浄光明寺
住所 | 神奈川県鎌倉市扇ガ谷2丁目12−1 | ||||||
電話 | +81 467-22-1359 | ||||||
時間 |
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サイト | city.kamakura.kanagawa.jp | ||||||
カテゴリー | 仏教寺院, 観光名所 | ||||||
評価 | 4.4 21 見直し | ||||||
Jokomyoji | |||||||
最寄りの枝 |
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浄光明寺 件の口コミ
21 鎌倉十三佛霊場の9番札所。
山門をくぐってまっすぐ進み階段を上がると左手に受付があり、そこで拝観料を納めます。住職がお寺の縁起や仏像の説明をして下さいます。
御朱印は、山門から入って左側の庫裏入口の呼び鈴で係の方を呼出してお願いします。
宝冠を被った珍しい阿弥陀如来と観世音菩薩・勢至菩薩には、中世鎌倉のみの「土紋」がはっきりと見られます。仏殿に祀られている三世仏は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来で、こちらでは「弥勒菩薩」が「如来」に昇格 (?) されています。
お堂奥の岩山を上る (自然を利用した石段に手摺を設置されていますが、ご年配の方やハイヒールでは難しい) と、網引地蔵・冷泉為相墓があり、天気が良ければ江ノ島が見えます。
仏殿の保存状態が素晴らしく、仏像好きには見逃せないでしょう。
開山は、1251年頃で北条時頼と長時と伝えられてるそうで、足利家にも、縁があるお寺です。拝観料支払時に、丁寧に色々説明していただきました。拝観日は、木 土 日曜日と祝日で、鎌倉まつりの期間は、多宝寺址の、3mの五輪塔、覚賢塔まで拝観できます (共に雨天中止) 。犬連れは、他人に迷惑をかけないように、との事ですが、基本NGです。吠えない、排尿排便しないよう、抱っこ袋でヌイグルミ状態で、拝観させていだきました。
住宅街からお寺に入ると一瞬にして鎌倉時代にタイムスリップ。土日等限られた日に公開 (有料だが入らないと後悔したす) されている本堂には、重要文化財 (旧国宝) の仏像が鎮座されている。そこから山を切り開いて二段のこしらえになっており、海が見下ろせます
鎌倉三十三所観音霊場、鎌倉二十四地蔵尊霊場、鎌倉十三仏霊場、相模二十一ヵ所霊場、鎌倉六阿弥陀霊場の参拝でそれぞれお伺いしました。
真言宗泉涌寺派のお寺で泉谷山浄光明寺といいます。
鎌倉観音霊場の御本尊は千手観世音菩薩で、霊場第二十五番札所になります。
鎌倉地蔵尊霊場の御本尊は二体あり霊場第十六番札所は綱引地蔵尊で、霊場第十七番札所は矢拾地蔵尊になります。
鎌倉十三仏霊場の御本尊は勢至菩薩「都市王」で浄光明寺の御本尊 (阿弥陀如来) の脇侍仏です。
相模霊場の御本尊は弘法大師で霊場第六番札所になります。
浄光明寺の御本尊は阿弥陀如来坐像で鎌倉六阿弥陀霊場第四番札所になります。
阿弥陀如来坐像は国の重要文化財に指定されています、仏像の衣の衣紋に土紋といわれる装飾が施されていて、頭に宝冠を載せています。
お寺の創建当時は四宗 (浄土宗・真言宗・華厳宗・律宗) 兼学の道場として栄たお寺でした。
阿弥陀堂にはかって御本尊を安置していましたが文化財保護のためすぐ脇の収蔵庫に現在は安置されています。
収蔵庫におられる係の方に仏像の事を色々と説明をしていただけます。
収蔵庫には御本尊の阿弥陀三尊形式の像 (阿弥陀如来坐像・観音菩薩像・勢至菩薩像) と地蔵菩薩立像 (矢拾地蔵尊) が収蔵されています。
扇ガ谷にある浄光明寺。2月末の日曜日に行きましたが、あまり人は見かけずに静かでした。ここのお寺の裏山、木戸をくぐって上ると冷泉為相の宝篋印塔があります。参拝と御朱印でお寺に参る人もそう多くはこの塔まで上がってこないのでしょうか。観賞している間、誰も来ませんでした。冷泉為相のお墓のすぐ奥にもやぐらがあり、小さな五輪塔などがたくさん並んでいます。
