史跡法華堂跡(源頼朝墓)
住所 | 神奈川県鎌倉市西御門2丁目5 |
電話 | +81 467-61-3857 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/hokkedo.html |
カテゴリー | 史跡, 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.8 23 件の口コミ |
Grave of Minamoto Yoritomo | |
最寄りの枝 |
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史跡法華堂跡(源頼朝墓) 件の口コミ
23鎌倉には観光で来たことがありますが、頼朝や大江広元らの墓は初めて訪ねました。これも大河ドラマのお陰です。静かなところにあるんですね。鎌倉時代この辺りはどういう風景だったのだろうと思いを馳せました。
鎌倉幕府を開いた人の墓とはとは思えない、静かな場所でひっそりと眠っているようでした。でも何かパワーをもらえたような気持ちになります。鶴岡八幡宮の鎌倉国宝館脇から徒歩約10分くらいです。階段横には源頼朝を祀っている白旗神社もあるので、そちらのお参りもおすすめです。
頼朝を信仰しているボランティアがいます。もう境内を登る前から「あの公園でうるさく喋るな」と言われ、墓の写真を撮ってもらおうとすると、「年下の下請けはやらねぇ。さっさと帰れ」「お前らキリスト教か」といわれ、「金をもらったら許す」「なんで金も持ってない奴を許さなきゃいけねぇんだよ」と言われました。教育委員会の方々、何とかしてください。
頼朝は武家政権を樹立した功労者ではあるが、その業績に反して正当な評価はされていない。それは一族郎党を死に追いやったからだろう。義経はともかく、自分に忠実だったもう一人の弟である範頼も死に追いやっている。
頼朝にしてみれば、自分こそが源氏の頭領であり、その他の源氏は誰であろうと自分に従うべきという意識が強かったでしょう。また彼はよく言えば慎重、悪く言えば猜疑心が非常に強い性格で、その事も起因していると思う。
頼朝の死も落馬説や怨霊説、糖尿病説など諸説紛々だ。いずれにせよ、あまりいい死に方では無いと思う。
歴史ある鎌倉の観光名所。源頼朝が眠る神秘的な場所。意外と訪問される方が多く驚きました。約800年前の時代を築き上げた偉人を求めて多くの方々が訪れてます。メイン通りから離れた場所にありますが、訪れる価値あり
地元ボランティアの方が観光客に北条義時の墓に行く近道の山道は通行止めで危険と呼び掛けてました。
階段は結構急ですので雨や雪の降った日には要注意です。
大河ドラマの影響で平日にも関わらず混んでました。
武士の歴史、侍の時代を切り開いたと言われる人物の墓としては地味な印象。喧騒から離れて、木々が鬱蒼と茂りしっとりした空気で特別な場所のように感じられた。落馬が直接的な死因かはっきりせず、妙に引き込まれる。
歴史好きなら一度は訪れたい。親子兄弟や親戚で殺し合い、孤独と、陰謀に恐れて生きた時代を想像してみる!
観光地としての案内は派手にされず、マニアむけなのでしょうか。
ここが、源頼朝の墓です!
ここも、修学旅行依頼で、鎌倉殿13人を観てるので、また、観に来ました!
懐かしいかったです。
後法華堂だったは、始めて知りました!
