妙傳寺
住所 | 神奈川県厚木市上依知2397 |
電話 | +81 46-245-0363 |
時間 | 08:00-17:00 |
カテゴリー | 仏教寺院 |
評価 | 4.9 7 件の口コミ |
Myodenji | |
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妙傳寺 件の口コミ
7 東京大学の前身である江戸時代の昌平坂学問所で頭取を勤めた間宮士信 (ことのぶ) 編纂の「新編相模風土記稿」に妙傳寺の史料と伝承の解説が有り、それを砕いて以下に意訳してみます。
通称は星下寺って呼ばれ、境内は元は本間六郎左衛門尉 (さえもんのじょう) 重連 (しげつら) サンの館跡だってさ。
文永八年 (1271年旧暦) 九月十三日に、重連サンの弟の三郎左衛門 (さぶろつばえもん) 直重 (ただしげ) サンが日蓮宗開祖の日蓮サンを竜ノ口 (江ノ島の対岸に有る御寺の牢屋: 死刑に成る寸前だった) からココまで連れて来た時に重連サンの屋敷に有った観音堂に住んだらしい。
それが「注画賛」てのにも書いて有るよ。
ただソレには直重サンは重連の弟じゃなくて家来で苗字は越智って書いて有る (から本間直重じゃなく越智直重が本名かな?) 。
ここに日蓮サンが来た夜に月に向かって御祈りしたら観音堂の前の梅の木に星が降って来てので本間サン家が日蓮宗に改宗し御寺として繁栄する要因に成ったって。
それも「注画賛」に書いて有るよ。
九年 (1272年旧暦) 二月に重連サンは日蓮サンの弟子に成って日蓮宗に入ったんだけど、その時に日蓮サンから仏様祀 (まつ) る所の御守りに曼荼羅 (まんだら) を貰ったそうだよ。
弘安元年 (1278年旧暦) 九月に本間直重サンの要請に応じて日源と言う日蓮サンの直弟子の僧侶が御寺の星下梅樹の横に御堂を整備して、日法って僧侶の彫刻した日蓮サンの彫像を祀ってから、日蓮サンを住職として招き、重連サンと直重サン兄弟がスポンサーとして寺院が開かれたよ。
日源サンが日蓮サンの後に第二代目の住職に成ったよ。
厚木市中依知村の梅香寺や厚木市金田の妙純寺も星下の伝承地と言われてて既に江戸時代以前に何処がその本家本元か議論を生んだんだけども何処も確証が無いらしい。
だけど星下の伝承地はドコとは特定出来ないけど、当麻村 (相模原市南区当麻) の無量光寺を開いた時宗の開祖一遍サンが、当麻村に布教に来ていた時に日蓮サンが鎌倉から追放され島流しに成る話を聞いたそうでわざわざ、この妙傳寺の元に成った観音堂まで日蓮サンに会いに来たそうだよ。
その事から相模原市に有る時宗の無量光寺と、ここの妙傳寺の歴代住職は鎌倉時代の当時から江戸時代の現在 (新編相模風土記稿は江戸時代の本) に至るまで連絡を取り合って交流が有るんだって。
その日蓮サンと一遍サンが交流した時期にココにいた根拠が実は有るよ。
享禄四年 (1532年旧暦) 十月、御寺の僧侶が御互いに往来した時期に諸役免除 (納税と徴兵免除) の通知が有った事、十二月に成って再度、御寺の領地に対して免税等の通知が有り、天文十八年 (1549年旧暦) 六月にも又免税通知が領主から発行されてる。
時は流れて江戸時代の寛文年間 (1661~1673年) 頃に不受不施 (自分の宗派以外の権力者から支援を受けないし改宗を求める) の指針を打ち出す派閥に属した事で江戸幕府に弾圧されて廃寺寸前に追い込まれたんだけど、日遥サンて日蓮宗 (別派閥) の僧侶が日蓮宗にとって重要な御寺なのに潰れそうだなのを悲しんでココ妙傳寺に来て住職に成り御寺を復興したよ。
七石三斗 (米1050kgちょい) 分の収益の有る土地の所有権保証書の朱印状を江戸幕府から慶安二年 (1649年) に与えられてるよ。
・・・みたいな感じです。
厚木市「依知(えち)」を代表するお寺の一つ。
相模川と中津川に挟まれた中洲的な土地の相模川よりにあります。
周りが畑の山門をくぐる前に違和感。何か違うと思ったら仁王像でない。
毘沙門天と持国天像です。余り見慣れないのでとてもいいです。金網は、見ずらいけど。
山門を潜って、本堂に参拝。そのあと、行くのが釈迦堂です。
とても大きな、木造の釈迦如来坐像はお堂は二階の高さまであります。
二階部分の手前が空いているので、光がお顔にあたり見やすくなっています。撮影していいかわからないので、堂内は撮ってないです。
後、梅がなんか由緒あるものらしいです。詳しくはわからないけど。
弁天堂などもあります。昔の手水舎(盆)は、形が変わっていて面白かったです。
あと、猫もいましたが全力で逃げられました(特に仔猫)。
場所は、JR相模線「原当麻駅・下溝駅」から歩いて30分ぐらい。駐車場は、良くわかりません。
自分は、別の駐車場に停めて周辺散策です。
お寺なので、お寺の対する礼儀は守りましょう。
縦写真に、レビューが対応しなくなってる。縦写真が全滅(上下カット)。
2年ほど前に、大塚建設感謝祭の臨時駐車場としてお邪魔させて頂いたお寺。
駐車場のすぐ奥に画像に添付させて頂いて、とても立派な門があったので、思わず記念写真を撮らせて貰いました。
そして、子供と一緒にお参りもさせて頂きました。
昔ある感じのお寺ですが、それだけにとても風情があって、また立派なお寺で凄く印象的でした。
日蓮宗のお寺。
御朱印をお願いしたところ、『釈迦如来像』の御堂を開帳して下さいました。
山門には、立派な仁王像があり本堂の前には紫陽花の花が咲いていました。
猫ちゃんが何匹もいて、可愛かったです< (_ _*) >
御首題をお願いしたところ、普段は非公開の釈迦如来像を拝観させていただけました。参拝者がみえたときや花まつりなど特別な機会に御開帳されているとのことでした。5Mほどある立像で、見上げるとお釈迦さまと目が合います。参拝後にお茶を頂きながら御住職とお寺の事や仏像について少し御話しする機会があり、ありがたかったです。
五月の終わりに参拝しましたが、あじさいが咲きだしており、とてもきれいでした。境内には猫もおり、周りの水田、水路などとあいまって、ゆったりとした時間の流れるいいお寺だなと思いました。また伺いたいです。
同じく厚木の妙純寺 (金田 (下依知) ・蓮生寺 (中依知) と共に、日蓮聖人が龍口法難後、佐渡に赴くまでの約1ヵ月間留め置かれた地とされており、明星天子が降臨したとされる「星下り霊蹟」として知られています。
江戸時代には、徳川光圀公の保護を受けていたそうです。
寺の周囲は住宅や水田に囲まれており、のどかな雰囲気でした。
御住職は宗教者らしい立派な方で、来客中にも関わらず急な訪問を受け入れ、御首題を書いて下さったばかりか、普段は施錠されている釈迦堂を開けて下さいました (来客などの用事が無ければ、詳細な説明も戴けるものと思います) 。
釈迦堂には丈六の釈迦如来像が祀られており、神々しい雰囲気を漂わせていました。