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有鹿神社

住所 神奈川県海老名市上郷1丁目4−41
電話 +81 46-234-4763
サイト arukajinja.jp
カテゴリー 神社, 観光名所
評価 4.4 23 件の口コミ
Aruka Shrine
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有鹿神社 件の口コミ

23
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
土屋ジョー
04 八月 2022 21:58

とても冗談が好きな神社のようです。 (笑)
神仏集合の名残で鐘がありますが、「鳴らせませんが物足りなけれざ、口で、ゴーンゴーンと言ってください (笑) と書いてあります (笑) 」
パンダ宮司には会えませんでした。

川崎綾子
12 七月 2022 16:29

パンダ宮司さんがいると書き込みがあったので海老名ではそこそこ有名な有鹿神社へ。
残念ながら動いてるパンダ宮司さんはいなかったけど神社の行事のときは現れてくれるみたいです。(笑)

user
06 七月 2022 0:52

あるか神社
不思議な神社
たまたま神への舞をやってました。
パンダ、アライグマ? 、ネギ宮司
楽しませてもらいました。
ご利益ありそう。

海原スーザン
03 七月 2022 21:27

もし君が生きる事に困窮したならここに来れば良い。

おそらく、ここがそういう場所だと思う。

当事者として言わせて貰うが生きる為の努力をしてる者に対して言う。

救いあれ。

この祈りこそ本物であれ。再生を。

tsuyoshi
29 五月 2022 23:38

2022/05/14追記
RICOH THETA Xで撮影してみました。
パンダ宮司とのコラボです。
-
一時期は寒川神社より大きかった神社です。拝殿の天井龍絵は迫力があり素晴らしいです。

Shigeyuki
29 五月 2022 19:25

御祭神は有鹿比古命 (あるかひこのみこと) という記紀には登場しない神様のようですが、太陽の男神で、地元の人々によって永い間大切に護られ祀られてきたことが感じらる
早朝だったせいか、名物のパンダ宮司には会えませんでしたが、そこかしこにパンダグッズが配置されていて、親しみを感じます

高橋直人
18 五月 2022 4:14

神奈川(相模国)の中心(へそ)に位置する神社で、主祭神は有鹿比古神・有鹿比女神です。相模国最古の神社とのこと、神職さんは常在ではないので御朱印が欲しい方は電話で呼んでください。とのことです

星賢二
22 四月 2022 13:26

パンダ宮司やネギ禰宜で話題の神社です。相模国では最も古い神社と言われています。
年季が入っておりますが境内は手入れが行き届いております。

御朱印は書き置きが置いてありました。電話したらちょうど向かっているとの事、折角なので書いていただきました。
2022年3月現在、御朱印は有鹿神社本宮3種類 (社印のみ・鹿有・大熊猫有)
と兼務社3種 、有鹿神社奥宮・諏訪神社・浅間大神を拝受出来ます。
御朱印待ちの方にはうまい棒が頂けます。対応して頂いた神職の方は良い方ばかりです。

駐車場は広く停めやすいです。
桜の季節には神社裏の相模川沿いの遊歩道を三川公園方面に花見しながら歩けますよ。

佐々木勝義
25 三月 2022 12:32

有鹿神社の真裏の相模川サイクリングロ―ド、神社の脇裏の、横須賀水道橋の付け根付近は、転落防止柵内に、石が出ていて自転車や、散歩等は、日暮れ時や夜間は懐中電灯 (ライト等) を点灯しないと、非常に危ないので、充分気をつけてください
️️

Shinoda
21 二月 2022 13:08

パンダ宮司&ネギ禰宜
とある機会に有鹿神社を知り、ネットで検索したらパンダ宮司やネギ禰宜なるものがあるということで興味本位で出向いてみました。予想に反して広い境内に整った外観、そして由緒ある神社であることに驚きです。パンダ宮司&ネギ禰宜本人には会えませんでしたが、それらしきものを目にして大喜びしました。楽しかったです。

齋藤若菜
08 十二月 2021 5:43

御朱印をお願いしに伺ったのですが、2回不在.
3回目に伺う前に電話をして確実にいらっしゃる日に参拝しに伺いました。
とても面白い神職様で、お祭り等では被り物をされたりしています!
地元の親しみやすい神社さんです。

