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阿蘇神社

住所 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
電話 +81 967-22-0064
時間 09:00-17:00
サイト asojinja.or.jp
カテゴリー 神社, 観光名所
評価 4.6 9 件の口コミ
Aso Jinja
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矢村神社 — 熊本県阿蘇市一の宮町宮地

阿蘇神社 件の口コミ

9
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
のんのん
12 一月 2022 17:35

落ち着いた良い神社です。先の熊本地震により拝殿や楼門が被害を受けましたが、令和3年11月現在楼門以外は修復されており、楼門は大きな建屋に覆われて修復中。令和5年末完成予定らしいので完成が楽しみです

大きなこぐまちゃん
04 一月 2022 6:41

初めての参拝。

震災で無事だった歴史ある古い部分と、
震災により崩壊して修繕された新しい部分との融合は…
地震の恐ろしさを物語っていて悲しくもあるが
改めて職人さん達の技術の素晴らしさと熱意、
地元の方の神社に対する存在の大きさを知れた。

古来から引き継がれてきた歴史が
震災で崩れてはしまったが、これもまた歴史の一つになっていくのだと思いながら
複雑な心境で手を合わせました。

まだ楼門が修復中で、阿蘇神社の姿全体を拝見出来なかったが
参拝して良かったと思いました。

また参拝したいです。

Hiroshi
12 十二月 2021 22:15

阿蘇神社だ!
拝殿は復興してたぞ。
楼門は修復中だ!あと2年後ぐらいか

やっぱり神社はいいもんだ。
お前らもたまには参拝しちゃいな!

御朱印追加したぞ!

ran
02 十二月 2021 15:20

震災で崩れた所、まだ建て直し中でした
どれだけひどい震災だったのか
改めて思いました。
でも、人間は強いなって思いました。
1日、1日頑張って生きて凄いです。

永井建次
25 十一月 2021 14:19

無料の高速道路を降り、国道57号線を阿蘇市内へ向かうこと15分、この神社が有りますよ熊本地震の影響で、拝殿と楼門が壊れてしまいましたが、拝殿は既に修復が終わり素晴らしい姿を魅せています楼門は国の重要指定文化財で有る為に、地震で壊れた部分材も 使用出来れば使うそうですよ御朱印は、コロナの為 書き置きです是非

Sanehiko
21 十一月 2021 23:50

数年ぶりにここに来た。前回は地震で方々のが倒壊していたが、今回は残骸は整理され、一部修復されていた。まだ、修復は継続中である。この地方最大の神社で阿蘇に来たらよくお参りする。あみだくじを引いたが全員大吉であった。大吉の確率は?と思う。案の定、旅行はゆく先々大満足であった。写真は修復された本殿入口、とその前の蔽いは現在修復中の個所を覆っている。

AYAKA
02 十一月 2021 11:45

小学校の頃、参道が通学路でした。その参道が横向きで全国的に珍しいものだと知ったのは大人になってからです。あの時地元を護ってくれたお宮さんの、思っていた以上に早い復興に、関係者の方々への感謝しかありません。

正信日吉
19 十月 2021 14:01

拝殿が倒壊した熊本地震から5年、再建まで大変な知識と技術と作業を掛けて、とても立派な拝殿に生まれ変わっていました。まだ楼門は再建途中ではありましたが、日本人の逞しさをすごく感じさせてもらいました。

猫神様の眷属だいふく
07 十月 2021 8:37

炎のピラミッド 阿蘇神社

トイレ有り
車椅子行けますけど境内には砂利が敷かれていますので補助者が居られたほうが良いですね。
駐車場有り
炎のピラミッドの説明は小国両神社の最初を見てくださいね内容しれば驚きますよ。

炎のピラミッド3ヶ所目は阿蘇神社です
阿蘇神社は知ってましたが人が多い神社はあまり……といった具合で。
熊本地震前に行っておきたかったですね

御祭神

一の神殿左手 男神四柱

一宮 健磐龍命
三宮 國龍明神
五宮 彦御子明神
七宮 新彦明神
九宮 若彦明神

二の神殿右手 妃神四柱

二宮 比咩明神
四宮 比咩御子明神
六宮 若比咩明神
八宮 新比咩明神
十宮 彌比咩明神

あの有名な「阿蘇十二神」と言われるもの。
奇数男神と偶数女神にグループ分けされてます
神様は名前がいくつも変わっていて混乱‍してしまいます。多いので数十もある神様も居られます。皆さんご存知、三足霊鳥八咫烏は200はゆうに超えてると言います。だいふくは神様の名前を比定するときに参考にしている書物は古事記、日本書紀からではないので笑われるのは承知です違う見方も加えることで、神社研究者さんがブラッシュアップさせてくれると考えるのです。
だいふくの考察はエンタメ程度に見てくださればとご理解いただきたいと思います

