白幡八幡大神
住所 | 神奈川県川崎市宮前区平4丁目6−1 |
電話 | +81 44-977-5639 |
時間 | 07:00-17:00 |
サイト | www.shira80000.com |
カテゴリー | 神社, 聖堂 |
評価 | 4.5 17 件の口コミ |
Shirahata Hachiman Daijin | |
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白幡八幡大神 件の口コミ
17 源頼朝によって再建されたと伝えられる神社です。地域に密着したこじんまりとした神社ですが、よく手入れもされ綺麗です。無人ではく代々神主を務める御一家が住まわれています。
また氏子の方々による祭事も熱心に執り行われており、とくに7月、9月の第3日曜日の禰宜舞(ねぎまい)は川崎市文化財に指定されています。詳しくは白幡八幡大神のホームページに記載されていますので、興味がありましたらご一読ください。
八幡講と呼ばれ3月初卯の日に行われますが、その日には藁で作った大蛇を鳥居に飾ります。
大蛇は長さ1丈 (約3米) 、で角は牛蒡、舌は人参を2つに裂き、目は八つ頭で作ります。
添付写真は皆さんで大蛇を作っている所です。
土地柄、参拝客はとても行儀が良いので安心して行けます。
敷地内はいつ行っても大変綺麗に整備、清掃され、また宮司さんをはじめ皆 感じ良いです。
見晴らしも良いので気持ち良く、散歩の途中で立ち寄ってみるのも良いと思います。
小高い丘の上にある神社
境内は穏やかな空気が流れる場所でした。
御札を頂きに上がりましたが
「雨なので坂の銀杏の葉っぱで滑らないように
お気をつけください」と
お声掛け頂きました。
授与所の方はお優しい方です。
広くはないけれどとても手入れの行き届いた綺麗な神社で心落ち着ける場所です。御朱印は書き置きです。
溝の口駅、もしくは宮前平駅からバスです。駐車場もあるので、車で行くのがベストです。
住宅街からすぐそばですが 神社の階段を上るとまるで別天地のように静かでおごそかで 思わず手を合わせたくなります。お祓いをして頂きましたが宮司様の祝詞が 心籠もったもので本当に感動感謝致しました。これからも月に一度は 手を合わせに行きたいと思っています。
源頼義が奥州征討の途についた平安時代に鎌倉八幡宮のご加護をいただくために、鎌倉から奥州へ行く街道十里ごとに、八幡祠一社ずつを造りましたが、最初の十里の地にあたるこの地に祈願をこめたのが発祥とのことです。
その後源頼朝が建久三年に神社を再建、当時稲毛三郎重成が当地の領主となり、稲毛領57カ村の惣鎮守となりました。
稲毛惣社白幡八幡大神の由緒です。
玉依姫命、神功皇后をご祭神にお迎えしてうることから、特に安産祈願のお参りをする事が多いようです。
駐車場は五台くらい入るようですが、社前にセブンイレブンがあるので、短い時間なら駐車できます。
地元の著名な神社で、元旦には毎年多数の参拝者が訪れ、1時間以上も待たないと参拝出来ませんが、今年は訪問者も私が訪れた早朝は少なく即刻初詣が叶えましたが、矢張り10時過ぎには少し待たされた様です。早々に新型コロナに退散を願ってきましたがーー!!? 。
子供の頃は地元民以外はほとんど住んでいなかった平地区。現在のバス通りもセブンイレブン平4丁目店前の道もなく、車1台が通れる未舗装の道しか辺りにはありませんでした。ですが祭りの時は参道に出店がずらっと並び、大変賑やかでした。現在でも地元の人々に大切にされ、境内も綺麗です。宮司が太鼓のみの伴奏で舞う禰宜舞(ねぎまい)は毎年7月20日と9月の第3日曜日(例大祭)の二回行われています。この禰宜舞は川崎市の指定文化財になっています。
家の近所の白幡八幡、なにやら源氏と関係がありそうなので、買い物ついでに立ち寄ってみたのですが、由緒等が書かれた看板等が見当たらなかったこともあり、寂しく退去しました。
帰宅して調べると、なかなか興味ある事実が分かりました。
