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川崎河港水門

住所 神奈川県川崎市川崎区港町6−1
電話 +81 44-200-2111
時間 00:00-24:00
サイト www.city.kawasaki.jp/530/page/0000018496.html
カテゴリー , 観光名所
評価 4.3 7 件の口コミ
Kawasaki River Port Sluice Gate
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川崎河港水門 件の口コミ

7
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佐山祐司
01 五月 2023 15:18

京浜急行電鉄大師線鈴木町駅と港町駅ののほぼ中間地点にある多摩川の水門である。港町駅、鈴木町駅のどちらからも大体にして徒歩7〜8分程度の距離であるが港町北口よりマンションリヴァリエ前を通り多摩川土手沿いに行く方が晴れているならば気持ち良く風景も良い。川崎河港水門は水門横の説明によれば国登録有形文化財で当時の多摩川改修事務所長の内務技師金森誠之氏設計により大正15年着工し昭和3年に完成したとの事である。タワーの頭頂部は当時の川崎の名産品の葡萄、梨、桃の装飾である。

ソロモンアイズ
09 二月 2023 9:36

先日、六郷水門を訪問。他にも似た場所はないかとマップ上で探したところ、ほぼ対岸にございまた。天候も良く穏やかなサイクリング日和ペダルコギコギで参上です。こちらの水門の方が新しそうな感じだか調べてみると六郷水門より3年早い完成。改修が昭和61年3月に行われている。デザインも随分と違います。古代ギリシャか古代ローマの建築物の様な出立ちですね。個人的には丸みをおびたアールデコ調の六郷水門に軍配。とは言ってもとても綺麗で美しいです。辺りの川辺にはほのぼのと釣りを楽しむ方が多数おられましたよ、水門巡りも面白い、また伺います。

ほったゆうこ
27 十二月 2022 14:31

大師線に乗って、港町駅~鈴木町駅間に車窓から多摩川側を眺めていると見えてくる門。

川崎河港水門。

昔、多摩川を使った水運を工業に大いに利用すべく出来上がった代物らしいです。
デザインがなかなか中世のエジプトをイメージしたっぽい作りですよねー
2棟上にはフルーツバスケット!
当時、川崎名産の梨・桃・ぶどうを盛っているそう・・
言われてもじっくり近くで見ないとフルバにすら見えない気もしますが。
船のレリーフも前はあったらしい・・今ないけど。

水門でこのくらいデザインしてるのってそうそう見ないですよね。
川崎!ならではですかね!
多摩川景観に馴染みます。

やまだたかゆき
04 十月 2022 8:49

多摩川は、古くから水運に利用されてきました。

川崎においても、第一次世界大戦による好景気の中で、足りなくなった工場用地の拡大を図るため、運河・港湾計画が立てられました。
川崎河港水門は、この計画の一環として将来の発展に備えるべく、当時、多摩川改修事務所長であった内務技師金森誠之の設計により、大正15(1926)年11月に着工され、1年半後の昭和3(1928)年3月に完成しました。
この河港水門は、2本のタワーと、タワーをつなぐ梁、そしてゲートによって構成されています。タワー頭頂部には、籠に溢れんばかりに盛られた、当時の川崎の名産品であった梨・葡萄や桃をあしらった巨大な飾りが施され、また、現在は残っていませんが、タワーをつなぐ梁の側面には、レリーフ状のエジプト形式の舟が描かれており、当時の金額で54万円を掛けて造られました。
その後、運河・港湾計画は、現在の川崎区を対角線に横切る大運河計画となって昭和10(1935)年11月に運河幅員33~40mの都市計画事業として内務省の認可を得ましたが、道路のような建築制限がないため、計画予定地内に工場や社宅が建てられ、また、戦時体制へ突入など、社会情勢の変化から昭和18(1943)年3月に廃止され、幻の大運河計画となりました。
川崎河港水門は、平成10年(1998)度に、国の登録文化財(建造物)に登録されています。大正の終わり~昭和の始めにかけての平均月収は総理大臣1000円、小学校教員70円、工場勤務50円程だったそうです。生活費においては東京都渋谷区の3LDK一戸建て1ヶ月当たりの家賃が約30円、カレーライスは1皿が約12銭程度でした。この例からも水門建設にかかった費用はもちろん、鈴木商店 (現: 味の素) が寄付した金額が多大なものだった事がわかります。

三輪太郎
15 三月 2022 14:22

良い違和感を体験できる場所。重厚な石造りに昔の思いを馳せられました。
ヒビ割れの煉瓦や、もう動く事の無いであろう水門の太くて立派なチェーンなど。かつてはどんな働きをして、昔の人々はどんな想いで見たのかと一人のんびりとした時間を過ごせました。

直高伊藤
18 十二月 2021 15:33

川崎市川崎区港町、味の素川崎事業所のすぐ横に位置している。
大正時代末期、川崎市は物資の輸送をより円滑にするために川崎市内を縦断する運河を作る大規模な運河・港湾計画を立てた。この川崎河港水門は、大正15年 (1926年) に着工、昭和3年 (1928年) に完成した。
両端のタワー頭頂部には、籠に溢れんばかりに盛られた当時の川崎の名産品であった梨や葡萄、桃をあしらった巨大な飾りが施されている。
運河・港湾計画は昭和10年 (1935年) に都市計画事業として内務省に認可されたが、戦時体制への突入など、社会情勢の変化から昭和18年 (1943年) に計画は廃止された。
その後も水門は残り、平成10年 (1998年) に国の登録文化財 (建造物) に登録された。高さ約20m、幅約18.7mである。

井戸利昭
04 七月 2021 1:54

多摩川の土手の一部のため散歩やジョギングで沢山の人が通行します
立派な水門ですが余り気にしている人はいない
引き込み部の水門なので水質は悪く、かなり匂いも臭い
ただ立派な水門は一見の価値ありです

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