JAPANRW.COM

浦賀燈明堂(横須賀市西浦賀)

住所 神奈川県横須賀市西浦賀6丁目1
電話 +86 188 6119 3359
時間 00:00-24:00
サイト www.cocoyoko.net/spot/toumyoudou.html
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 4.6 7 件の口コミ
Tōmyō-dō Lighthouse
近くの同様の会社
戦没船員の碑 — 神奈川県横須賀市鴨居3丁目
駆逐艦村雨の碑 — 神奈川県横須賀市鴨居3丁目15
三軒家砲台跡 — 神奈川県横須賀市鴨居4丁目1262
浦賀奉行所跡 — 神奈川県横須賀市西浦賀5丁目17−2

浦賀燈明堂(横須賀市西浦賀) 件の口コミ

7
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
浩太郎
02 十一月 2023 15:54

11/3に久里浜駅から浦賀駅まで歩いて周り (約20km) 、この燈明堂にも立ち寄りました。燈明堂下の岩場 (日陰) でちょっと休憩しましたが、海も綺麗で、しばらく読書しても良いくらい快適な場所でした。

井上稔
18 十月 2023 15:16

徒歩で行くには微妙に遠い。だからこそ人も少なく、ゆっくりとした時間を過ごせました。
ダラダラとするにはおすすめ。ただ、ベンチはないのでゴツゴツした岩とかに座ることになるの注意。

横田浩二
10 五月 2022 13:28

幕末の史跡である (詳細は以下に記す) 。
東京湾に臨み、はるかに房総半島を望む立地は素晴らしい。
また、海岸も親子連れ‍‍‍で遊べるし、岩礁も美しい

2022年3月21日 (月) に横須賀市浦賀の街歩きで訪れた。「千代ヶ崎砲台跡」が一般公開されたので、その見学のために立ち寄った。

<案内板の内容>
燈明堂とその周辺
慶安元年 (1648) 幕府の命でつくられた 日本式の灯台である燈明堂は明治五年 (1872) までその役割を果たしました。 燈明堂の背後の山には平根山台場がつくられ 外国船に備えました。平根山台場は天保八年 (1837) 日本人漂流民を送り届けに来航し た米商船モリソン号を最初に砲撃した台場とし て知られています。 ここから海岸沿いに海 に突き出た所には幕末期 千代ヶ崎台場がつく られました。
燈明堂付近には供養碑 などが立ち並び、かつて ここが首切場と呼ばれた 浦賀奉行所の処刑場だったことが偲ばれます。
・幕末期の明堂周辺の絵図 (久保木実氏所蔵) あり。
浦賀行政センター市民協働事業・浦賀くらぶ

横須賀市指定史跡 燈明堂跡 (浦賀燈明堂)
昭和四三年二月十日指定
復元なった浦賀燈明堂の建つこの場所は、江戸時代に浦賀港の入口、燈明崎に建って いた燈明堂の跡地である。
燈明堂は、 今日の灯台のような役割をする航路標識の施設であった。 燈明堂は、慶安元年 (一1648) 幕府の命によって、幕吏石川六左工門重勝や能勢小十郎頼隆らが築造 したと伝えられている。 石垣を土台として、上に二階建ての建物があった。階下は番人 小屋で、階上は四方を紙張障子とその上に金網をめぐらしてあった。その中には、 直径36.4センチ、深さ12.2センチの銅製の大きな灯明皿が 晩に灯心百筋 と菜種油1升 (1.8リットル) が灯され、その光は四4海里 (7.2キロメートル) に達したという。
当初は勘定奉行の所管となっていたが、後に浦賀奉行に所管替えとなり明治になり神 奈川府の所管となった。 経費は元禄三年 (1690) までは徳川幕府が賄っていたが、 同四年からは東浦賀の干鰯問屋が一切を負担するようになった。 明治五年 (1872) 四月に廃止になるまで、約220年間にわたって日も休ま ず夜間の海上安全の守り役として活躍し、我が国の灯台史の上で極めて貴重なものであ る。建物は明治二十年代まで残っていたというが風雨で崩壊してしまい、一抱えもある。
大きな石で高さ約1.8メートル、幅36メートル四方に組み合わされた「切り込みハギ石垣」だけが残された。
燈明堂跡は大正十三年三月国の史跡に仮指定されたが、太平洋戦争後解除され、昭和四三年二月に市の史跡に指定された。 この石垣を利用して、浦賀燈明堂が近代建築の技 術の粋を結集して当時の姿そのままに復元された。
(起工 昭和六三年十月、竣工 平成元年三月)
・所在地 横須賀市西浦賀町六丁目四六番地
・竣工年月日 平成元年三月十日
・敷地面積 2724.95㎡
・建物面積 9㎡
・建物構造 鉄筋コンクリート二層平屋建
GRC製木目模様外壁
「燈明堂復元北西立面図」あり
横須賀市教育委員会

横須賀市指定史跡 燈明堂跡及び周辺地域
昭和43年2月10日 指定
燈明堂は慶安元年 (1648年) か ら明治5年 (1872年) まで、 浦賀 に出入りする船の安全を守っ た燈台です。
この史跡を郷土の宝として、 また歴史の学習や憩いの場と して活用し、私たちの子孫に 受け継いでいくために、 次の ことを守ってください。

史跡内でバーベキューや焚き 火などをしない。
史跡内でテントを設営したり レジャーシートで広い範囲を 占有しない。
その他、史跡の保存や見学 に影響のある行為をしない。

この史跡は、燈明堂跡 とその周辺の土地を指定しています。
指定地内には、築造当 時から残る石垣とその上 に復元した燈明堂のほか に、3基の石碑が建立し ています。
地蔵菩薩像供養塔 天保11年 (1840年) 建立
死者を供養する碑で、台石 左側面から裏面には世話人 主名が記されています。
題目
天保11年 (1840年) 建立
大きく「南無妙法蓮華経」の 髭題目が刻まれた碑です。
千代岬えい骨志碑
嘉永2年 (1849年) 建立
碑文には千代ヶ崎台場の工 事中に出土した人骨を埋葬し たこと、その人骨は北条氏と里見氏の合戦による戦死者で はないかと推測していることが記されています。

横須賀市教育委員会

Annie
17 四月 2022 11:40

The lighthouse is unique with Japanese character and architecture. It’s quiet and serene - not crowded when I visited midweek in the afternoon. A fee parking lot is directly across the street and it’s a short walk to the structure and beach parking for about 4 hours and the cost was ¥460. The beach is called glass beach, found small pieces of sea glass along the coast during low tide. It’s also a nice walk along the beach set inside a cove with tidal pools and a small cliff and rock area.

池田和雄
21 三月 2022 3:36

地元の人しか行けなそうなスポット。駐車場への道は狭く、「この先Uターンできません」などという警告板があるので(実はちゃんとUターンできる)、一見さんは入れないように?されています。

森本正秀
19 二月 2022 12:25

シーズンオフにしか行かない場所。
夏は混んでいますが、オフの時期は閑散としていてのんびりできますよ。
駐輪場や自販機もあり、トイレが近かったら良かったんですけどね。

Y R
30 十一月 2021 5:00

アクセスは不便だが、水のきれいな江戸時代燈台。房総半島を眺めながらボーッとできる。

レビューを追加