朝倉城跡
住所 | 高知県高知市朝倉丁546 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/90/cas-pref-2400400.html |
カテゴリー | 観光名所, 城, 史跡 |
評価 | 4.7 7 件の口コミ |
最寄りの枝 坂本龍馬誕生地 — 高知県高知市上町1丁目7 高知市大川筋武家屋敷資料館 — 高知県高知市大川筋2丁目2−15 大川筋武家屋敷資料館 田中良助旧邸資料館 — 高知県高知市柴巻381 中央公園 — 高知県高知市帯屋町1丁目 11番27号 |
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朝倉城跡 件の口コミ
7 西登り口(GFWJ+R59 高知市、高知県)から登って、北登り口(HF2J+JPH 高知市、高知県)へ降りました。
主郭へ手っ取り早く行くなら北登り口で、駅前の通りからすぐ入っていけるので便利です。しかし西登り口から入ってすぐの、横堀と竪堀が交差してる辺りの遺構は必見です。
どちらにしても車を置く場所はないので、車の場合は駅周辺のどこかに置いて歩いていくことになると思います。
朝倉城は本山氏が土佐中央部の支配のために築いた城で、長宗我部氏との戦いに敗れて本山氏が退いた後は、長宗我部氏の拠点城郭として整備されたようです。
酷い竹藪と私有地立入禁止が多く、城の全容を把握することはできませんが、凄まじい土木量で普請しまくった巨城であることは十分に感じられるはずです。
今後、整備が進められていくことを願います。
戦国時代の山城です。真偽は不明ですが、高知県内で最も面積が広い山城だと聞いたことがあります。
詰の段には、石碑や社などがあります。そこまでには石積や堀割、空堀や竪堀などの遺構が見られます。
また、詰の段には、桜が多数植えられていて、訪れたのがちょうど桜の季節だったので、満開の桜を独占しながら、ベンチに腰掛けて、弁当を食べました。はっきり言って穴場です。人も居ないので、コロナに気を使う必要もありませんでした。
北城山バス停横に案内板がありますが、それを読んだ後に歩道橋を渡り、案内板に従って登山開始。
舗装道路を歩くこと約5分、北城山の公民館に着きます。ここで道が3方向に分かれますが、公民館の裏手に回り込む道を進みます。
その後、舗装道路を約5分歩くと朝倉城址東登り口と書かれた棒に着きます。
ここからは山道になりますが、棒の矢印に従って登ると約10分で詰の段に着きます。
駐車スペースがないため病院駐車場に停めて登城しました。
東側登城口から入るとまず東側曲輪群が目に付きます。尾根沿い2つ草木が伐採されて、段曲輪、堀切あり、東に高知市街が展望できます。
主郭は本丸を中心に放射状に二の段、三の段と拡がります。西側のみ石垣のある井戸、堀切を経て詰の段から西へ繋がります。
主郭部の土塁は開墾でほぼ残っていませんが、詰の段北西にありました。
主郭部の北斜面一面に土塁内堀、竪堀があり、詰の段の北は二重の土塁あり、見所となっています。
詰の段南側にも土塁内堀あり石垣が使われていました。
【歴史】
城跡の歴史的情報に関しては他の方のとおりです。
【現在】
現在朝倉城跡は原っぱとなっており、城跡によく見られる礎石等は見られません。原っぱの端に「朝倉公園之碑」があります。碑には「紀元2600年記念」とありますが、これは神武天皇即位紀元のいわゆる皇紀だと考えられ西暦1940年に該当するものと思われます。また同じ碑に「櫻木四十…」と記載されており、公園の桜の木は1940年に植樹されたものと思われます。
【アクセス】
城跡へは、県道386号線沿いのバス停「朝倉神社前」の真後ろの路地 (細い方) から登る道と県道38号線沿いのバス停「北城山」の筋向かいの路地から登る2種があります。なお、前者の路地は現在 (2022/03/17現在) 道案内の看板が撤去されていますのでご注意ください。