森浅間神社
住所 | 神奈川県横浜市磯子区森2丁目16−7 |
電話 | +81 45-753-1840 |
サイト | www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4 |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 3.7 12 件の口コミ |
Morisengen Shrine | |
最寄りの枝 |
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森浅間神社 件の口コミ
12屏風浦駅と磯子駅の中間にある神社。最後の鎌倉将軍が創建したようですが、元々は鎌倉にあったお寺だとも。屏風浦駅側から目指すと、ものすごい石段があり難儀します。その石段の手前、最初に参拝者を出迎えるのは下社、鬱蒼とした森を抜けて小山の頂上にあるのが上社。神社の境内のほとんどが森林のようで、社のある平地はわずかです。本殿の左手から裏道に入り、石段を下りると、ご神木の前に「滝」があります。近隣の人たちには親しまれている神社のようです。すぐ近くを環状2号が通っていますが、ここは静かで真夏でも涼しいです。「滝」の前を抜けていくと境内の外に出られるので、反対向きに進むと楽に上社に行けます。
急な石段の先にある趣ある神社。
境内は神奈川県の天然記念物に指定された社叢に囲まれており、なかなか厳かな感じがします。
なお、南側からの長い石段以外にも北側や西側からもアクセスでき、階段が苦手な方や足腰の弱い方は西側から訪れることをお勧めします。
JR磯子駅近く、京急 屏風浦の前の丘の上。昔の海岸線の崖の上と言った所でしょうか、当時は修験場との記述も有る階段を登った上に有ります。
武州 (神奈川) から上総、下総 (千葉) に渡る要衝で1,300年頃に創建されたそうで、埋立前の雰囲気が判る場所でも有ります。
階段がキツいので、星4つとします (^^;)
階段が急斜面でボロく手すりにつかまりながら頂上へ。ここの階段『危険』です。
大山登山が、どんなに安全か思いしりました
森浅間神社に着いたら女性と若い兄ちゃん、
社務所に電気が点いてて、お札、お守り等
あったので兄ちゃんに聞いてみたら「僕は関係ないです」と言いおみくじをチェックしてました。御朱印無しで帰るのか、と裏へ回ると緩やかな車道が。。
ここは足首が弱い人には、薦めません
下宮から横の階段を上ったら着きました。元気な人は下から一気に駆け上ってください。神社はきちんと手入れされていて気持ちがいいところです。コロナ対策なのか手水所は柄杓が無かったのですが、樋から水が出ていました。富士山信仰にちなんで社への入り口も三方あるので今度は別ルートから登りたいと思います。好きな場所です。
森浅間神社は、横浜市磯子区の屏風ヶ浦と汐見台地区の境界にある古い神社です。
由来は、権現堂の和尚様の幸蔵坊長慶比丘が建久8年 (西暦1197年) に源頼朝公の請願により富士山浅間大社から此花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと=素戔嗚命の奥さん) の分霊を勧進し浅間神社を創建したのが、この森浅間神社です。
この森浅間神社は、当時山岳信仰の対象で修行場でも在っただけあり、参道の階段は200段以上と可なりの段数!
ゆっくりと景色を眺めて登りましたけど・・・。
なんせ、社殿は下社と上社 (本社) があるのです。
確かに、昔なら参拝に来た帰りの眺めは綺麗だったと思います。
ちなみに、昔はすぐ近くまで海だったのです。
森浅間神社の紅い社殿は、周りの緑に映えとても綺麗です。
Reached this place by chance. What a great discovery! The place is so peaceful, very relaxing. There’s a park below the shrine where you can see parts of Isogo-ku. Really calming place.
かなり昔から京急線を乗っているとき、「神社があるな~」と思いつつ20年以上。ようやく、参拝します。
まずは、石段がお出迎え。浅間神社といえば、石段ですよね。大きな道路ができるまでは、一直線だったんですかね。
登り終わって、振り返ると見晴らしがいいかな。というより、ここしか見通し良くない。どうせなら、木を切って見晴らしをよくしたらいいと思ったんだけど、神奈川県の保護林に指定されてた。
手水舎がこれはこれで、いいかな。古い手水舎の再使用かな?社殿は、鉄筋コンクリート。管理の問題上この方が効率がいいか。
あとは、行った日が鏡開きが終わった後の日曜日だから、正月飾りを持った参拝者が多かった。
最寄り駅は京急屏風浦。歩いて15分くらいです。
歴史は非常に古く鎌倉時代、源氏の本拠地だった鎌倉市の亀ヶ谷 (かめがやつ) と言う地区に在った亀ヶ山福禅寺と言う御寺に源氏の守り神 (仏:当時は神道と仏教は融合していた) の不動明王を祀る権現堂が有りました。
その権現堂の和尚様の幸蔵坊長慶比丘が建久8年 (西暦1197年) に源頼朝公の請願により富士山浅間大社から此花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと) の分霊を勧進し浅間神社を創建したのが、この森浅間神社の由来です。
鎌倉時代末期には、新田義貞が鎌倉幕府に鎌倉市西側の稲村ケ崎から攻め込んできた際に、最後の鎌倉幕府将軍の守邦親王 (もりくにしんのう) が、この森浅間神社の在る旧久良岐郡森村に逃げて来られたそうです。
その際に薬師如来像も戦火に遭わないように守邦親王により森浅間神社に移され、此花咲耶姫命の御霊と共に以後御神体として御祀りする事に成ったそうです。
中腹に森浅間神社下社が在り素戔嗚尊が祀られています。
宮司の権現堂別当家は代々、鎌倉に元在った福禅寺の名代を明治に成るまで勤めていました。
大晦日の23時30〜45分頃から参拝客が並びはじめます。混雑が解消するのは元旦の1時30分近く? 混雑の度合いは年によってことなりますけど、暗くて寒い急勾配の階段で立って待つ場合があります。階段の手摺は中央にしかありません。私個人はお詣り等は全く興味ありませんが、皆さん各自で万一の事故等はお気をつけください。暗く寒くて急な階段でイライラして待っていて、万一の事態が私個人は心配ですけど。防寒具(手袋含め)、階段と通路は暗いので懐中電灯が必須、待ち時間がながくなる場合は、できれば温かい飲物、雨天時は雨具が必要。入口は数か所あり、あっちが先、こちらが先の争いも有るし、土の斜面を上がって横入りする人もいる。
夏の山車や御神輿とかはお好きな方は、どうぞ。こちらは熱中症に注意して。
よくわかりませんが、知人の家への訪問時にこの周辺の町内の掲示板を見ると、この神社のイベントは必ず掲示されていますが、他の宗教のイベントは掲示されません。
氏子の人達と町内役員の関係は?
10年近くここで初詣をしています。それなりに由緒がある神社のようです。強いていえば、三が日の初詣客の、おみくじ客と、御守りを買う客の並ぶ列をちゃんと線引きして並べて欲しいです。あと、アルバイトとはいえ、巫女さんの態度が悪い。