通常はここまでで行き止まりですが、この先にも道が続き覚賢塔と呼ばれる鎌倉期の大きな五輪塔(この五輪塔は4月には公開されていますが)
があります。関東型五輪塔の銘品の一つ。また会いに行ってみたい塔です。
今は年に一度の覚賢塔 (この寺を開いた人) の特別拝観をやっています。
冷泉為相 (藤原定家の孫) とも縁のある寺ですので、貴族文化の名残もうかがえます。
京都泉涌寺ゆかりの楊貴妃像とビランジュの木の物語もあります。
鎌倉六阿弥陀仏、鎌倉十三佛第九番「勢至菩薩坐像」、鎌倉二十四地蔵尊第十六番「網引地蔵」、第十七番「矢拾地蔵尊」、鎌倉三十三観音第二十五番千手観音、弘法大師相模二十一ヶ所霊場第六番のご朱印を頂きに参拝しました。(よくもまぁ何度も行ったものだと我ながら驚いています)。
山門を入ると左手に大きな客殿があり、その左にある庫裏でご朱印を頂きます。右手には不動堂があります。客殿と不動堂の奥にある階段を上ると阿弥陀堂があり、その左側に収蔵庫、その奥に観音堂があります。阿弥陀堂をお参りした時に、ちょうどご住職がいらっしゃり、阿弥陀堂のまえの大木 (イヌマキ) が創建当時に植えられたとされ(推定樹齢750年)、鎌倉市指定文化財となっていることを教えて頂きました。写真はイヌマキの種子で、これを持っていると夫婦円満のご利益があるとのことで、落ちていたものを頂いて帰りました。浄光明寺は、岩船不動堂から横須賀線わきの細い道を鎌倉駅方向進んだ先の奥まったところにあります。観光客も少なく、とても静かなお寺です。
藤原定家の孫にあたる冷泉為相の墓がこの寺にある。本来であれば藤原姓を名乗る資格も才能も兼ね備えた人物であったが、兄がすべての遺産を相続してしまったためやむなく冷泉家を興したのではないだろうか。直線距離にして200メートルほど離れた英勝寺には、十六夜日記の作者として知られる母・阿仏尼も眠る。
1251年頃、第5代執権北条時頼、第6代執権北条長時が開基となって創建したもので、開山は真聖国師であった。それ以前、源頼朝の命により文覚上人の建てた草庵があったともいうが、定かでない。
1296年)の開山譲状には北条時頼と長時が開基であると記されている。長時は鎌倉幕府6代執権で、36歳で死去し、浄光明寺に葬られ、以後、この寺は長時に始まる赤橋流北条氏の菩提寺と位置づけられた。
浄光明寺は中世を通じ、足利氏および鎌倉公方の帰依を受けている。
往時は10近い子院があったが、江戸時代に入ると伽藍は荒廃、本堂さえ失われる状態であったという。1668年、僧侶の勧進、鶴岡八幡宮寺相承院元喬僧都の援助などを得て仏殿を再興、法灯は保たれた。子院に関しては、幕末には慈恩院を残すのみであったという。慈恩院は、足利直義が自ら殺害させた護良親王の鎮魂のために建立したもので、浄光明寺に現存する地蔵菩薩像(通称矢拾地蔵)は慈恩院に伝わったものという。
鎌倉三十三観音巡りで伺いました。
初秋の境内・本堂を囲む萩や彼岸花が見事でした。
カメラを携えた方々を結構見掛けので
フォトスポットとしても有名なのかも。
参拝後、有り難く御朱印を拝受致しました。
鎌倉三十三所観音霊場、鎌倉二十四地蔵尊霊場、鎌倉十三仏霊場、相模二十一ヵ所霊場の参拝でそれぞれお伺いしました。
真言宗泉涌寺派のお寺で泉谷山浄光明寺といいます。
鎌倉観音霊場の御本尊は千手観世音菩薩で、霊場第二十五番札所になります。
鎌倉地蔵尊霊場の御本尊は二体あり霊場第十六番札所は綱引地蔵尊で、霊場第十七番札所は矢拾地蔵尊になります。
鎌倉十三仏霊場の御本尊は勢至菩薩「都市王」で浄光明寺の御本尊 (阿弥陀如来) の脇侍仏です。
相模霊場の御本尊は弘法大師で霊場第六番札所になります。
浄光明寺の御本尊は阿弥陀如来坐像で国の重要文化財に指定されています、仏像の衣の衣紋に土紋といわれる装飾が施されています。
お寺の創建当時は四宗 (浄土宗・真言宗・華厳宗・律宗) 兼学の道場として栄たお寺であった。
阿弥陀堂にはかって御本尊を安置していましたが文化財保護のためすぐ脇の収蔵庫に現在安置されています。
