蛭子神社
住所 | 神奈川県鎌倉市小町2丁目23−3 |
サイト | www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4 |
カテゴリー | 神社, 観光名所 |
評価 | 3.4 10 件の口コミ |
Hiruko-jinja (Ebisu Shrine) | |
最寄りの枝 |
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蛭子神社 件の口コミ
10 考察
ここは、蛭子神社(ヒルコジンジャ)なのに何故祭神がオオナムチ様なのでしょうか?不思議ですね。
蛭子様をエビス様と読ませるなら、エビス様の父親がオオナムチ様ですから納得ですが、「ヒルコ」と読ませてるからには、「昼子様」のことでよね?
つまり、この神社の蛭子様とは、アマテルカミ様(天照大神様)の姉のヒルコ様(ワカヒメ様)ですよね。
つまり、西宮神社の本当の祭神のヒルコ様(ワカヒメ様)のことです。
西宮神社は、恵比寿様を祭っているとしていますが、そ!は、表面上のことで、本祭神は、ヒルコ様(ワカヒメ様)ですね。
だから、境内の神馬舎の白馬は、小さいサイズになっています
ヒルコ様が西宮神社に来たときが、丁度、三歳でしたから
By ロックベル
訪れた日は社殿の前に堂々と軽トラックが停めてあり、これはあんまりだと思いました。
ご祭神は夷さま、日蓮宗の七面大明神さま、天台宗の守護神山王権現さまの合祀ですが、案内では大己貴命(大国主命)となっています。
イチョウのご神木が立派です。
20210223JR北鎌倉駅~鎌倉駅周辺のんびり散歩に行って来ました!
久里浜にきて1ヶ月が経過し、やっと近所の駐車場に空きが出たので午前中に契約&振り込みを済ませ一安心!
午後に電車に乗りお参り出来てない「鎌倉・江の島七福神」に行って来ました!
北鎌倉駅で降りて浄智寺 (鎌倉五山) 、建長寺 (鎌倉五山) 、鶴岡八幡宮、宝戒寺 (毘沙門天) で参拝を済ませ本覚寺 (夷尊神) に向かう途中に鳥居を見つけたので参拝してみました!
蛭子神社:小町大路の中ほどに鎮座!
全く目立ちませんが、小規模ながら歴史を感じる立派な佇まいの本殿でした!
これから伺う本覚寺の夷堂を明治の神仏分離令で移転合祀した神社との事で、源頼朝や日蓮にゆかりのある小町の鎮守!
通常は無人 (やたらと鳩が多いです!) ・ご朱印無し・境内は近隣住民の駐車場の様で少々残念な気がします!
鎌倉駅東口から徒歩五、六分の距離で小町大路から少し奥まったところにある蛭子神社。規模は小さめの神社で、全く目立たない場所にあります。うっかりすると完全に見逃してしまいかねません。
しかし奥の神社や建物は意外や意外。とても立派な佇まいで、歴史をしっかり感じるものでした。境内には鳩が多数集まっており、人間が来ると「食べ物でもくれるのかな?」と思い、どんどんどんどん鳩が集まってきます(笑)。
村社蛭子神社と石碑に刻まれていました。格式の高い神社のようですね️境内もお社も、小ぢんまりとしていました。しかし、境内に綺麗に手入れがなされていました。また、本殿横の庫には、立派な御神輿が納められていました。やはり、この周辺の中心的な存在なんですね普段は、社務所には誰もいないようですねそれでも、静かで落ち着きのある、良いお社ですよ
「ひるこじんじゃ」と読みます。かつて本覚寺山門、夷堂橋のあたりに源頼朝が鎌倉幕府を開く際に鬼門の鎮守として建てた天台宗系の夷堂があり、これが蛭子神社の起源です。佐渡配流から帰った日蓮が1274年頃にこの夷堂に滞在して布教の拠点としたといわれています。室町時代の1436年に日出が夷堂を日蓮宗に改宗して現在の本覚寺を創建します。
明治に入って神仏分離令により本覚寺と分離し、七面大明神、山王大権現を合祀して蛭子神社となり現在の地に移りました。
13. 蛭子神社
アクセス
鎌倉駅東口から5分。神奈川県鎌倉市小町二丁目にある神社。
御朱印
種類・・・ 「蛭子神社」の1種類。
現地では貰えないので、大町の「八雲神社」で頂けます。
蛭子神社の創建年代は不詳ですが、本覚寺創建の以前より夷堂の横にあり、夷三郎社と称していたといいます。本覚寺創建の際に境内へ移転し、夷堂として、本覚寺の守護神、地域の氏神として崇敬されたといいます。明治維新後の神仏分離令により当地へ移転、本覚寺の七面大明神と、宝戒寺の守護神で北条一門の守護神であった山王大権現とを合祀して、蛭子神社と改称、明治6年には小町の鎮守として村社に列格していました。
社殿は、1874年(明治7年)に鶴岡八幡宮末社の今宮(新宮)のものを譲り受けている。
その後、本殿は1923年(大正12年)の大震災で倒壊し、
1933年(昭和8年)に再建されました。
伝説!蛭子神=夷神
この神社の名は、蛭子と書いて「ひるこ」と読むが、蛭子という字は「えびす」と読むこともある。
一説には、いざなぎの神といざなみの神との間に生まれた子が蛭子で、生まれながらの障害を持った子であったため、船で海に流された。
蛭子は海上でたくましく成長し、漂着した地で漁業・商業の神として崇められるようになり、現在では夷神として信仰されているという。
観光の人の気配はありませんが滑川に面した境内は鳥のさえずりが高らかに聞こえ、木立は高く、注連縄を巻かれた銀杏の木が印象的。銀杏の紅葉も楽しめます。
境内には御神輿も収蔵され、ガラス越しに見ることが出来ました。
JR鎌倉駅東口より徒歩8分。
小町大路の中ほどの滑川沿いに鎮座している静かな神社さん。
小規模ながらも歴史を感じる立派な本殿。
源頼朝や日蓮にゆかりのある小町の鎮守。
無人です。ご朱印はありませんでした。