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子之神社

住所 神奈川県川崎市多摩区菅北浦5丁目4−1
電話 +81 44-944-2021
サイト www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4
カテゴリー 神社, 聖堂
評価 4.2 5 件の口コミ
Neno Shrine
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子之神社 件の口コミ

5
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玉木造
03 九月 2020 8:31

この神社は、64.6㎞離れた伊豆大島から鎮西八郎為朝が鎌倉の源義朝に向けて放った矢の矢じりが納めてあるものと、ずっと思っていましたが、間違いでした (笑) 。
鎮西八郎為朝が兄・源義朝に向けて放った矢であることには間違いないのですが、為朝が伊豆大島に流された後に放った矢ではなく、流される原因である「保元の乱」の最中に放った矢の矢じりだったのです。
矢じりがここに納められた経緯を簡単に書きます。
「保元の乱」は、白河上皇の不倫により生まれた崇徳上皇が色々と差別的な扱いを受けた積年の恨みが爆発して起きた乱です。
崇徳上皇の弟である後白河天皇と現在の御所の南東、鴨川を挟んでドンパチやるのですが、この時崇徳上皇に味方した武人が源為義と子・為朝。対する後白河天皇についたのが平清盛と源義朝です。義朝は為義の息子、為朝の兄です。
この戦当初、為朝は夜襲を進言しますが、崇徳上皇の、学はあるが実戦を知らない側近貴族に「上皇殿と天皇殿の争いは正々堂々とすべき、夜襲など卑怯な真似はできない」と一蹴されます。
この時、「こっちが仕掛けなくても、兄・義朝は来る!」と訴えた為朝の言の通り、後白河天皇側が夜襲を仕掛けてくるのです。
為朝28騎に対して、義朝200騎。
兄の襲来に備えていた為朝は、門の上に立ち、迫りくる軍の大将、兄の義朝に矢の照準を当て、今にも義朝を射抜かんばかりの構えをします。
すると恐れをなした義朝が、大声で叫びます。「兄に弓引くとは、神仏の加護を受けられなくなるぞ!為朝!」
為朝も返します。「では、父・為義に弓引く兄者はどうか?」
「・・・」言い返せない義朝は悔しくなり、自軍に対し、「ものども、為朝は脅しているだけだ。矢を兄に対しては放てまい。馬上での戦なら我々坂東武者の方が技に長けている。恐れず白兵戦で為朝を討ちとれい!」と下知しますが、その発声が終わるか、終わらないかのうちに、義朝の兜の鍬形を矢が射削るのです。
勿論、為朝の矢です。為朝が狙った通りです。為朝は優しい漢なので、流石に兄を射殺すことは出来ず、兜の一部を綺麗に射削ることで、威嚇をしたのです。
義朝は「こ、こ・・・」と一瞬言葉を失います。しかし、流石は義朝です。
「こ、こいつ(為朝)の矢の命中度は、これこの通り、大したことは無い。皆のモノひるまず戦え!」
結局、義朝の兵数の多さで夜襲は成功します。この戦後処理で為朝は、矢を射ることができないように肘の腱を切られ、伊豆大島に流されるのです。
この時、義朝に射た為朝の矢じりを拾ったものがおり、どういう経緯かこれが義朝の側室・常盤御前の手に渡ったのです。
常盤御前はそれをお守りのように大事に保持していましたが、為朝を尊敬していた牛若丸(のちの義経)に渡したのです。
『義経記』では、義経は実は八男だったが尊敬する為朝が鎮西「八郎」だったことに遠慮して「九郎」にしたという説もあるくらい、為朝を尊敬していました。
そして義経は、頼朝が元で鎌倉滞在中に、この地の薬師仏が常盤御前の守護仏であることから1年間ここに通い、常盤御前からもらった矢じりを「矢の根」としてお堂に納めたそうです。
後にこの「矢の根」(矢じり)を仏前よりおろし、明神の祠へ納めて御神体としたことから「根神(ねのかみ)」と呼んだのがいつしか「子之神社」となったそうですよ。
以外と身近なところに、有名な伝説と繋がる場所があるものですね。

靖明遠藤
07 三月 2020 6:56

子年にゆかりのある神社ということで参拝
子之神社は神奈川に3社しか無い?のだそうで
拝殿横の御神木が印象的です。
高台なので見晴らしも素晴らしいです。

子年だからと言って、特別に何かあるようでは無いですが、三が日なのでお守りと御朱印を頂けました。

Jun-ichi
16 一月 2020 21:11

登戸の稲荷社が兼務する神職不在の氏子神社。
氏子役員さんが御朱印を記帳して下さいます。
神社行事で授与所が開設された時だけですが、
正月は三が日対応。

此処と八雲神社を菅氏子会が維持している。
八雲神社にも御朱印在り。

大國主命の別名:大己貴神を祀る。
各地に在る子之神社の社名の由来は、
60日に一度巡ってくる【甲子:キノエネ】が
縁日で、その日に祭祀を行っていたから。
大國様のお使いはネズミなので令和二年は
大いに期待、甲子の日にお詣りすれば更に吉。

katikatipan
17 三月 2018 13:06

ねの神社。
祭祀
・毎年1/9_10~11時_お的祭オマト (拝殿内の祈念式約30分後、神主2人が、裏に「鬼」と書かれた的を射る。参拝者も射ることができる) 。1/9は同時にどんど焼きと甘酒授与も
・10/9_10~秋季大祭
・11/15_七五三祝
・1/1_0~元旦祭。お神酒授与

tsuyoshi
29 十二月 2017 7:13

秋の散歩でまたま太鼓の音に引かれて行ってみたら、住宅地に今時珍しく屋台がびっしり出ていて坂を登ったとこに神社があった。そこの境内のステージのおじいさん、おばあさんが楽しそうに唄って踊ってて平和でよかった。

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