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旧横浜ゴム平塚製造所記念館

住所 神奈川県平塚市浅間町1−1−1 八幡山の洋館
電話 +81 463-35-7114
時間
火曜日09:00-21:30
水曜日09:00-21:30
木曜日09:00-21:30
金曜日09:00-21:30
土曜日09:00-21:30
日曜日09:00-21:30
サイト hiratsuka-yokan1906.jp
カテゴリー 地域歴史博物館, 観光名所
評価 4.1 7 件の口コミ
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旧横浜ゴム平塚製造所記念館 件の口コミ

7
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
Saysho
07 十一月 2023 17:26

無料で見学することができる洋館です。
このような素晴らしい建築を無料で見学することができて感謝です。
職員の方も基本的には親切丁寧な対応です。
ですが以前に問題職員に一度出会ってしまったことがあります。
この施設は特別な有料イベントでない限り無料で見学できるはずなのですが職員から金銭を要求されることがありました。
おかしい!と抗議をしたら、これから掃除だから帰って欲しいと言われ営業時間内にも関わらず帰らされるハメに。
これはさすがに運営元の市の方に連絡しました。ですがその対処は不明でまだその悪質職員が勤務してるかも不明です。私のようにおかしな職員に変なことをもし言われたら毅然とした態度で断り市の方に通報をお願いします。

そんなことがあったためトラウマで数年足が遠ざかっていましたが、2023年に再度訪問した際は親切な女性職員が対応してくれて満足な訪問になりました。
季節によっては素晴らしいバラも見ることができます。

Chie
19 六月 2023 17:57

ちょうど春バラが咲いていて、洋館の周りを華やかに彩っていました。
薄ピンク色の洋館とマッチして綺麗でした。
オオスズメバチの女王バチだろうと思いますが、1匹バラの花々を飛び回っていました。食事中なのか、警戒されることなく近づいてはきませんでしたが、巣を作る前だからだったのでしょう。
夏から秋にはこちらか隣の神社辺りで、働きバチも飛び回るようになるかもしれないので、ご注意下さい。

G, Sumi
31 五月 2023 14:41

5月上旬に行きました。100種類200本のバラが見頃でした。館内は会議室2部屋と応接室・展示室があり、会議室は使用中だったので、応接室を見学しました。無料だったのですが、帰り際に寄付をすると、折り紙のカブトとバラを頂きました。ありがとうございました。

スーパーハリウッド
08 五月 2023 1:43

横浜ゴム平塚製造所から移設した建物で見学できます。

るい
07 五月 2023 5:49

八幡山公園にある可愛らしい洋館。
時々 音楽イベントや 季節のイベントが催されることがあり、何度か室内を見学させていただいています。

i qqq
29 三月 2023 3:48

当館は、八幡山公園内にあり、平塚市内でも残されている最も古い明治期の洋風の建物として、当時の面影を残している珍しい建物故、スケッチをする人も何人か見かけた。現在は、同建物は、横浜ゴムより平塚市が贈与を受け、歴史的建造物として管理しており、建物内も無料で一般に公開され、また随時地元のサークルなどに部屋を間貸しされて利用しているようである。明治中期、日本と英国との間の日英同盟締結に基づき、日本政府と英国会社3社との間で「日本火薬製造株式会社」が設立され、平塚のこの地には多くの火薬工場が造られたらしいが、その時、明治44年工場の製造管理に当たったイギリス人技術者の駐在施設として敷地内に建てられたのが、当館の始まりだといわれる。その後、同社は、大正期には日本海軍に買収され、火薬工場は日本が管理することとなったが、この一帯もそれから震災や太平洋戦争時平塚大空襲のターゲットとなる等、焼け野原と化し、多くの建物が消失するなどの大きな被害を被ったりされたが、当館は、奇跡的にも大きな損害を受けず、現在まで残ったとされる。戦後、横浜ゴムが大蔵省からこの一帯の払い下げを受け、戦後この地はゴムの製造工場が多く建つ地区になったらしいが、現在は、きれいな公園となっており、当時のこうした面影はほとんど感じらせられない。戦後は、同社が当館の歴史的価値を尊重し、社交や公共の場として提供するなど当館の存続に努めてきたとされる。明治期以後の平塚復興の象徴として、平塚において当館の存在価値を感じさせられる。

tooru
22 二月 2023 7:28

訪問前に日本火薬製造のイギリスの技術者のために建設された宿舎という情報を見ていたのですが、集会所兼娯楽施設でした。寝室に使える間取りはありません。

名称が一番最初のではなく横浜ゴムなのは、移築前に横浜ゴムが文化財登録した際の名前です。文化財として使い続けるために、登録時の名称変更ができないルールに従っています。

内部は移築時に一部を戻してあります。南東の部屋のマントルピースです。建築時はホールとなっている方にもマントルピースがありました。震災時に煙突が壊れてそれ以降は扉になっていたのを移築時に復元しています。

照明も震災時に壊れたため、昭和5年につけられたものに置き換わっています。

戦後は進駐軍に接収されていました。横浜のホテルニューグランドと同じく意図的に空襲対象から外されています。

ここまでの内容、全て係の方に教えて頂きました。私の質問にお付き合い頂きました。ありがとうございました。

横浜ゴムから引き継いで移築して活用している平塚市に感謝です。

ホールが音楽イベントで使われると見学できない、マントルピースのある部屋も控室になるので入れなくなるそうです。

展示室には建築直後からの平面図や火薬工事時代の引込線がかかれた地図があります。基礎煉瓦も展示されており、金町煉瓦の刻印が確認できました。

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