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星谷寺

住所 神奈川県座間市入谷西3丁目12
電話 +81 46-251-2266
時間 08:30-16:30
サイト www.shoukokuji.or.jp
カテゴリー 仏教寺院, 観光名所
評価 4.1 19 件の口コミ
Shōkoku-ji Temple
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星谷寺 件の口コミ

19
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
みず
07 九月 2022 20:25

板東三十三観音八番札所です。こちらには七不思議があり、坂上田村麻呂ゆかりとのことでとても歴史があります。地図はありますが全部は確認できませんでした。
御朱印はコロナ禍ですが記帳いただけました。ありがとうございました。納経料は券売機でなのがおもしろい。
駐車場は門前の空いているところに。仁王様や七不思議の鐘、大銀杏が出迎えてくれます。ゆっくりしたくなる雰囲気。座間のこの辺りは、町中でもなぜか山の気配が濃い気がします。

八福神
29 八月 2022 7:42

本堂の横に社務所があります。中に入ると券売機があります。そこで券を購入してくださいといわれました。ビックリしました。コロナの影響かな?御朱印は500円です。駐車場は広くないですが無料でした。

スーパーハリウッド
17 六月 2022 5:39

坂東三十三観音第8番札所、妙法山星谷寺真言宗大覚寺派の寺院です。小田急線座間駅から徒歩圏内ですが駐車場もありますので車で参りました処、周辺は住宅街で車の通行量も割とあり路線バスも通ってました。お詣り前の情報では「星谷寺の七不思議」伝説があり古寺を想像してましたが、訪れた処綺麗に整った近代的な寺院でした。しかしながら長い年月経過した文化財保護に近代技術を取り入れた事だと思います。境内の巨木を活かす配置は見ごとでしばらく眺めておりました。ご本尊聖観音菩薩様ヘお詣りにの後に、御朱印を授かりに納経所へ伺った処、窓口横に券売機がありました。

Nao
03 四月 2022 20:57

2022/3/1
七不思議のある星谷 (しょうこく) 寺。
お寺はキレイにされていて、大きなイチョウの木があるので、秋にはステキな景色になるのでしょう。
大好きな水琴窟があったので、音が聞けると期待したのですが、残念なことになっていた。

KAZUMI
04 二月 2022 22:27

坂東三十三観音
第8番 妙法山 星谷寺(星の谷観音)

納経所の中に券売機があり、そちらでお支払いしてから朱印を頂くシステムで、驚きました。コロナの感染予防対策バッチリという感じです。
お寺の七不思議の星の井戸。井戸ってイメージ的に怖く、恐る恐る覗いたらとても綺麗。天気の良い日だったので底に綺麗な青空と自分の顔が映ってました。

瀧川直樹
19 一月 2022 2:29

坂東三十三観音の8番。
丁度良い季節で銀杏がとてもキレイで感動すら。落ち着きのある場所ではあるが駅からも近く便利な感じ。
この季節が一番良い季節。是非とも一度は行ってみて下さい。

## 信明
19 十二月 2021 7:07

武田信玄が将来この地を中心に天下を治めようとしたという伝承に惹かれて参拝。高台に立地しており確かに陣を敷くに相応しい所だと感じた。さすが信玄、さすが座間基地の米陸軍である (西側を南北に貫く県道46号を走ると実感してもらえると思う) 。お寺は綺麗に整備されていて真新しさを感じた。駐車場も広くお参りしやすい。

こうじゃんてこうちゃんて
26 十月 2021 16:15

入り口にある2体の仁王像がとても美しい
梵鐘は国重要文化財だからなのか鐘付きは出来ません笑
巨大なイチョウの木があります
秋になると見られる黄色い世界は圧巻です

ち clementia
31 七月 2021 16:42

真言宗・大覚寺派の寺院。
座間駅より徒歩5〜10分ほど。駐車場あり。
国指定の重要文化財の梵鐘がある。

法人名は「宗教法人星谷寺」。「妙法山 持寶院 星谷寺 (みょうほうざん じほういん しょうこくじ) 」と号する。

行基による開山の伝説、寺内に「星谷寺の七不思議」を持つ。
また「甲陽軍鑑」によると、武田信玄が天下統一の暁にはこの付近 (「ほしのや」) に幕府を開こうと考えていたと言われる。

