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吾妻神社

住所 神奈川県中郡二宮町山西1117
サイト www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4
カテゴリー 神社, 観光名所
評価 3.9 11 件の口コミ
Agatsuma Shrine
最寄りの枝
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吾妻神社 件の口コミ

11
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鈴木佑奈
15 八月 2022 4:28

運良く、神社の管理人さんに会えますこと
中までご案内してくださりました。
地元の画家、佐賀さんが妃
ヤマトタケルノミコトの絵と当時の海と荒波の絵が飾ってあります。
午前中は空気が一層綺麗なので
午前中に行くことをお勧めします。

Hideaki
14 六月 2021 8:28

展望台から下りる途中にありましたが、凛とした美しい社でした。
なんて言ってますが、下りで道に迷っていたので参拝せずに遠目に見ただけでした。
しかし下ってみると東海道からの上り口がしっかりしており、昔から愛されて来たのかなと思いました。

小関光明
23 三月 2021 13:49

「旧 吾妻権現」の参道は東海道往還道、「一の鳥居」からスタートし「二の鳥居」を経由し吾妻権現に至る。相模國淘綾郡山西村家並図 (文久年間) と同じ位置に現在の鳥居及び参道があるようだ。

JR東海は跨線橋があるので「吾妻山公園梅沢登り口」から吾妻神社に行ける (参道徒歩コース) 別のルートもあるが参拝が目的なら此のコースで!

創建…景行天皇40年以降? (西暦110年以降?) …伝承、伝説 ※「古事記」の記述から推測

手水鉢…3基
手水舎の手水鉢は昭和六年九月吉日建設、武州神奈川宿 天保四癸己年 (1833年) 六月吉日 吾妻大権現奉納、六本木奥惣女中 奉獻 (紀年銘は読み取れない)

石燈籠
吾妻大権現御寶前 相刕淘綾郡梅澤村…山王村…正徳四年 甲午 (1714年) 正月吉祥日

庚申供養塔
新造立庚申供養四面塔 諸願成就 祈攸 相刕泊綾之郡梅澤村 元禄四 辛未 (1691年) 天九月上旬

湯殿山講中供養塔
湯殿山は出羽三山の1つ。湯殿山は山の神「大山祇命」を祀る、海の神としても崇められている

吾妻神社の祭神は弟橘媛命と日本武尊。前川浜の船大工には船霊様を祀る風習があったようだ、船霊様は吾妻様、吾妻様は弟橘媛命。日本武尊と弟橘媛命の乗った船が相模湾の荒波に遭遇し人身御供として危機を脱したのが弟橘媛命。 (吾妻神社縁起一部抜粋) 2021/01/10

金目麻莉子
12 三月 2021 9:05

梅沢登り口から登る途中にあります。
由緒正しい、海を見晴らせる神社です。

縁結びの神様。
ここでお参りして付き合っていた人と妊娠が発覚 (お参りしたからかは謎ですが、)
妊娠中も2回お参りに行って、無事安産で元気な男の子を出産しました
記憶が正しければ、逆子も治ります様に〜ってお願いして、治ってました‍️
ただ坂が多いのでお腹が大きいとキツかったです。
妊婦さんで登られる方は無理しないでくださいね

きっと吾妻神社の神様のおかげだと思っています子供もすくすく成長しています。
子供が歩けるようになったら家族全員でお礼参りに伺いたいと思います。

tannkyu
28 二月 2021 0:08

二ノ宮駅の最寄り神社かな。二ノ宮は「川匂神社」でこちらではありません。
少し登ると、公園山頂手前にあります。昔からこの地にある神社なのかな。年号が「聖徳」の吾妻大権現の石灯籠他もあります。
場所は、二ノ宮駅から歩いて20分位。足しだいです。
山頂の公園は、富士山の名所です。

富田浩喜
04 十月 2020 13:12

創建については不詳とされていますが日本武尊の妃である弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)に由来するようで、氏神様として祀られています。
お二人の伝説から縁結びの神様として地元では知られています。
現在の社殿は、明治から昭和の時代に活躍した建築家、伊東忠太による設計で、伊東氏の代表的な建築物としては橿原神宮や平安神宮、築地本願寺などがあります。そんな素晴らしい建築物を間近で見られるのも御利益なのかもしれませんね。

