諏訪明神
住所 | 神奈川県座間市入谷西3丁目41−27 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | suzuka.or.jp/kenmu.html |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 3.7 6 件の口コミ |
Suwamyojin | |
最寄りの枝 |
|
近くの同様の会社
|
諏訪明神 件の口コミ
6創建年月は不明ですが、古くからある神社です。少なくとも座間の鈴鹿明神社と海老名の有鹿神社と同等の歴史があるそうです。境内は手入れされており参道の階段は100段ありました。お賽銭箱が見当たらなかったので網の間から入れさせてもらいました。
石の鳥居がある。
鳥居をくぐると急な登り坂の参道となっており登りきると猫の額ほどの平らな場所がある。
どんつきにこじんまりした神殿があり、参道の右に2つの石塔が寄り添うようにある。
一つは 境内にあった古松で鳥居を作った時の記念碑。昭和32年。 (当社境内ノ大松ニ払下デ鳥居ヲ建ル)
一つは 文政8年 (1825年) 9月の石塔。 (表に諏訪大明神 左面 年号 右に願主 沢田文蔵 が書かれている。)
この神社は石楯尾官社に列しているという。しかし風土記編纂時でも石楯尾官社の詳しいことは今と同じでわからないようである。
文中に 慶長19年 (1614年) 勧請と云う。という文がある。時代は大阪冬の陣である。
風土記編纂していた当時人は確かに今の様子とは違う光景を目にしていたのだろう。
境内に多くの小さな神社、そして四つの祠にかこまれていた神殿。にぎやかだ。
古松の記述もあり、これが昭和32年に鳥居に使われたものであろうかと考えてしまう。 (現在の鳥居はコンクリート)
長い年月ここにありつづけ、繁栄もありまた衰退があり。真夏の8月に訪れたが、草刈もされており不自由がないように手入れされている。
歴史なんてわからなくても地域にありつづけている神社だ。
※風土記は伝聞の逸話なども入っていますので話の時代が違う可能性があります。又間違いもあります。
書籍に残された一つの情報と理解してください。
新編相模風土記より(1841年)
諏訪社
式内石楯尾神社なりと云う。
神名帳に高座郡小五座の内石楯尾神社あり。
天安元年5月石楯尾官社にれしこと国史に見ゆ。【文徳實緑】
郡中 下鶴間村 (大和市下鶴間 諏訪神社) 大島村 (相模原市緑区大島 諏訪神社) 諏訪社をも式内石楯尾神社と傅ふ (つたわる) 。
津久井郡佐野川村 (相模原市緑区佐野川) 、名倉村 (相模原市緑区名倉) にも石楯尾神社あり。
皆當國郡中小五社の一なりと稱 (となえる) す。
津久井郡は古當郡に孕まりし地なれば、今何れが舊 (ふる:もとのという意味) 社なるか證 (あかし) を得ず。
佐野川村神社 (相模原市緑区佐野川・石楯尾官社) に神體石楯と云う物存し、縁起あり。併せ見るべし。
村持 下同。
末社 稲荷。第六天社 若宮八幡宮 神明宮 稲荷社 山王社 古松一株神木なり。圍 (かこ) り1丈。
金毘羅社 秋葉社 西宮太神宮 慶長19年勧請と云う。山神、養蚕神、瘡守稲荷、田神の四祠を社の左右に並べ祀る。
神事舞太夫源之丞持。江戸浅草田原町田村澤之助配下。
子安護正明神社 座間宿村圓教寺持。