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に影響されて訪れてみました。
鎌倉八幡宮から徒歩で数分のところにあり、階段を上った森の中にひっそりと佇んでいました。
かつて日本を治めていた武将の墓ですが驚くほど飾り気はなく、質素倹約を旨とした鎌倉武士の墓だなと感じました。
【源頼朝さんのお墓=法華堂跡地】
鶴岡八幡宮からほんの少し住宅街に入ると案内看板が見えてきて、徒歩で行ける距離でした。
鶴岡八幡宮の賑わいとは変わり…静かな場所です。
お墓の前まで行くには…階段があります。
法華堂跡地だということもあり、お墓と案内看板以外は何もありませんが、グリーンが鮮やかな落ち着く場所でした。
鶴岡八幡宮からこちらへ参拝する間に、大蔵幕府跡地の石碑もありましたよ。
この地を訪れた豊臣秀吉は、そちとわれは似ているの。でも百姓からのぼりあがった我はそなたに勝ったといったとか言わないとか、、、。源頼朝は後世からは勝者として認められ、当然とされているが、当時はそうではなかった。波乱万丈の中、彼は歴史上の表舞台に上がり、そして鎌倉は北条氏の世になり、武家支配の礎になった。墓を見て寂しいと思うのは現代人の感覚かも、、。ほかの執権の墓を見ても豪華な墓などない。その生きざまこそ問われるのであって、大地に帰っての墓の大きさについて問われる時代ではなかったのだろうと思うところ。
頼朝公のお墓は階段を登った先にあります
ボランティアの男性に
詳しい話を聞くことができます
お墓だけではなく一帯の山が頼朝公のお墓であると、そう考えると大きいお墓だと思います
日光みたいな雅はありませんが
侘び寂びを感じられる場所だと思いました
幼少より慣れ親しんだ鎌倉の町
源頼朝公は生活の中で最も身近に感じられた偉人であります。
墓所は八幡宮の裏手にひっそりとあり、現在の繁栄の町並みを見下ろしていらっしゃいます。
2020年4月21日自転車で訪れました。急な石段を登ったところにある古い石塔が頼朝の墓です。以前ここにあった法華堂が頼朝の墓所とされていたが廃絶されてしまった。江戸時代に島津家藩主が石塔を建てたとのことです。北条氏の陰謀で滅ぼされた頼朝の血筋の儚さを感じます。
白旗神社横にある階段の頂上にある立派な囲いと立派な木がそびえている鎌倉幕府を開いた初代征夷大将軍・源頼朝公のお墓
だけど意外と墓はあっさりとしていてビックリ
そして墓の裏に回ってみると源頼朝公の後ろに可愛く隠れて守られているかのように小さなお墓もありなんだか意味深な感じがした
また源頼朝公のお墓の横には源頼朝を慕っていた島津氏の祖である鎌倉幕府御家人で武将の島津忠久公も死んでも忠誠を誓う形で寄り添って墓がありました
JR鎌倉駅東口改札より徒歩20分。
鶴岡八幡宮の東側の住宅街の中の山の上にあります。
清泉小学校を右手に見ながら桜並木のトンネルを抜けると正面に急な階段が見えてきます。
建久10年 (1199年) 1月13日に
前年の稲村ヶ崎での落馬が原因で亡くなった鎌倉幕府の創始者・源頼朝のお墓です。
頼朝の亡骸は大倉法華堂 (現在の白旗神社) に葬られました。
その後、今の墓は江戸時代の
安永8年 (1773年) に頼朝が創建した持仏堂跡に島津氏より建てられたものだそうです。
数十段の急な石段をのぼると
正面に石を積み重ねた2mほどの塔が立っています。
ひっそりとした空間に質素なお墓でした。
山全体に神聖な空気が流れています。
鶴岡八幡宮のすぐ側にありますが、訪れる人は意外と少ない印象です。現地には地元のボランティアの方が丁寧に説明をしてくれます。武家の棟梁として初めて征夷大将軍に任官され、以降続く武家政権の礎を築きました。この隣に北条義時の墓もあります。
Not much to see. Stone stairs leading to the grave of Minamoto Yoritomo. Just a small stone pagoda. On the side of the hill, in the woods.
鶴岡八幡宮から少し歩くと鎌倉幕府の開祖である源頼朝の墓所がある。初の武家政権を打ち立てた人物の墓所としてはかなり地味と言うか質素な造りである。後の江戸幕府初代の徳川家康の日光東照宮程ではなくとも功績に見合う扱いがされているようには思えない。