安達正軌
29 十一月 2021 1:27

延喜式内社、旧郷社。
奥宮、中宮、摂社もある由緒あるお宮です。
パンダ宮司やネギ禰宜などで注目されるようになる前にお参りしました。注目されるのは悪いことじゃないと思います。

小島庸和
11 七月 2021 19:01

一、はじめに
現在の海老名市をみると、相模川のつくる扇状地の左岸中流に位置する大地であって、相模川に沿った西の平地と東の相模横山の台地からなる。

これは、現状を説明するのであれば間違いはない。
しかし、地域を歴史の流れの中でとらえるならば、地名も、範囲も異なって来ることを認識しなければならない。地名や範囲はほとんど中世の頃に変更されているからである。

そうすると、古来、この地域を海老名と呼んできたような前提で取り上げる見解は歴史というものを理解できていない。

二、 有鹿郷
この大地の地名を記す最古の資料は、平安初期の和名類聚抄である。これによると、大化の改新の頃から平安中頃まで、相模国の高座郡に属する「有鹿郷」といわれることがわかる。

大化の改新より以前、相模国は、相武国、師長国、鎌倉の別に分かれていたことが知られている。それでは、相武国の中で「何という地名か」「どんな範囲を持つか」を明らかにする資料はない。

三、 有鹿郷の官社と官寺
惣国風土記によると、「天智天皇3年、初めて神礼を行う」という記述がある。したがって、この頃には有鹿神社が鎮座していたことは事実である。

古社の例からみても、この頃、仏教の寺院建築に刺激を受け、常宮(常設社殿)が建築されていた事実からも明らかである。

有鹿神社は、現在も、有鹿の森に鎮座し、海老名市総鎮守として、この大地や市民を守護し続けている。

これに約百年遅れて、台地の上に国分僧寺と国分尼寺が建立される。これらは平安の昔、地震によって倒壊し、現在、国指定遺跡として残っている。

海老名にではなく、有鹿郷において国分寺の建立がなされたことを確認する。

四、大化の改新により、海老名耕地に古田条里制に基づく区分田が敷かれるたことは現在の面影を見ても明らかである。横須賀水道路の建設にあたり、農耕具の遺物が発見されている。

この起点となるのは、一大縄と明神大縄の交差点である。有鹿神社の南方向にある。その結果、有鹿郷には、東に官寺の国分寺、西に官社(延喜式内社)の有鹿神社が対峙していた。

このような事実は既に明らかであるにもかかわらず、アド街ック天国の海老名編で「国分寺よりもすごい神社かある」と指摘されるまで、従来、無視されて来た感がある。 国分寺の観光を主導してきた考え方によるものである。

五、このような誤解が生ずる原因をさぐると、この地形に由来する住民意識の相違ではないかと考える。低地の住民は、絶えず相模川の水害の脅威にさらされているので、団結心が求められる。これに対し、台地の住民は、水の脅威もなく、高みの見物という姿勢であるから、ある意味で、個人主義的である。

六、尼の泣き水や大ケヤキの伝説は、台地の住民から見た伝説である。

国分寺が建立された頃の海老名耕地は海だったという前提で、恋人の漁師を助けるために金色に輝く寺に火を放ち罰を受けた涙が今も続いているし、また、船着場の逆さ杭が今も生き続いているというものです。

これは、誤解です。当時は海老名耕地には条里制が敷かれていたのです。海ではなく、相模川の蛇行による水溜りだったのでしょうね。

七、有鹿神社の由緒書によると、広大な境内に荘厳な社殿が立ち、明神大縄の参道は、神社の社人が居住する「社家」を経て、門沢橋に至る。江戸の頃まで、社家に鳥居が立っていたという。

境内には供僧の仕える12の坊舎が甍を並べる。この中心となるのが、総寺院である。この跡を「坊中」という。

また、藤原広政の寄進により、五百町歩の墾田を領有することになる。海老名耕地の広さに匹敵する。この寄進は、神社の名による荘園の実質支配のためである。

八、由緒書によると、病気平癒、国家安泰等、霊験あらたかであつたので門前列をなし、官社、延喜式内社として、「高座郡六社の中で随一の地位を有していた」という。この意味で、氏子達は相模一宮であったと語り継いでいる。