神奈川のむらさん
28 十月 2019 7:57

年末、犬と山に登った帰りにお参りする度に連続して良い事が無くてお参りするのを止めたのですが (やめたら特に何も起きなくなりました) 、
二宮観光協会のツイートで今回はじめて知ったのですが、縁結びの神様だったんですね
縁結び以外の事をお願いしても無理ですよねー笑
個人的にはイマイチとさせて頂きました。

yuki
08 五月 2019 11:01

マチカ(サクラネ・マシ)と、テチカ(ホツミ・テシ)の二人は、悔やんでも変え無きことに悔やんでいました。ヲトタチハナヒメへの申し訳ないとの思いです。
ヒメのクシ(櫛)とオヒ(帯)が流れ着いたと、それを、ツカ(塚)にしてツカリ・アヒキのお祭りをしました。ツカリ・アヒキは、昔の事に、ソサノヲがあの悲運の出来事の時に、お祭りしたものです。オロチとなったハヤコヒメ、犠牲になったハヤスヒヒメや7ヒメのこと、ツカリ・ヤスカタと篤くお祭りします。 その、タメシ(前例)に倣って、カタミ(形見)のクシとオヒ(帯)をツカに納め祭って、名もアツマモリ(神奈川県中郡二宮町二宮、吾妻神社)としました。オオイソ(大磯)の海岸です。ヤシロ(かみ・やしろ)を建ててカミマツリをします。ヤマトタケさんは、仰います。「ここに留まるハナヒコ(ハナキネ、ソサノヲ)は、我がサキミタマ(生まれ変わる前のタマ)であろう」このように、広く宣言をなさいました。そして、カワアヒのノ【詳細は未詳】にオホミヤ(大社)を建ててヒカワカミ(ソサノヲが罪を許されてからの後の称号)を祭らしめるのでした。【寒川神社か?】
『ホツマツタヱ39アヤ』  
日本 ヲシテ研究所 「ヲシテ文献 大意」 解説文
無断転載を禁じます。
(C) 池田 満

小椋明夫
02 四月 2019 17:52

吾妻山の頂上近くにある神社。創建は景行天皇の時代と伝わる。祭神は弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)である。弟橘媛命は日本武尊(景行天皇の皇子でもある)の東国征伐の際、走水(現在の浦賀水道)での嵐を鎮めるために身を投げたと伝えられ、その際に身に着けていた櫛が社前の海岸に流れ着き、それを埋めたことから社前の地名が埋沢(現在は梅沢)になったらしい。
ちなみに神社まではだらだらと長い階段を登る必要がある(途中1か所のみベンチあり)。

jiro
12 二月 2019 3:07

創立は第十二代景行天皇の時代。日本武尊が東征されたとき、妃の弟橘姫命が相州走水の海に身を投じられ、夫難に代わられて風浪を静められた。後海辺に漂着した櫛を吾妻山上に埋め祠を造り、これをお祭りした。これが本社の創始とされている。

YOKO
01 九月 2018 7:38

ご祭神 弟橘媛命(日本武尊の妃) 

吾妻山公園 梅沢登り口から階段を上がるのが近道ですが、夏場は蜂が多いのでご注意ください。

吾妻神社は、日本武尊が三浦半島の走水から上総国へ船で渡ろうとしたとき、突然荒波に遭い、妃が身代わりとなって海に身を投げると波が静まったと伝えられていますが、その後梅沢海岸に妃の櫛が流れ着いたとか。
その櫛を埋めて御陵を造ったことからこの地域が、埋澤と呼ばれるようになり、梅沢になったとか・・・・この神社のどこかに櫛が祀られているようです。ただ、御陵はここのほか茂原市の橘樹神社にもあるようです。
また、妃の小袖が浜辺に漂着し、これを吾妻山の山頂に祭ったと伝えられています。小袖の漂着した浜辺が、袖ケ浦海岸と呼ばれている二宮の海岸ですが、小袖は袖ケ浦市と習志野市の袖ヶ浦にも流れ着いたようです。

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