1053年に始まった前九年の役の途中、源頼義は陸奥鎮守府将軍の役職任期が完了したので、一度仙台は多賀城を後にして、もう一度体制を立て直してから、また奥州へ向かったようです。
この前九年の前半戦で源頼義は、信頼していたのに裏切られた藤原経清(つねきよ)や安倍一族にしてやられた感が強く、このトラウマの反動で奥州征伐へ再度出征するにあたり、自分たち源氏の氏神である八幡大神への祈念に拘りがあったようです。
前九年の役の元鶴岡八幡宮(由比若宮)や東京都杉並区の大宮八幡等、出征のスタートや途中に吉事を願っては社を建てる約束をして仙台・多賀城までの道のりを息子・義家と一緒に北上していったようです。
更に、出発した鎌倉の元鶴岡八幡宮から十里(40km)地点に幣(ヌサ)を地に突き刺し、必勝を祈念しながら北上したという事で、何やら念には念を入れてのような話ですね。
で、実はこの神社、その幣を立てた場所に、133年後、源頼朝が神社を建てていったのです。彼は平家打倒でも出馬しませんでしたが、奥州藤原氏を滅ぼす時は、源氏の棟梁として出馬。それは前九年の役&後三年合戦で頼義・義家の2人の偉大な源氏のご先祖でも無し得なかった奥州王国を完全に潰したことで、歴代源氏における自身の優位性を示そうとしたのです。
盛岡市にある厨川柵までわざわざ4代目藤原氏の泰衡の首を持って行ってその首を8寸釘で柱に打ち付けたのも、頼義がこの柵で133年前に安倍貞任(さだとう)の首を同じ釘で打ち付けた故事に倣って行ったのです。
このような経緯で出来たこの神社、「稲毛惣社」とありますが、実はここの領主・稲毛三郎重成は頼朝の重要な家臣であり、この地が奥州等北側から鎌倉攻めをしてくる際には重要な第一防衛線でもあります。
友人と一緒に初詣で初めてお参りをさせて頂きました。
源頼朝が奥羽二国の討伐へ出陣した際、
討伐成功の折には鎌倉八幡宮から十里毎に八幡祠を建て、無事成功したのち鎌倉から十里にあたるこの場所に神社を建てたのが始まりだそうです。
決して大きな神社ではありませんが、
神社や地元の方々に大切にされていてとても綺麗で、
参拝客も多く訪れています。
大きな神社も良いですが、
地元に密着している神社も良いものですね。
宮前区平で、古くから地元民に親しまれている神社です。特に、7月20日と、9月の例大祭の際には、先祖代々こちらの宮司をされている、小泉氏による禰宜舞(ねぎまい)という神楽は、市重要習俗技芸に指定されており、一見の価値があります。普段は静かな神社ですが、よく手入れもされており、大変落ち着きます。
いつも綺麗に整備されていて神主さんの信仰深さを感じられます。私はそこまで信仰に厚いわけでもなく、ただ見て回りたくて行ってたりするような人間ですが、ここの神社でまったり休日を静かに過ごすのも好きです、あとお清めの塩が頂ける数少ない神社です!お塩は無料でいただけます!厄災続きでどうにかしたい人がいれば、すがってみるのも良いかもしれません。
2018/12/1参拝(御朱印受)
行き帰りにバスを利用。行きは向ケ丘遊園駅からバス停「白幡八幡前」で下車、帰りはもうひとつのバス停「白幡八幡前」から溝の口駅へ。
行きのバス停は、交差点「平二丁目」と交差点「平五丁目」の中間に位置
帰りのバス停は、交差点「平」と交差点「平五丁目」の中間に位置
帰りはグーグルマップと携帯のGPS位置サービスに助けられまた。予定していたバスに乗り遅れるところでした。もし乗り遅れていたら、この後に参拝した天照皇大神の御朱印もいただけることが出来なかった。
清らかな気に満ちていると毎回感じます。神主さんの信心深さが境内の隅々まで行き届いているのでしょう。いつも綺麗にしてあり、とても気持ち良い神社です。ベンチもあり、ついつい長居してしまいます。何かに悩んだときや、心のモヤモヤが晴れないときは、ここに来てしばらく無心でいると浄化されます。地元にこのような神社があることに感謝です。
東京の初詣で、こちらの相方と神社はしご。
東京では無いんですが (笑)
宮前平駅からバスに乗り、戌年にゆかりのある神社と言うことでお詣り。
住宅街の中にある小さい神社ながら綺麗に保たれていて好印象。