武市半平太旧宅
住所 | Kochi, 仁井田3021 |
電話 | +81 88-832-7277 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.kochi.kochi.jp/site/kanko/takechihanpeitakyuutaku.html |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 4 7 件の口コミ |
最寄りの枝 |
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近くの同様の会社 5号掩体壕 — Kochi, Nankoku, Maehama, 1779 |
武市半平太旧宅 件の口コミ
7 残念な。
武市さんは土佐勤皇党を作った党首で、虎太郎さん、坂本さん、中岡さんも、名を連ね、少年期〜青年期に大きな影響を与えた人物。
土佐勤皇党は、一長州と肩を並べ、幕末の日本を揺るがす働きをした、その党首ですよ。
なのに
22歳まで過ごした、高知市ないの旧宅は国史から、国史跡に変わり、武市の血筋と関係のない方が所有されてます。見ること叶いません。
武市神社の正面に、武市さんの資料館が神社を隠すように建てられ…。神社の存在に気づけないどころか、神社に手を合わせる事もしづらい状況。
お盆が終わったばかりなのに、武市家の墓地は荒れ、随分前に備えられたサカキが、枯れたまま放置されてました。
情けない。
産業の少ない高知は、龍馬を利用し、空港にも龍馬の名前を冠付て、街を歩けばそこら中に土佐勤皇党の残した場所に、石碑を建てていますが、実際には、この仕打ちてす。
桂浜に、資料館を建て、市内には龍馬が育った街資料館を建て、あちこちに、竜馬像や写真で賑やかしてますか、観光客を呼び込み儲けるためのようです。きっと龍馬ブームが終わると資金難理由に、捨てるのでは?
岩崎弥太郎生家は、三菱が立て直し 像を建立。中岡慎太郎さんも、中岡慎太郎生家を再建、資料館も二階建てで街の誇りとして扱われています。
武市さんに対して、高知県のこの対応はふざけてます。高知城近く、武市さんの道場跡も、今は普通の民家となり、道場近くの公園の隅に、雑草に覆われ、隠くされた史跡が放置状態です。
高知県、高知市は先人に対し、礼を持った扱いではなく、観光客から金を取るために利用しているだけ、高知県人も、よくこんな状況を許し、甘んじているものだと。
岡田以蔵さんも、後藤象二郎さんも近藤長次郎さんも、今正に金を設けるための手段として、高知県が利用しまくってるという事がよく分かりました。
通りで、皆が高知に見切りを付けるわけだ。今も昔も、高知の御偉いさんは、自分たちの保身と、人を利用するばかり。
特に、土佐を愛し最後まで土佐を考え続けた、武市さんへの非礼は…。
もう、高知へは行くことないと思います。高知にとって、武市さんも、坂本さんも、中岡さん、岡田さんたちも、観光客も金づるでしかないのがよくわかりました。
この家に武市半平太と妻の冨が住んでたんやなぁ…
て言うかこの家の今の住人て武市半平太の子孫なんかな?
どういう経緯でこの家に住んだのかそこがやけに気になって仕方ないです
幕末史において武市半平太の評価はテロリスト的な面が小説などでよく書かれていて至って陰気なイメージだが当時の第一級の人物であるのは確か!
そんな人の住んだ家に住むってなぁ…家のなかはやっぱりリノベーションしてるんかなー
勝手な意見で、申し訳ございません
私は竜馬ファンでして、半平太さんはどうしてもすんなり受け入れることが嫌なんですが
けれども、竜馬さんは、半平太さんを
崇拝に近い思いだったんでしょうし……
色んな意味で、竜馬さんを
そうしてもらったのも半平太さんなんでしょうし。
そのとうじの山内家ありきの土佐藩思想からすれば、当たり前なんでしょうが………
けれども、今でも高齢のご懇親様が
手入れされて下さりとの様な地域テレビで
見た記憶。
維持をすることの大変さに頭が下がります
昔に思いを巡らせ、
出向けて、感謝をさせていただくのは
有り難いです
2021/09/20
道沿いに来れば迷うことはありません。
迷いようがありません。
民家?
誰か住んでいるんだ。だから自転車があるんだ。
住んでる家に看板があるってどんな気分なんだろう。
こんな田んぼの畦道の上にあった。土佐勤王党党首 明治になり名誉回復され、愛妻富子とともにこの地に眠る ふたたびと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり
旧宅は現在、他の方が住まわれていて見ることはできませんが、奥にある神社や小さいですが博物館を見られます。その小高い丘から旧宅が見えました。そこからの高知市内の眺めが良かったです。昔もこんなふうな景色だったのかな?と眺めました。️
武市半平太の実家と墓を参る(車18分)
武市半平太を祀った神社と、私設の小さな小屋の中に武市半平太資料館となっていた。一読し来館ノートに名前を記した。そこから20段ほどの階段を上り武市家の墓(一族密集10墓ほどがある)を参る。かなり感慨深い感慨深いです物があり、当時の身分階級のことや、時代の流れに真っ直ぐに戦った志士の姿を感じることができた。また、墓は夫婦揃って静かで落ち着くところに構えられており、尊敬の念が感じられる。同時に周りには田んぼと山しかなく、ここで学び剣の修行をした武市の強さの原点を見たような気がした。
一番自然体で、感銘を受けた場所