寺院境内、堂宇はとても綺麗でよく掃除されている印象。

N. YAMAMOTO
01 七月 2021 18:46

坂東八番札所。奈良の昔、行基の開基という。そりゃまあ後世の加上の類だろうが、この一帯で古代からの寺院と言えば、ほかには国分僧尼寺くらいしかないのではなかろうか(国分寺は公共事業だったが、こちらはどうだったろう、豪族の私寺でもあったか)。
今、何の気もなく国分寺を引合いに出したが、うまいこと言ったな。この寺と国分寺は地層的に同じレベル、すなわち台地と洪積地と中間の段丘に位置している。こんにち座間杉久保線と称される県道は、星谷寺門前を起点としてこの段丘面を縦走し、国分尼寺・僧寺をかすめて南に通じている。この道の終点は古代東海道だったのではなかろうか。いわば古代の地方道とも言うべき道の痕跡は、境内を越えた北側には地図をみてもなさそうに見受けられる。まさにこの門前が起点なのだ。と言うことは、とりもなおさず寺の方が道路よりも古いということだろう。
この段丘の東側は谷戸山という高みで、今は水の豊かな公園となっている。反対の西側は洪積面に向って下る。どちらの斜面にも古代の横穴墓が複数残っている(東は鷹番塚、西は梨の木坂横穴墓群と一括されている)。いずれこの丘陵上でもない洪積地でもないベルト地こそ平坦で水利も良く、古代寺院を建立するには一等地だったのに相違あるまい。なお洪積地にも古社寺があるが、丘陵上には古くからのものはない。そして洪積地の寺社の多くが湧水を擁しているのは、偶然ではなかろう。
さてここの札所本尊は聖観音で、これまた行基作という伝を持つが、観音堂の外陣からは拝することもかなわず画像も見当たらないので何とも言えない。私には幻の現存像だが、文化財指定もされていないことから察して、およその年代の見当はつくというものだ。
本尊の納まる観音堂は欄間の天女が鮮やかで、江戸おそらく中頃以降の建物に紛れもない。向唐破風付で反りのきつい寄棟屋根は、当初は茅葺だったと思しい。往時の巡礼者には遠くからも望まれ恰好の目印だっただろうが(今でも小田急線で注意していれば車窓からそれと眼につく)、どちらかと言えばつつましやかな部類に入るだろう。
この寺については考えるべきことが多々ある。
奈良時代草創の寺院には、大概古瓦の類が伝わっていて、玄関などに陳列されていることが多い。だがこの寺では破片ひとつも眼にしなかったし、ネット上で画像に行き当ることもない。寺域が発掘されたことがないのだろうか。
古代寺院の遺跡を歩くと、布目瓦の断片を見つけることがある。相模国分寺跡は数次に亘る発掘調査が実施され遺跡公園としてきれいに整備されたが、それでも古代の瓦片を見つけるのは難しいことではない(国分尼寺跡も、僧寺ほどではないが同様だ)。星谷寺の境内は舗装されているから表面観察が難しいのは当然ではあるが、ネットでも遺物一片すら眼にすることがないというのはいささか訝しい。
この疑問はどう解決したらいいだろうか- ザっとしたところ、ふたつは考えられる。
ひとつめの解は観音堂のくだりで既に出ている。現在の観音堂も前身堂宇も、創建以来瓦葺ではなかったという理解。思えばこの寺には塔があったという伝えも見聞しないが、よほど小規模な寺院だったのだろうか。それとも後世に遺跡が削平されたのだろうか。今ともなれば塔の有無など知るべくもないが、どうもこの規模感と言い伝承の古さと言い、横浜の弘明寺に似ている(ここも坂東札所だ)。ただし、弘明寺は平安期の本尊が現存し、古瓦片も出土している。そんな大きな違いがあるのだが、どうも類似性を感じる。
小規模な古代寺院が今に至るまで法灯を伝えているというのは、奇蹟的とも言いたくなるほど大変なことだ。寺院というのはお詣り関係(参拝、祈祷、供養等)のほか、修行や修学のためある程度の規模を必要とする。つまりはランニング・コストがかかるのだ。例えば国分寺は、原則的に日本国の66の分国に公共事業で建造され維持も国費でなされた、国立の機関だった。それゆえ、交付金が途絶すると、たちまちもとの規模を維持できなくなった。星谷寺や弘明寺が修行・修学の拠点となるような国立の機関ではなく、地域の信心の核となるお詣り関係だけで今に伝わった感が強い。
そういう次第だから、お詣り関係だけで法灯を伝え続け得た寺院は、草創期にビルト・インされた伝播力がよほど高かったということだろう。だからこそ坂東札所にさえなったのかもしれない。その電圧の高さは、星谷寺の場合は行基という伝説的存在に仮託し、弘明寺は鉈彫りの霊像をよりどころとしたのだろう。何とも美しく素晴らしい歴史のリレーだ。
もうひとつの解釈、これはよほど意地の悪い見方だということを、予めことわっておこう。
坂東札所は鎌倉初期に成立したという。この霊場の草創は本当はその頃のことで、行基伝説がセットで創建されたのではないか。実は信綱がファウンダーの一人だったのではないかという解釈だ。だがこの考えはあまりに皮相というものだろう。マッチポンプで申し訳ないが。
もし寺院としての成立は奈良期でなかったとしても、何かしら核になる仏像ないし仏像らしきものと、それを祀る祠というか草堂があったのだろう。仏教公伝からほどもなく古墳築造の最末期に当る女帝の時代に、わずか一寸八分(約3cm)の物体を、仏像だと見極める識見のある人が、草深い浅草に存在したかと想像を巡らせば、その辺の機微も察しがつく。それは、またも口の悪いことながら「鰯の頭」に幾かったかと思われる。
もっと想像の翼を拡げれば星谷寺は、落下した隕石に端を発するのかもしれない。寺号はそのものズバリで、寺の周りには星野姓の家が複数あったりもする。境内に湧く水も星の井の名を負うている。これは卵と鶏の譬になってしまいそうだが、鎌倉・極楽寺坂の長谷側の麓にある虚空蔵堂脇の井戸を星月の井と称するのが気になる。どちらも真言の寺だ。天体に関する信仰が仏教に先行していて、星供の法を修める真言密教の網が後から被さったのではあるまいか。
どうも星谷寺は、周囲に上古墓が先行して散在している=古代的評価での好立地にあること、国分寺(聖武天皇は国分寺に好地を卜せよと詔した)と同じ段丘にあることから、規模はどうあれ淵源は古代にあると思われる。
それに何よりも道だ。古代の官道は驚くほど直線だったという。国分寺方面からこの路を辿ると、まさにブチ当たるように門前に達する。その真っ直ぐ加減を思うと、どうにも古代的としか言いようがない。
ああ今回もタップリ空想を楽しんでしまった。

