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天照大神宮

住所 神奈川県横浜市港南区港南5丁目12−8 天照大神宮
電話 +81 45-842-1920
サイト www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4
カテゴリー 神社
評価 3.6 5 件の口コミ
Tenshodai Shrine
最寄りの枝
青木神社 — 神奈川県横浜市港南区大久保2丁目1−11
春日神社 — 神奈川県横浜市港南区日野中央2丁目9−3
森浅間神社 — 神奈川県横浜市磯子区森2丁目16−7
若宮八幡宮(大岡) — 神奈川県横浜市南区大岡1丁目5−1
近くの同様の会社
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東峯八幡大神 — 神奈川県横浜市戸塚区吉田町1263
下永谷神明社 — 神奈川県横浜市港南区下永谷2丁目32−1
根岸八幡神社 — 神奈川県横浜市磯子区西町1−1

天照大神宮 件の口コミ

5
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ちょいちゃん
27 八月 2022 22:38

小高い丘の上にあります歩いて登るの一苦労でした!
帰りは、おんな坂を下って帰ります。
厳かな雰囲気は良かったです。

たえこいとう
05 一月 2021 10:22

住宅街の中の高台にある神社で、 近所の人にしか知られていないかもしれません。 しかし境内は広く立派な社殿です。 鳥居も普通の神社のように立派です。 高台にあるため、長い階段を登って行かないといけないので少し大変です。

Jun-ichi
08 一月 2020 2:53

森浅間神社が兼務する神職不在の氏子神社。
御朱印は書き置きが有りますが、
日付を加筆して頂けない時も有ります。
記帳を希望される場合は本務社にて。
但し、1週間程の預かりとなります。

みうけん
14 五月 2019 21:56

言わずと知れた笹下・港南地域の総鎮守。
かつてここには笹下城の出城、松本城がありました。坂や階段がかなりきついですが、眺めも抜群に良いです。
境内には地域出身者の戦死者をまつる慰霊塔があり、社殿には日清日露戦争にまつわる額が奉納されています。
トイレ、御朱印、御守りあり。
平成31年4月より奉賛会に加入しました。この神社には立派なお神輿がありますが、かつぎ手がいないとの事でずっとしまわれたままになっています。港南さくら祭りの際にはかろうじて子供神輿が出ていますが、これだけの住宅密集地でかつぎ手がいないのはさびしいことです。
地元の知り合いに声をかけて、いつかお神輿を盛大に復活させるのが夢です。

久良岐のよし
06 四月 2018 12:34

本来は安房洲明神が祀られていた神社。
笹下城主が間宮信元公の時代に接収され安房洲明神は移転、その後再び江戸時代を通じて祀られていた。

当時は天照大神宮は元は久良岐郡森村 (磯子区森~中原) の地域に存在していた。その支配は松本村 (港南区港南) 修験道の権現堂の管理下に置かれていた。
この権現堂と言うのは嘗て鎌倉の亀谷 (かめがやつ) に存在し源頼朝に崇敬された修験道の大道場の“亀谷山福禅寺権現堂”の事。
その福禅寺は鎌倉時代に戦乱を避けて鎌倉から磯子区森の森浅間神社と港南区松本に江戸時代まで存在していた権現堂に機能移転した。
福禅寺の寺院機能は室町時代に扇谷上杉家と三田家により東京都青梅市に福禅寺として再興されている可能性が間宮信冬公~間宮康俊公の戦国時代に開いた鶴見区の寳泉寺や川崎の宗三寺との関わりから推測できる。
安土桃山時代には福禅寺は天皇家勅願所にも成っているが、そもそも鎌倉時代の亀谷山福禅寺権現堂が親王が赴任する門跡寺院だった事から小生のこの説の状況証拠となる。
尚、青梅市の福禅寺は無能な徳川幕府役人が寺領保証の朱印を“海禅寺”と書き間違えて以来、その寺号を已む無く名乗っている。

権現堂の修験道は神仏習合の宗派だった為に明治に成ると明治政府のプロテスタントキリスト教徒政治家達の主導で宗教改革が行われて仏教と同じく弾圧の対象とされ、神仏分離で国家神道が成立。権現堂家も修験者としての僧籍を官命で捨てさせられ、以後は国家神道に属した。
その祭に御祭神は森の天照大神宮が合祀され主祭神が天皇の皇祖神でもある天照大神にとって変わられ、他にも江戸時代を通じて笹下間宮家の陣屋に在った御霊神社が合祀されたりもした。
この御霊神社は間宮一族の名将間宮康俊公をはじめ間宮一門を奉る神社だったが、恐らく前身は間宮家の氏神である近江国安土沙沙貴神社より戦国時代に間宮家の支配地だった川崎に勧進された沙沙貴神社の更に御分霊だろう。
沙沙貴神社の御祭神は間宮家や黒田如水公や乃木大将や佐々木高綱公等の祖先である敦実親王の御霊である。

尚、宮司家の家門は間宮家から下賜されたであろう丸に隅立て四つ目紋である。

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