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神奈川台場跡

住所 神奈川県横浜市神奈川区 西神奈川1丁目17−3
電話 +81 45-371-3284
時間 00:00-24:00
サイト kanagawadaiba.com/daiba
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 2.8 9 件の口コミ
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神奈川台場跡 件の口コミ

9
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ngngst
26 六月 2022 1:23

幕末の横浜開港の翌年の1860年に開港場の対岸に有名な品川台場同様、防衛のため勝海舟の設計で造られたといわれていまふ。羽を広げたコウモリのような形をしている事から「蝙蝠台場」とも呼ばれたそうですが、今は地中に埋まっています。
現在は台場公園として整備され、特に遺構は見られませんが解説板が設置されています。
駐車場はありませんが近くにコインパークがいくつかあります。

井戸利昭
04 六月 2022 16:53

裏路地にひっそりたたずむ史跡があります
案内図などありませんがマップで直ぐに解ります
簡単な説明書きはあり概略は把握出来ました
なかなか…良いものですよ!

kee
09 一月 2022 0:19

台場公園には台場の史跡が無く、少し歩いた場所に石垣が見える場所がある。石垣は線路・卸売市場の反対側のコットンハーバー内にある星野町公園でも見る事が出来る。というか星野町公園のほうがちゃんと整備されてるので、そっちもオススメ。

勝海舟が手掛けた台場の史跡。
特に台場の外形が残っているという事ではなく、台場外郭の石垣が部分的に残っている程度。東京お台場にある第〇台場の史跡を期待していくと肩透かしを食らうかもしれない。
元々はバットマンマークのような形状をした珍しい形状の台場だったようで、実際に当時はコウモリ台場と言われていたらしい。これは五稜郭と同じような設計思想で、ヨーロッパの城郭をモデルにしたもののようである。

大浦裕信
22 十二月 2021 19:48

JR東神奈川駅から海方面?コットンハーバー方面?の立地ですが、どこにあるのかなかなか迷います。ただの公園で何があるというわけではありませんが、その昔、黒船来航の日本をここから守っていたかと思うと、一度は訪れておきたい場所です。

i qqq
16 十二月 2021 4:33

コウモリ台場と呼ばれた神奈川台場は、周辺のマンション再開発で今は大部分は地下に埋もれてしまっているとのこと。この台場の設計を手掛けた勝海舟は子供時代のトラウマから犬が大の苦手だったそうですね。ちなみにこの近くに台場らしき石積みの遺構とその碑があります。台場は1858年に竣工、1898年まで存在したようで、日米修好通商条約締結の時の礼砲などに使われましたが、実戦で砲台が使用されたことはありませんでした。ただ砲台は、沖ではなく、横浜湊の方角に向けられていたそうで、万が一のためでしょうか、1860年開港後も睨みをきかせていたようです。またここへ来ると分かるのですが、神奈川宿前の神奈川湊は、小型船が行き交うのに適した遠浅の船溜であり、黒船のような大型の蒸気船が碇泊出来るような港ではありません。諸外国が結局対岸の深い海底の横浜村を貿易の拠点とせざるを得なかったのは明白ですね。

徳哉永田
24 三月 2020 19:44

ペリー来航以降、安政元年(1854)に和親条約、さらに安政五年(1858)には各国と
修好条約を締結したことにより日本は横浜、函館、長崎、新潟、神戸を開港することとなりました。
そこで江戸湾内を航行する船舶の監視役として神奈川台場が築造されることとなりました。
 担当となった伊予松山藩の松平勝成はさきに築造された品川台場の構造が不十分である
風評を受けて、より一層堅固な台場の築造が必要であるとして並木町、及び漁師町沖に2基の台場を築造することを決定し、漁師町沖の台場に関しては
勝海舟に一任したのでありました。
 神奈川台場の構造は三つの稜堡を海上に鋭角状にもつ半星形状で、陸地とは2本の土橋によって結ばれる縄張りでありました。またこの土橋は台場と陸地間を囲む舟溜りとしても活用することができる構造でありました。 

明治32年2月廃止されるまで礼砲用として使われたましたが、大正十年頃から埋め立てられ、
現在では石垣の一部を残すのみとなっています。

清木忠
24 七月 2019 10:10

本当に何もない!
ただ貨物の東高島駅がすぐそばにあり
小学生や学生の通学路、犬の散歩の人とか普通に通行していて
自由な雰囲気で貨物が目の前で見れるのはいい。

hikochang
28 六月 2019 23:56

何もないのですが、看板には以下の様に書いてあります。
安政六年 (1859) 五月、幕府は伊豫松山藩に命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築した。
当時の台場は総面積二万六千余平方メートル (約八千坪) の海に突き出た扇型で、七万両の費用と工期約一年を要し、蔓延元年 (1860) 六月竣工した。
明治三十二年二月廃止されるまで礼砲用として使われたが、大正十年頃から埋め立てられ、現在では石垣の一部を残すのみになった。

スエナガキョウイチ
26 二月 2019 15:41

なにやら 顧問弁護士先生
そうとうな 歴史好き
それが高じて 今現在 東海道53次を
時間をみつけては 徒歩で 歩いてる

今は新居宿あたり らしい。

先日 横浜中央卸売市場あたり (出川哲朗さんの実家?海苔やさんがある所) 行った時
ぐうぜん 神奈川台場跡の高札 発見!見事に石垣しか残ってない でも此処に 台場なら
江戸時代は、ここは海の真っ只中
えー ほんとかいな?
先生に 勝海舟設計の 御台場跡 知ってますか? 聞いたら 知らないらしい
昨日 ドヤ顔で 案内しました
なかなか喜んで貰い 帰りに 土橋寿司奢り
ラッキー

次の河岸は マリンロケット 行きます

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