圓應寺
住所 | 神奈川県鎌倉市山ノ内1543 円応寺 | ||||||||||
電話 | +81 467-25-1095 | ||||||||||
時間 |
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サイト | kamakura-ennouji.jp | ||||||||||
カテゴリー | 仏教寺院, 観光名所 | ||||||||||
評価 | 4.4 10 件の口コミ | ||||||||||
Ennoji | |||||||||||
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圓應寺 件の口コミ
104月5日、雨の中歩いて行き、拝観させていただきました。しっとり小ぢんまりしたお寺ですが、像のインパクトがかなり有ります。全部の像の解説を思わず読んでしまいました。えん魔様のお経もしっかりと唱え、懺悔の時間となりました。また、訪ねるつもりにさせる雰囲気です。良かったです。
十三仏信仰は室町時代に成立されたといわれ、十王思想を発展させた、亡き人の追善供養の仏として人々の間に流布し浸透している日本独自の信仰です。
十王思想とは、亡き人は初七日から三回忌まで、十回の忌日にそれぞれの十王の前において、生前に行った善行・悪行をあますことなく審判され、悪行があればその苦しみを受けた後に、次に生じる世界(※1)が決定されるという中国で成立した思想のことです。この思想が中国の唐初期に成立し民衆に流布すると、死後の審判を生きているうちに済ませておこうという信仰と、亡き人がこの審判を受けたときに軽くまたは少しでもよい世界に生じてもらいたいという信仰が形成されていきました。
日本には平安時代にこの思想が伝えられ、鎌倉時代になり仏教が民衆に広まるにつれ、過去・現在・未来の三世にわたって人々の苦しみを救済してくださるのが仏様であることや本地垂迹説(※2)等の影響を受け、十王とは十仏が変化したものととらえられ、十王の本地仏として十仏が定められたと考えられています。
その後、室町時代になると「七回忌:阿閦如来(蓮上王)」、「十三回忌:大日如来(抜苦王)」、「三十三回忌:虚空蔵菩薩(慈恩王)」と、三つの忌日と三仏(三王)が増補され、十三仏が完成したと言われています。*鎌倉観光公式ガイドより
北鎌倉駅から徒歩15分建長寺の少し先になります。小さなお寺さんですが、十王は見応えあります。
十王と閻魔大王が並び、あたかも自分が裁判を受けているような感覚になりました。御朱印は残念ながら書き置きでしたが鎌倉の隠れたスポットです。北鎌倉から歩いても遠くなく、拝観者もまばらで静に散策する事が出来ました。
圓應寺は、建長二年(1250年)に造られた閻魔大王を本尊とするお寺です。閻魔大王は、怖い存在と思っている方が多いですが、私もその一人です。人が死んだあとに生まれ変わるとき六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)のどこに生まれ変わるのかを5・7日(35日)に閻魔大王判断すると言われています。閻魔大王が、地獄に落とした人がその罪を悔い改め心から懺悔すれば、地蔵様となって救いに来ていただける。すべての人に罪を侵さないように説いている仏様であることが理解できました。
死後の世界を順番に道案内してくれる仏様たちが飾られています。北鎌倉から、建長寺を超えて歩いていくと小さな小高い土地にこの寺があります。
閻魔様が地獄に落ちた人の苦しみ以上の苦しみを味わっているのを知って、感慨深かった。自分の生き様を考える良い空間です。ぜひ、拝観してほしい
御本尊の閻魔大王様はなかなかの迫力です。
別に悪いことはしていませんが参拝中も常に
睨まれている感じで気が引き締まります。
落ち着いた雰囲気の小さなお寺なので、ゆっくり
参拝できました。
鎌倉駅から少し離れたところにあるので、行きはタクシーで鎌倉駅から1000円、帰りは小町通りを通って歩いて帰りました。
静かな場所で、空気感が気持ちよく、閻魔様は迫力があり、懺悔してきました。一つ一つの像にも解説があり、じっくり見てきました。とても分かりやすかったです。
大人(300円)がいると、中学生は無料で入れました。
春で、裏山のお花もきれいに見えました。
行ってよかったと思います。
入り口は巨福呂坂切通のすぐ手前にあります。
境内はコンパクトで仏像の展示がメインであり、写真映えしそうなスポットはあまりありません。
拝観料は200円です。
死後、どの様な裁きを受けるか謎ですが、閻魔大王様が我々の代わりに裁きを受けるとのこと。
死んで初七日、49日と死んだ人が裁かれ、その後えん魔様が裁かれる言伝えには、子供の頃聴かされていたこととは (イメージとは) 違ったので、驚きました。