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中岡記念館(中岡慎太郎生家)

住所 高知県安芸郡北川村柏木494
電話 +81 887-38-2413
時間
月曜09:00-16:30
水曜日09:00-16:30
木曜日09:00-16:30
金曜日09:00-16:30
土曜日09:00-16:30
日曜日09:00-16:30
サイト www.nakaokashintarokan.jp
カテゴリー 史跡
評価 4 7 件の口コミ
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5号掩体壕 — Kochi, Nankoku, Maehama, 1779

中岡記念館(中岡慎太郎生家) 件の口コミ

7
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さくらひろし
19 一月 2023 0:32

中岡慎太郎記念館の近くにある生家を復元した場所です。
記念館からは道路を渡って少し降りたところで、駐車場に車を停めたまま行くことができます。

確かお金はかからなかったはずですが、記念館の入館料を払ったら無料だったのか、正味の無料だったのかは忘れました。

復元とはいえ、中に入って見学もできます。解説は記念館のほうがメインでこちらは最低限ですが、記念館に来たからにはこちらもついでに寄ってみてはいかがでしょうか。

岡崎英城
26 七月 2022 8:13

江戸徳川政権から、日本政府へ時代を変えた一人「中岡慎太郎」さんの生家 (1966.11.17再建) です。

中岡家は代々 高知市鏡、南国市上倉、高知市春野町などの地をまとめる庄屋として転々としていたようです。高知県東部の北川郷の大庄屋の長男として1838年5月に生まれました。

慎太郎さんが20歳の時、父親が倒れ大庄屋見習いとして村の政治に参加していく事となりました。
飢饉の際には、庄屋として藩の米蔵を出すよう家老に嘆願し村民を救った実績もあります。なんと、15歳の嫁も貰い幸せ絶頂時期もありました。
その為、生家は庄屋としての勤務室が南側、奥の北側の部屋が家族との生活した部屋となります。

武市瑞山に会った事で、人生が大きく転換。北川郷から約100km離れた高知市に武市さんに師事したことで、激動期を迎えます。

土佐勤王党16番目に署名に入党。その後 脱藩、長州亡命、禁門の変では、負傷しながらも、総督代行として活躍、薩長同盟締結に奔走、高知藩から坂本さんと共に、脱藩罪赦免 (赦されたが土佐藩士には戻らず、共に浪人) 、薩土盟約の仲介 (後に後藤象二郎の失態で薩摩から盟約解消) 。陸援隊結成。坂本さんに引けを取らない、怒涛の活躍。

大政奉還後、近江屋で坂本さんと共に11月15日に夜襲され、17日に息を引き取りました。享年30歳。
坂本さんより3歳も若かったのに、対等な立場で意見のやり取りをした数少ない遣手でした。

坂本さんより、過激で理論的な中岡さんも、あの夜坂本さんとシャモを食べなければ、暗殺されずに済んだのに…。
武市瑞山に師事しなければ、奥さんと平和で、村民から慕われた庄屋としての人生もあったのに。

人生ってのは、本当に所業。岐路次第で右にも左にも進む道が変わると教えられます。
中岡さんが選んだ、岐路は正しかったのか…。

なかなか、考えさせられます。

Daicey
18 十一月 2021 8:56

20年前に一度伺って今回で二度目になります。以前は道も整備されていなくて細い道をくねくねと上がってきた記憶が有ります。今は専用道路が出来て随分便利になりましたね。しかし屋敷等の記憶はあまりなくてまるで始めてきたような感覚です。綺麗に整備されてて保存の状態も良いようですね。

白門太史
29 十月 2021 23:47

以前寄った時はもっと小さく、天井ももっと低かったと思うが…実際はもっと奥に有ったものを移設したものだと記憶している。

a yoko
17 八月 2021 8:50

中岡慎太郎生家の玄関入口のところのピンポンするやつ(呼鈴? )を押すと、中岡慎太郎についてのガイドアナウンスが生家中に流れます。
家の中に入って見学することも可能で、昔の人の暮らしを感じることができます。

大屋武士
17 三月 2021 21:25

よくもまぁこんな山奥から時代が見えてたんやなーほんますごいしか言葉がありません!

ちゅうべい
01 五月 2020 17:31

時間がなかったので中には入らなかったですが、道路からでもばっちり拝見することができました。

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