三代実録によると、寒川神社や石盾尾神社と共に、叙位を受け、鎌倉の頃には「正一位」となる。これは、高倉社寺考によると、寒川神社の由緒書(紛失)には「有鹿の老」と尊称される。

九、平安末期の頃から室町末期の頃まで、有鹿神社の南前には、有鹿郷の一地域の「海老名」という地名を名乗る「海老名氏」の一族が構えた館「海老名城」があり、この一族の勢力の繁栄に伴って、海老名という地域は拡大する。この後、海老名郷と有鹿郷が併用されていたようである。

海老名という語源について語るのは、大きなエビが棲んでいたからという由緒書しかない。これは、比喩であるが、海老名という地名が有鹿神社に由来することを示している。

十、幕末の頃、寒川神社の宮司の手になる「相模十三座」の掛け軸がある。これは、河原口の名主の家の蔵からをみつかっている。

ここでは、「有鹿社護尾大明神」と記されている。他社の例をみると、「護尾」は地名をいい、背後=尾を守るという意味である。守るの護は、衛であったが、五ノ宮にかけて、護としたと考えられる。

十一、室町の頃、二度に渡る戦乱があった。新田義貞の鎌倉攻めの帰りに放火や略奪を受け、海老名氏の勢力は衰退し、また、足利持氏の乱に加担し、戦場となり、敗北しての地を去ることになる。

これに伴って、有鹿神社は、荘厳な社殿を焼失し、境内や社領も奪われ、荒廃して祭祀も途絶えるに至った。 この停滞期が大きかった。

そこで、学問に優れ、しかも、神仏を厚く信仰する別当総寺院の住持「慶雄」は、有鹿明神に再興を誓って、「水引祭」「水貰いの神事」の確立した。

十二、この契機となるのは、由緒書によると、有鹿明神の霊夢である。

この夢告に従って、慶雄は、ご神体となる霊石を有鹿池から発見し、この石を有鹿泉の湧く霊洞に納め、2ヶ月余り後にお迎えにあがったという。

毎年、4月8日と6月14日に繰り返し行われる祭りとなる。新編相模風土記にも記されている。一時中断したけれども、現在も行われている。

十三、ところが、この水引祭の行われる有鹿泉の湧く洞窟は、相模原の磯部の勝坂の有鹿谷」にある。この地は、それ以前より有鹿神社の元宮といわれている。また、「有鹿池」も、「有鹿井」と共に、有鹿森に湧く泉といわれ、それ以前より「影向の池」ともいわれている。

そうすると、水引祭という祭は、時代により形態こそ違うけれども、室町末期の頃より前から行われていたと考えられる。

十四、相模原市の南区の上磯部の勝坂には、海老名耕地の用水となる鳩川の水源の一つとなる有鹿泉があり、傍らには「奥宮」が祀られる。

この泉は、「有鹿窟」という洞窟から湧き出す。関東大震災により洞窟は今も埋まったままであるが、豊富な水を湧き出している。

鳩川は、惣国風土記によると、「有鹿河」といわ れる。鳩川が相模川に流入する地点には、三川合流する河原を背景とする有鹿の森に本宮が鎮座する。

十五、したがって、鳩川の上流に奥宮、下流に本宮を配置して、海老名耕地の用水を守っている。

これは、相模の国府が有鹿郷に所在するとき、「水は下流より用いるべき」という大宝律令の定めが守られ、また、国府の移転の後には、海老名氏という武家勢力により行われる。

しかし、海老名氏の滅亡により、この道理は守られないことになる。下流の海老名と中流の座間や上流の相模原との用水の利用に関する争いが起こって来る。農民にとって水は貴重なものだからである。

十六、このような水争いは、「有鹿の輿巻」伝説に残る。

水引祭を終えた有鹿神社の一行が座間の桜田に至り、水争いをする農民の仲裁に入ると、かえって、農民達は神輿に向かってきた。突然に空気が変わり、大蛇が神輿を守るように巻きついているので、これを恐れた人々はひれ伏した。間も無く我に帰ると、あたりの水田に水が満ちている。この地を「有鹿の輿巻」と呼ぶようになった。

