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浦賀奉行所跡

住所 神奈川県横須賀市西浦賀5丁目17−2
電話 +81 46-841-4155
時間 00:00-24:00
サイト www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2490/uraga_walk/nisi12.html
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 3.3 6 件の口コミ
Uraga Magistrate's Office Ruins
最寄りの枝
陸軍桟橋 — 神奈川県横須賀市西浦賀1丁目12−3
駆逐艦村雨の碑 — 神奈川県横須賀市鴨居3丁目15
大塚復元古墳 — 神奈川県横須賀市1
衣笠城址 / 衣笠城跡 — 神奈川県横須賀市衣笠町29−1162
近くの同様の会社
戦没船員の碑 — 神奈川県横須賀市鴨居3丁目
三軒家砲台跡 — 神奈川県横須賀市鴨居4丁目1262
佐原城 — 神奈川県横須賀市佐原3丁目
浦賀燈明堂(横須賀市西浦賀) — 神奈川県横須賀市西浦賀6丁目1

浦賀奉行所跡 件の口コミ

6
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男山中
19 十一月 2022 10:25

17年程前までこの社宅に住んでいました。ここの敷地内で拾った小猫と田舎へ帰って来ました. 猫は6年前に死にましたがかかっていた動物病院から保護猫をもらい今一緒に暮らしています.可愛いいです.亡くなった猫に毎日朝カリカリとお水をあげ拝んでいます.亡くなった猫のことは死ぬまで忘れる事はありません。懐かしく帰りたくなる事がありますが無理みたいです。

中村中
17 十二月 2021 3:41

享保5 (1720) 年12月、下田から奉行所を浦賀に移した。船改め、海難救助、地方役所などの役務を主業務としていた。
嘉永6年6月3日 (1853年7月8日) 浦賀沖に投錨したペリー艦隊の対応にもあたった。

江戸と浦賀奉行所を結ぶ街道が東海道保土ヶ谷宿金沢追分を起点とする東浦賀道と東海道戸塚宿を起点とする西浦賀道がある。尚、西浦賀道は大津湊附近で東浦賀道に合流する。

現在、奉行所跡地は更地に説明板が建てられ、奉行所を取り囲む石垣と表門の前に架けられた石橋の伊豆石が数枚残るのみである。

イエローハッピートレイン
24 八月 2021 1:36

ここに生まれてから長く住んでいたが、本当に何も良い事がなかった。良い住人はすぐに遠方へ越し、目の吊り上がったような者や、精神を病んだ人が残っていた。
悪いがここの奥側の方の長屋も闇深かった。

昭和、この奉行所跡地は団地が向かって縦に3棟建っており、右側に1棟にあり、2棟目の間に小さな生協(スーパー)があった。
昭和50年代頃は活気があったのだと思う。
平成に変わる頃に生協は閉店して、駐車場になった。

先程も話したが、実際に怪奇現象というか、〇〇を見たという棟の部屋もあった。

子供の頃は分からなかったが、奉行所跡地等には住むものではない。
昔は無罪の者も酷い拷問を受けたり、そのせいで亡くなった方もたくさんいたのだろう。
そしてこの近くに首切り場という呼び方をする
灯明堂もある。
史跡として使われる事になって良かったとは思う。
こういう場所には住むべきじゃないよ。

内田真仁
01 一月 2020 0:13

感想も何もお堀の石垣以外何もない、アパート取り壊して更地にして、更に風情も何もない。寂しいもんです。
最近は、頻繁に発掘調査してるようです。大切な歴史なので、上手く観光活用出来るといいですね。

secundum
10 七月 2019 8:44

野比海岸で最初に黒船を発見した人が、急いで浦賀奉行所に走り伝えたらしい。ルートは尻こすり坂だったのだろうか?それとも海岸線だったのか?当時は随道はあったのか?
どんな気持ちだったのだろうか?今、現代人の目の前にUFOが現れたのと同じくらいに違いないと思う。私が久里浜のペリー通りのペリー公園のペリー記念館の中で黒船のジオラマを発見した後に、急ぎ足で浦賀奉行所まで歩いて行ったら、もう浦賀奉行所は無かった。

katikatipan
31 七月 2018 14:55

江戸時代に奉行所があった場所。土地を、横須賀市が無償で譲り受けたのだそう
2018_試掘し、色々と発掘できたので
2019_本格的に発掘調査予定
ゆくゆくは国の史跡にしたいのだそう

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