 寺院として貫首禅師の晋山 (しんざん:新たに住職となる) の際に案下処 (あんげしょ:晋山式に臨む前に宿泊して身支度を整える場所) となります。
移転前の旧本堂は萱葺き (かやぶき) 屋根であった事から、法令の制限により同型の建築が困難となり、現在は防火性や耐震性、耐腐食性の高いチタン屋根が採用されています。この他、2015年の耐震改修工事でリニューアルされた山門も魅力のひとつです。向かって右に阿の仁王、左には吽 (うん) の仁王が配され結界をつくっています。江戸時代の江戸名所図会にも描かれるほどの名山だったのはうかがい知れませんが、成願寺の誇りとする事実ですね。
本堂前の石灯籠は上は空を表す玉ネギ形の宝珠。笠は蕨手型でこの下は灯りをともす火袋。下の中台には受花。円柱状の竿があり、基礎部分は六角で反花、格狭間には干支があり、台座には地を意味する方形石を用いています。薬師堂前の供養塔は水子地蔵尊や観音様で庚申塔ではありません。
***チタン屋根は近年採用が相次ぎ、浅草寺・光悦寺・北野天満宮・金閣寺・西本願寺鹿児島別院・福岡県長谷寺 (ちょうこくじ) や愛鷹 (あしたか) 神社・宮地嶽 (みやじだけ) 神社など100ヶ所を越える寺社で屋根がチタン採用になりました。屋根重量の軽減は浅草寺では1/5に西本願寺鹿児島別院では1/14と報道されています。銅板葺きは60年といわれた寿命が環境変化で近年は20年に、本瓦は耐震性が低く下地材が腐食する事もあり、高価なチタン材も総合的には割安になります。***
9世紀に天台宗貞観寺として現在総持寺が鎮座する鶴見二見台に創建されたのが始まり。17世紀前半に創建された成願寺が荒廃していた貞観寺の再建として二見台に鎮座した。明治時代に能登の大本山から総持寺が移転する際、二見台の地を譲り現在の豊岡に移転した。その為総持寺とは縁が深い。山門にある仁王像は表情がコミカルで親しみ安い。