収蔵庫におられる係の方に仏像の事を色々と説明をしていただけます。
収蔵庫には御本尊の阿弥陀三尊形式の像 (阿弥陀如来坐像・観音菩薩像・勢至菩薩像) と地蔵菩薩立像 (矢拾地蔵尊) が収蔵されています。
源頼朝の天下統一を助けたとされる文覚上人が頼朝の願いで建てた寺が前身と伝えられています。その後、建長3年(1251)北条氏六代執権・北条長時が浄土、真言、華厳、律の四宗兼学の寺として、開山に真阿上人を迎えました。有り難く、”宝冠阿弥陀如来”と、鎌倉33観音霊場第25番の”千手大悲殿”の御朱印を頂きました。
真言宗泉涌寺派のお寺です。拝観日は木、土日、祝日で雨天時は拝観中止です。又8月は拝観休止ですので注意下さい。創建は建長三年 (1251年) 頃の由緒あるお寺です。国重要文化財の阿弥陀如来像等拝観できます。
この日は阿弥陀三尊像が拝観可能で、ご住職自ら説明してもらいました。
手前の境内はこぢんまりとしていますが、奥に阿弥陀三尊像、仏殿、千手観音堂、網引地蔵などがあり、じっくり参拝できます。
街中の秘境です。木土日の晴天時(除く8月)のみ、収蔵品が拝見できます(別料金)。
お寺裏手の崖を登れば、冷泉家ゆかりの場所だったり、海が見える絶景だったりします。
基本的に、鎌倉時代の遺跡を保存している場所なので、他の寺と違って商業的な意味合いは少ないです。運が悪ければ拝見できないと思ってください。
浄光明寺は、鎌倉末期の太平記の時代に、幾度と無く舞台となったお寺として有名です。あまり知られていませんが、足利尊氏の義理の兄である赤橋守時(北条一族、一時は執権職も務めた)のお墓があります。
また、ここは足利尊氏が乱(中先代の乱)の鎮圧後、論功恩賞を勝手にして、後醍醐天皇から怒られた後に蟄居していた場所でもあります。
ここで尊氏は弟の直義に説得され、後醍醐天皇を裏切り、建武の新政から室町幕府設立へと奔走し出すという、歴史の転換点の地でもあるのです。
Joukoumyouji is famous as a temple that has become a stage for many times during the late Kamakura period, the so-called Taiheiki period. It is not well known, but there is a grave of Moritoki Akahashi who is a brother-in-law of Takauji Ashikaga and who has served as the top of the Hojo family.
At the same time, This place is also a turning point in history, Because Takauji Ashikaga is persuaded by his younger brother Naoyoshi, betrays the Emperor Godaigo, and begins to establish a new Shogunate.
今日は収蔵庫を拝観できました!堂々なご本尊様はもちろんですが、はんなり脇侍のおふた方が何とも色っぽいというかなんというか…素敵でした
撮影禁止なのが口惜しい。
とはいえ、撮影可の本堂の三体もスキです
浄光明寺は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は泉谷山。開基は北条長時。開山は真阿。本尊は阿弥陀如来である。北条氏や足利氏とゆかりの深い寺院で、足利尊氏は後醍醐天皇に対し挙兵する直前、当寺に籠っていたと伝える。
運良くその日は裏の山に登る事ができる日だった。冷泉為相の墓所があるてっぺからは、鎌倉の海が光って見えた。
かなりきつい階段をへこたれそうになりながら、ここまで登ったが、途中かなり大きなやぐらの中に、静まって居られるお地蔵さまや、下の境内に居られる仏さま、素晴らしいお寺さんである。