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日蓮上人辻説法跡

住所 神奈川県鎌倉市小町2丁目22−13-7
カテゴリー 史跡
評価 3.8 6 件の口コミ
Place of Priest Nichiren's Street Sermons
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日蓮上人辻説法跡 件の口コミ

6
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藤田力
22 十一月 2021 9:23

20210425鎌倉のんびり散歩
神社用の御朱印帳が一杯になったので、2冊目に狙っていた御霊神社の御朱印帳を購入すべく午前中から鎌倉のんびり散歩に行って来ました!
御霊神社の御朱印帳を入手し、大蔵山 杉本寺で有名な苔の石段を堪能し、帰る途中で「日蓮上人辻説法跡」を見つけたので足を停めて見学しました!
現在では、何気なく歩いてるこの小町大路を中心に辻説法を実施したのですね!

Osamu
17 四月 2021 7:15

鎌倉はなんのかんの言ってもやはり「歴史」にしっかりと基づく街ですね。こちらはかの有名な日蓮宗(法華宗)を開いた日蓮上人が鎌倉に入って、この小町大路を中心に辻説法を実施した、その歴史がこちらのランドマークにしっかり残っています。

佐藤康廣
08 十一月 2020 20:14

鎌倉の寺社仏閣を散策している途中で、気が付きました。日蓮上人は、このような場所で、辻説法をしていたんだね鎌倉幕府の政道を正し、庶民には極楽浄土への道を説いていたんだね。幕府からの迫害は、想像以上のものだったんだろうねそして、困窮する庶民に対しては、「南無妙法蓮華経」と唱えれば、極楽浄土への道が開かれると説いたんだね。これは、日蓮宗が庶民の間に布教するきっかけとなったんだね。教えが簡単明瞭だったので、浸透しやすかったんだね。

Kei
07 十一月 2020 3:24

当時の鎌倉は地震、暴風雨、干ばつ等で疫病が続発し、不安と恐怖におののく人々を救おうと、日蓮上人は、松葉が谷の草庵から毎日小町大路の街頭に出て、道行く人々に辻説法を行い法華経を教え熱心に説いていました。「煩悩菩薩・生死即涅槃」「南妙法蓮華経」と唱え、人生のいろいろな悩みや執着はそのまま悟りだと思い、法華経を信じる事を説いた。「政治が正しくなければ国も庶民の生活も安ずることが出来ない」また「為政者が邪教を信じ、法華経をないがしろにすれば”自界叛逆・他国侵逼難”となって日本は滅亡する」と予言していた。日蓮上人38歳の時です。

ken
30 一月 2020 7:40

鎌倉の地で初めて日蓮上人が辻説法をした歴史的重要な神聖な場所
敷地内はしっかりと鍵を締められていた立ち入れなかった(泣)
特に石碑下に残っている石は日蓮上人が腰掛て説法した重要な石である

Tomy
14 六月 2018 12:22

1253年、鎌倉幕府が五代執権北条時頼の時代、天災や疫病に庶民の不安が広がる鎌倉に、千葉県鴨川市の清澄寺からやってきた日蓮。「南妙法蓮華経」を唱える法華経を広めて人々を救済しようと、武家屋敷、商家町があった小町大路に出て、毎日辻説法を行っていたという。法華経を唯一の正教として、他宗やそれを支持する幕府を非難した為、結局、他宗、鎌倉幕府から排除された。しかし、蒙古襲来予言、龍ノ口法難など日蓮を神格化するような伝承も残っている。

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