岩崎弥太郎生家
住所 | 高知県安芸市井ノ口甲 |
電話 | +81 887-34-8344 |
時間 | 08:00-17:00 |
サイト | www.akikanko.or.jp/kanko/yatarouseika.html |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 4.5 13 件の口コミ |
Iwasaki Yataro's Childhood Home | |
最寄りの枝 土居廓中(どいかちゅう)武家屋敷(野村家) — 高知県安芸市土居 |
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近くの同様の会社 安芸城跡 — 高知県安芸市土居953 |
岩崎弥太郎生家 件の口コミ
13 高知に来たら是非にも行きたい場所でした。
現地には案内してくれる方がいて、色々説明してくれます。
土砂降りの雨だったので適当に切り上げましたが、次来たときはじっくり見て回りたいです。
オススメです。
室戸岬から高知市までの帰りに訪問しました。
海沿いの国道を曲がって10分しないくらいで到着。ナビ通りの道はかなり狭く行き違いしにくいので立て看板に沿って行く方が良いです。
施設としては岩崎弥太郎像、岩崎弥太郎生家、トイレ、民謡の石碑とシンプルです。弥太郎が並べたという日本列島の形に並べられた岩が見どころかと思います。
GWということもあってか地域の方が雑貨を販売しつつ観光案内もしていました。長時間話し込んだ訳ではないですが、非常に親切な方だと思いました。
三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎さんの生家です。
NHKの大河ドラマでは中村芝翫さんや香川照之さんが演じてらっしゃいましたね。
若き日の岩崎弥太郎さんが日本列島をイメージして庭に並べた石は何回みても良いです。
高知県安芸市にあります【岩崎弥太郎生家】
龍馬伝では香川照之さんが演じて覚えておられる方も多いと思います
岩崎弥太郎は、三菱財閥の創始者です!
先祖の代は、安芸の安芸国虎の家臣で、その後、長宗我部元親に仕えた武士でした
山内氏が土佐に入国後、武士の位を捨て農民になりました
岩崎弥太郎は海援隊の会計係や、九十九商会の指揮者、のち三菱商会と改め岩崎弥太郎個人の企業になっていきます
最後はしょりましたが、詳しくは龍馬伝見れば香川照之さんが熱く伝えてくれると思います
父親役の蟹江敬三さんも流石です
2~4枚目は生家で修復はしてますが、現存だと思います。
5.6枚目は少年期に作った日本列島です。四国がえらいデカい気がします
7.8.9は元々郵便局前の公園にあった記憶があるのですが、ここに移動させたみたいです
何十年ぶりかに、子どもと一緒に行きました。
あまり見るものは無いですが、私が小学校頃に行った時より石碑などが増設しており、少し新鮮味がありました。子どもが学校の授業で習っており、色々と生家について詳しくて、教えてもらいながら、楽しく見学しました。笑
子どもの時にみた時と、もうよい年の大人になってみた時とはまた違った感じがよかったです。
欲を言えば、周りに飲食出来る店もしくは、買ってマイカーで食べれる様な食べ物屋さんあればよいかなと思います。田舎の山の方なので、仕方がないとは思いますが、、。
2016.5、歩き遍路で立ち寄りました。
遍路コースからは往復で6km離れたところにありますが、足を運ぶ価値はアリアリです。なんといっても、銅像の生気の“圧”がハンパなく、圧倒的でした。
加えて、みなさん書かれてる「日本列島の石組み」。日本の外れ(失礼)に住み、なおかつ身分がとても低かったのにその志。思わず身を乗り出して、ずっと見ていました( ^ω^)
50年前に一度行った時はそのままの状態でしたが、三菱グループが手を入れてかなり良くなった。弥太郎は悪役にされているが、経済学者ドラッガーによると、渋沢と岩崎のやったことは、ロックフェラーとモルガンより功績が大きいようなことを、言っていました。
三菱財閥の祖、岩崎弥太郎の生家です。
無料で観覧できます。というより、生家を開放しているという感じで、受付などはありません。解説は少なめで、駐車場に銅像、生家に申し訳程度の解説がある程度です。博物館や記念館と言うほどではないので、10分あれば十分です。駐車場は整備されていますが、安芸市街からの道のりが離合の困難な田舎の住宅街や農道だったりするので運転が苦手な人は注意が必要。
土佐の地下浪人の家に生まれた弥太郎が吉田東洋の門下に入り、開成館や九十九商会を皮切りに才覚を現し、台湾出兵や西南戦争にて海運業で財をなし、日本郵船から後の三菱財閥として繁栄していった礎として、とても感慨深い物があります。
話は逸れますが、同じ財閥の祖として愛媛の新居浜の別子銅山には住友財閥の礎になった記念館があり、こちらは所蔵物や解説が豊富で大変見応えがあります。
江戸末期の住宅がしっかりと残されており、当時の暮らしや住宅を知る上では貴重な施設となっています。特に岩崎弥太郎という歴史に名を残す方の生家ですので、人物そのものや弥太郎が関わった歴史上の人物などに興味があれば、なお一層楽しめると思います。
蔵に掲げられた今に続く財閥の家紋や、庭に残る日本列島をかたどったとされる石などが残されています。
観覧は無料で自由に見学でき、訪れるタイミングによっては売店も営業しているようです。数台停められる駐車場も用意されています。
周辺には安芸城跡や点在する武家屋敷、当時の街並みを思わせる路地などもあります。
そうかあ
天下も三菱もここから始まったんだなあという気持ちになります。
湯島の庭園より、こちらのほうがビジネス初級者(私)は引き締まるんじゃないでしょうか。
ちなみに、星神社に書き残された言葉は焼失してしまったんですね。
貧しさからのしあがり、さすがの人物です。生家の庭の木々にはオーラやヒーリング感があります。
静かでいて、立身出世した並々ならぬ努力と強運を垣間見ることが出来ます。
Người đã làm nên một công ty nổi tiếng của Nhật Bản sau khi vươn lên từ nghèo khó
Đó là một con người chân chính. Cây cối trong vườn nơi sinh ra linh khí, có tác dụng chữa bệnh.
Nó yên tĩnh và cho bạn cái nhìn về những nỗ lực phi thường và may mắn của một sự nghiệp thành công.
「岩崎弥太郎生家」
安芸市内より約3㎞。郊外の住宅地、井ノ口一ノ宮に岩崎彌太郎生家が修復保存されています。大河ドラマ「龍馬伝」がきっかけで行ってみた場所です。
岩崎彌太郎の先祖は安芸国虎の家臣だったようで、のち長宗我部の安芸支配の時代は長宗我部に仕え、山内氏が土佐入国後は開墾に従事し農業を営んでいました。
この家は、彌太郎の曽祖父 弥次右衛門が郷士の株を売って1795年ごろ建築したもので、建坪約30坪藁葺きの平屋、表が8帖、その脇に4帖半2間、茶の間9帖になっていて、その左が通り庭、通り庭から茶の間の床下をのぞくと芋壷(芋貯蔵穴)がみえます。また風呂と便所は別棟に設置されています。(説明看板より)