日本初ガス灯
住所 | 神奈川県横浜市中区相生町4丁目76 |
電話 | +81 45-641-4068 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.yokohama.lg.jp/naka/sighthist/etizu/10.html |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.4 7 件の口コミ |
The first gas lamps in Japan | |
最寄りの枝 象の鼻防波堤 — 神奈川県横浜市中区海岸通1丁目1 ララ物資の記念碑 — 神奈川県横浜市中区新港1丁目2−1 ジェラール水屋敷地下貯水槽 — 神奈川県横浜市中区元町1丁目77-18 二代目横浜駅 基礎等遺構 — 神奈川県横浜市西区高島2丁目1−1 |
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日本初ガス灯 件の口コミ
7 横浜の馬車道に「日本初のガス灯」記念碑と復刻されたガス灯があります。
1872年9月29日に馬車道、本町通りなどに日本初のガス灯が設置されました。
説明文には
『 日本で最初のガス灯
安政6年 (1859年) に開港場となって以来、横浜は西洋文化の玄関口となりました。 馬車道を起点にして全国に拡がったものも数多くあります。
「ガス灯は、明治5年 (1872年) に、高島嘉右衛門の「日本ガス 社中により、馬車道・本町通り等に設置、点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました。 柱部は英国グラスゴー市から輸入し、 灯具は日本人職人により製造されたと言われます
このたび、 横浜市市民文化会館 (関内ホール) 新築完成を祝って、当時の型をモデルとしたガス灯を復元設置しました。
壁面レリーフは、横浜開港資料館所蔵の絵葉書を転写したもので、明治末期の馬車道です。
昭和61年9月27日
馬車道商店街協同組合 』
と書かれています。
街路に本格的にガス灯が設置されたのは、明治5年の横浜の馬車道が日本初。実は、ガス灯は横浜よりも前に鹿児島や大阪にもガス灯があったが、民間事業としては横浜のものが最古だとのことです。
関内ホールの完成を祝して、当時の型をモデルとしたガス灯が馬車道通り沿いの関内ホールの前に復元設置されています。壁面のレリーフは、横浜開港資料館所蔵の絵葉書を転写したもので、明治末期の馬車道を表したものだそうです。
馬車道通りにもガス灯の碑がありました。横浜港を玄関口として入ってきた西洋文化/洋風生活の一つとしてガス灯があり、柱部は英国グラスゴー市から輸入、灯具は日本人職人により製造したとのこと。こちらのものは関内ホール新築を祝って当時の型をモデルに復元したそうです。山下公園中央口のものは灯火が2つでしたが、こちらは1つのタイプで、電気ですが明かりが灯っていました。ビルが工事中のため壁面レリーフは見られませんでした。残念!
日本初のガス灯なのに、電球になってました。たぶん外側だけ残しているのでしょう。湯島天神にあるガス灯と同じカタチをしていると思います。昔の街灯はずいぶん低い位置にあったんですね。銅板の説明書も併設されています。関内ホールの入り口近く。
横浜のこの近辺には、こうした歴史の足跡が其処彼処に点在する。
ガス灯とシャボンとアイスクリン。
教科書に載っているような案件。
日本開国時に想いをはせて、散策するのもアリだと思う。
馬車道の関内ホールの近くにあります。
1869年(明治2年)頃、太田町の人々がガス灯の建設を神奈川県に出願しましたが、これを県が受け入れず、翌年の1870年(明治3年)にはドイツ領事であるシュルツが経営するシュルツ・ライス商会が再度ガス灯の建設を出願。
しかし、同年設立された日本社中という会社がこれに対抗し、ガス事業を出願しました。
外国の会社と日本の会社の間でガス灯の建設をめぐり、競争が起こったのです。
困惑した県は、居留外人の投票という方法で権利を決定しました。
勝ったのは日本社中であった為、同社はフランス人技師のプレグランと契約し、花咲町5丁目にガス工場を建設しました。
そして1872年(明治5年)9月、大江橋より馬車道、本町通りにかけて日本初のガス灯がともりました。
現在、記念碑の両側には、
当時のままに復元されたガス灯が立っています。