sss
30 四月 2021 2:28

トイレ探してしまった…無くて近くの公園のトイレまで。焦った。掃除の行き届いた名刹。行基開基の伝説あり。坂東札所。付近は、いにしえの相模の里 (さと) に思いをはせるのにふさわしいロケーション。手頃な距離に寺社仏閣が散りばめられています。訪ねたときは桃の花が見頃。どうぞ半日散歩に、お好きな花の季節にお訪れてみて下さい。

スズヨシ
06 三月 2021 0:35

小田原北条氏分国の頃、陸奥守氏照出陣の時境内を本陣とした寺でこの地は武田信玄が天下掌握の後、関東を中心とした国家構想を考え、相模國ほしのや (座間市入谷) が日本一の名地として、ここにその国家の中心となる新鎌倉を築こうと考えてい場所に有るお寺です!

Ayustet
01 一月 2021 8:41

坂東三十三観音霊場第六番札所。
住宅街にいきなり現れます。よく、住宅街でも少しこんもりとした山にあることはありますが、ここは民家のど真ん中という感じです。
仁王門は無く、仁王像が正面に立ち塞がります。その姿は立派そのものです。更にその背後には、銀杏の大木がたっています。秋には美しく彩り、参拝者をもてなします。
寺院の前が参拝者用の駐車場になっており、そのまま直ぐ参拝できる形です。仁王像の間を通り、銀杏の大木を過ぎ、目の前が本堂になります。敷地は小さいですが、それなりに立派です。

加藤良泰
06 十一月 2020 6:17

座間駅前の通りを真っ直ぐ進めば大銀杏と石像、鐘楼と見応えのあるお寺さん、参道は綺麗な石畳で中間の太鼓橋はトラップ並みの段差!静で参拝者も皆無、ご朱印は社務所で券売機での購入で今時風?通常は書き置き、坂東三十三観音でのめぐりは丁寧に書いていただけました。

市村寿男
22 三月 2020 4:43

坂東八番札所。小田急座間駅から歩いてお詣りした。今は住宅街の中にあるが、聖武天皇の御代、諸国を巡っていた行基が山野に星が輝くように見えたこの地に聖観音を彫り、お堂を建てて納めたのが始まりとのこと。あたりは、かつて緑の輝く谷だったということだろうか?

ちゃんまぁ
02 九月 2019 11:15

ここ1箇所しかないと聞いて∑ (๑ºдº๑)!
静かなところにあります。

今どきなんですねっ!
御朱印など~、自販機でチケット購入するシステム(笑)
ガヤガヤしていないところなのが、
とても良かったです

星賢二
24 十月 2018 9:52

以前、知人の葬式でこちらに伺いましたが、座間の星の谷観音に改めて参拝しました。
ゆっくりと境内を眺めると迫力のある仁王さまが目に入ります。
朝早めに伺いましたが参拝客がすでに3組ほどいらっしゃいました。

花井芳枝
05 四月 2018 6:00

寺院自体は、駐車場で車を降りた所で新しい雰囲気を感じましたが、流石に納経所で御朱印を戴く際に、自販機で食券を買うみたいに、納経帳何枚とか買うのは とても寂しく、人とのふれ合いを拒否されているようでした

G KATO
26 六月 2017 2:07

ここは奈良時代に建立されたお寺観音さまで、境内には銀杏の大木が二本あり、秋には紅葉が見事です。今は春、涼しい風が吹き抜け気持ち良いです。星の井戸があり、昼間でも覗くと星が見えました。
座間の良いトコ発信

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