生麦事件碑
住所 | 神奈川県横浜市鶴見区生麦1丁目16−14-2 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | city.yokohama.lg.jp |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.3 9 件の口コミ |
Monument of Namamugi Incident | |
最寄りの枝 |
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生麦事件碑 件の口コミ
9 英仏蘭米の4カ国と結んだ『横浜居留地覚書』に基づき、
「競馬場」「遊歩道」「鉄砲場」
が本牧~根岸に造られた。
その名残が「根岸の競馬場」
この事件で切られたリチャードソンは、山手外国人墓地に眠っている。
ここは国道に路駐なんてできない。徒歩・自転車じゃないと立ち寄りにくい場所です。国道走行時にちらっと見えるし、箱根駅伝ではいつも説明付きで写る場所です。
最初行った時、道路の高架橋が通るなんて思いもしなかった場所です。
現在場所が移動国道沿いすぐの場所から、国道から離れ奥へ移動したようで、周辺を綺麗に整備されたみたいです。
事件発生場所と離れていて場所も分かり辛い。
バイクで行ったので5分位で撮影。
駐車場も無く一方通行の出口付近なので、普通に通り過ぎてしまいます。
事件碑を見るだけになります。
入口の左側をフェンスに沿って進むと近くに生麦事件ゆかりの井戸跡の位置を示す小さな石碑があります。生麦事件発生現場で深傷を負ったチャールズ・レノックス・リチャードソン (Charles Lennox Richardson) が馬で逃げて意識が薄れたのか落馬して井戸にもたれ掛かっていたところを追っ手に発見されたのですが、水神様のいる神聖な井戸では介錯出来ずに生麦事件の碑がある位置まで引き摺り、落命させた事から後に供養の為に石碑が建てられています。
生麦事件発生現場、生麦事件ゆかりの井戸跡、生麦事件碑、生麦事件参考館で4点セットになっています。生麦事件参考館については電話予約がないと見学は難しいようです。常時開館ではありませんから、館長不在だと入館は出来ません。
生麦事件犠牲者のお墓は中区山手町「横浜外国人墓地」にあり、「ウィリアム・マーシャル」「チャールズ・クラーク」「チャールズ・レノックス・リチャードソン」が埋葬されています。一般人は入れないのですが、生麦事件参考館の館長の紹介で見る事ができます。
考えるな…感じろ…! あの日、腹を刀で斬られて、臓物を落としながら、リチャードソンがここまで必死に逃げて「水を…」と呟いていたのを、薩摩武士にとどめを刺された様子と周囲の街並みを (現在とは全く異なると言っていいくらい、景観が違うはず。当時はハイウェイもコンクリ道路も鉄筋アパートもないから)
キリンの敷地脇/高速下という凄いところにあります。薩英戦争のきっかけになった事件です。
コロナ禍なので遠出は諦め、チャリで近所のマイクロツーリングをしてますが、やはり明治時代の史跡が多く、なかなか面白いです。
場所は、横浜市鶴見区生麦1丁目 。ここは、生麦事件の犠牲者・チャールズ・リチャードソンが絶命した場所に「生麦事件の碑」が立てられています。
リチャードソンはここから東へ700メートルほどのところで、他の英国人3人とともに島津久光の行列に無礼を働いたとして、薩摩藩士に斬りつけられ、腹部を切り裂かれたまま横浜方面へ逃走したが、力尽きてこのあたりで落馬し、追ってきた薩摩藩士にとどめを刺されて絶命しました。
その後の薩英戦争にもつながる外交問題に発展しました。明治16(1883)年に鶴見の黒川荘三が英国人の死を悼み、事件の風化を防ぐため生麦事件碑を建立しました。毎年、事件のあった8月21日には記念祭が行われているそうです。
生麦事件。きっとこの名前は誰しも聞いた事があると思います。
その生麦事件の碑がこちらに残されています。
ひっそりと殆ど人が来ないような場所にありますが、綺麗に整備されてました。