しかし、座間川に残る話は全く逆である。

十七、また、「鈴鹿明神の創建」伝説も、水争いの結果である。勝坂に棲む有鹿神は、鈴鹿神の持っている宝を狙ってきたので、諏訪神と共に、蛇となって戦い、有鹿神を海老名に追いやったというお話である。

有鹿や鈴鹿の鹿とは何か。鹿は、中国では、「中原に鹿を追う」というように、権力や宝物である。有鹿神社は、水という宝物の有る神社であ

十八、そうすると、水引祭は、水争いを宗教的な権威によって解決しようとするものだということになる。これは、室町末期の頃の説明としては正しいといえるかもしれない。しかし、水引祭は、有鹿神社の創建の原点である。この祭りを明らかにしなければならない。

十九、神社は、祭祀の場をいう。有鹿神社は、水引祭を行う場である。水の恵みを神に感謝する祭りを水引祭というならば、この祭りの歴史は古い。

霊石という神体石が発見される前の祭りはどんな形態であったのか。常宮となってここにご神体は祀られていたのか。有鹿泉そのものがご神体だから、ここから有鹿神をお招きして祭りを行っていたと考えられる。

二十、弥生から古墳の時代、海老名からこの水源の有鹿泉の近くでやって来て水引祭を執り行った勝坂祭祀遺跡が発見されている。ここからは五世紀頃の遺物が出ている。

この有鹿泉の東側の台地の上に縄文中期の大集落跡の残る勝坂式縄文遺跡があることから、水神のの祭りが行われていたと考えられる。

Ayustet
19 四月 2021 15:27

神奈川県海老名市に鎮座する、有鹿大明神をお祀りする神社。
パンダ宮司が有名で、パンダの縫いぐるみが沢山あります。
神社の名前にもあるように、鹿もパンダ同様に沢山あります。
境内はそれなりの広さがあり、駐車スペースも結構あります。ただし、住宅街なので、道路は広くありません。幼稚園なども近くにありますので、注意して運転してください。
神社の一番の特徴は、鐘突堂があることです。お寺と合祀されたのかと思いましたが違うようで、どうやら寄贈されたもののようです。昔は時を知らせるために鐘を打っていたようです。

Yumiko
13 三月 2021 2:53

小田急小田原線・相鉄本線・JR相模線海老名駅より徒歩18分。または、小田急小田原線・JR相模線厚木駅より徒歩18分。駐車場あり。御祭神は、有鹿比古命、有鹿比女命、大日霊貴命。神奈川県で最古の神社。パンダ宮司さんは不在でしたが、書き置きの御朱印が数種類あり、自分でお金を入れるスタイルです。御朱印の初穂料は300円。

ドンキードンキー
26 三月 2020 6:59

奥宮・浅間大神・諏訪神社の御朱印も、この本宮でいただけるということ。ただし、どれも本宮からはかなりの距離。特に奥宮は遠い。御朱印は社務所でいただけるということだが、不在の場合も多く、その際は社務所玄関前の台の上に書き置きがおいてあるとのこと。当日は何も置いてなく、境内外の事務所に電話してみましたが、たまたま置いてなかったとのこと。ご縁がなかったということでとても残念。

佐藤喜美男
19 三月 2020 19:20

現在、この神社の役員 (総代といいます) をしております。もちろん本業は別にあり (自営業) 、こちらはボランティアです。夏は例大祭、暮れには大祓式、年越祭、歳旦祭があり、この二大イベントを中心に一年中忙しいです。一度いらしてください!

masayuki
09 二月 2020 7:40

地元の神社なので、地鎮祭やら子供の七五三やら初詣やらで大変お世話になってます。
最近はパンダ宮司で有名ですが、昨日は三が日もあって、ネズミやネギもやってました。ネギの理由はちょっとわからなかったです。でも、よかった。

Sham
31 一月 2020 18:13

今年も、ご祈祷していただきました。
今年は昨年のような駅での、イベントが
なかったようで正午すぎからご祈祷して
いただけました。
今年もよろしくお願いします。

Jun-ichi
13 八月 2018 15:57

座間の鈴鹿明神社とは古より浅からぬ因縁の
有る神社なので2社参りをお勧めする。
兼業の神職さんなので平日は基本不在。
土日祝祭日に行きましょう。
大安吉日だとご祈祷依頼が多いから
御朱印をご希望の方は避けた方が良いでしょう。

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