一の宮 健磐龍命 ≒ 日子八井命

二の宮 天豊ツ姫 ≒ 阿蘇都咩神
健磐龍命のお妃(阿蘇氏の高木大神一族への入婿)≒ 別名は阿蘇ツ姫
父神の草部吉見神と高木大神の次女
母神の栲幡千々姫 タクハタチヂヒメとの間に産れたお姫さま

三の宮 草部吉見神 ≒ 天彦命
健磐龍命の腹違いの実兄 ≒ 別名 國龍命

四の宮 栲幡千々姫(タクハタチヂヒメ)≒ 天比咩命
草部吉見神のお妃(阿蘇氏の高木大神一族への入婿) 高木大神の次女

五の宮 阿蘇惟人 ≒ 阿蘇都彦命
阿蘇家初代宮司。健磐龍命系と草部吉見系との両方の流れを汲む雨宮姫と天忍日(アメノオシヒ)の子ども

六の宮 若比咩神 ≒ 阿蘇都咩命
阿蘇惟人のお妃 産山村の乙宮の主祭神かその娘。母神は蒲池比咩神

七の宮 興ツ彦 ≒ 新彦命
草部吉見と栲幡千々姫の間に産れた天忍日であり阿蘇ツ姫の弟

八の宮 雨宮姫 ≒ 新比咩神
健磐龍命(一の宮)と天豊ツ姫(二の宮)の間に産れた姫であり阿蘇家初代、阿蘇惟人の母神

九の宮 日中咋 ≒ 若彦神 。
速甕玉命とも説があってこの九の宮の神様はハッキリしませんでした。いちお
興ツ彦(七の宮)と興ツ姫(十の宮)の子
雨宮姫の(八の宮)夫神としてます。

十の宮 興ツ姫 ≒ 弥比咩神
三の宮の草部吉見と市杵島姫の間に産れた子で七の宮の興ツ彦のお妃

十一の宮 速甕玉命 ≒ 新比咩命ここもハッキリせず
健磐龍命(一の宮)と(二の宮)天豊ツ姫の子

十二の宮 彌比咩明神 ≒  綏靖天皇
綏靖天皇は
日本の第二代天皇、欠史八代のお一人

阿蘇十二神は神社によっても由緒書きに記載されてる神様はさまざまです。はっきりいうとどれが正解か分かりません(笑)ただこれなんじゃないかというには昔から研究されてきました。
ただ十二の宮は偶数で女神を設定されていますので、この天皇説は強引で微妙ですよね。

阿蘇氏は、阿蘇宮由来記によれば、その先祖は神武天皇の皇子神八井耳(かむやいみみ)命とされ、この書物では命を当てられてます第二代天皇、綏靖天皇の同母兄にあたるという。」と書かれている様に、阿蘇氏は自らが天皇家にも深く繋がる名族であるとしています。

これは阿蘇神社の阿蘇氏に限らず、高森の草部吉見神社に於いても同様です。

阿蘇神社からちょっと離れますが、社名の草部は「クサカベ」と読みます。

御祭神 日子八井命は、神武東征の時、日向高千穂より草部に入られ、しばらく川走の窟に住まわれた後、今の草部吉見神社にあった池を干し宮居を定められた。土賊を平らげ、筑後国を鎮護し、皇業を翼賛した。また、神八井命の御子・健磐龍命(阿蘇大神)が下向の時之を迎えて、力を合わせて国土を開拓したという。当地に住まわれた時、襲ってきた大蛇を斬られ、焼かれた大蛇が血を流しながら逃げて行った所が血引原(地引原)。焼かれた所を灰原と言う。とあります

なんば言いよっとかわからんですね

ようするに頑張って国造りして大蛇が来たから斬ったよということでよろしいか
草部吉見神社の拝殿に行けば大蛇討伐の絵馬が飾ってありましたこの続きは草部吉見神社で綴ります。

主祭神は、神武天皇の御子・日子八井命。ただですね「日本の神々」では、
主祭神は神八井耳命となっている。
『古事記』では、神武天皇の御子を、日子八井命・神八井耳命・神沼河耳命の三柱としています、
『日本書紀』では、日子八井命の名は無く、『旧事本紀』では、日子八井命は神八井耳命の御子となっているのですよ。

なんば言いよっとかわからんですね

阿蘇神社と言えば健磐龍神というイメージがありますね、でも最奥部の神殿に九の宮から十二の宮まで誰が祀られているのか、また、阿蘇家とどのような関係があるのかという事があまり理解されていないです。
そこに(第十二の宮)祀られている神こそ通説で第2代綏靖天皇とする=金凝彦=実は神沼河耳(阿蘇神社の社伝でも草部吉見、健磐龍の父神としていると考えるのですが。ハッキリしてないままです。
祀られている事を知る人は少ないと思います。ただ、社務所備え付けの「阿蘇神社」(神社紀行)にもその事について触れてあります。社務所の受付棚でもご覧頂けますので参拝の折にでも目を通されてみてはいかがでしょうか

阿蘇神社は地震で倒壊して復興している最中です。頑張れ建物がいくら倒壊しようが神域のパワーまでは破壊できないということをだいふくが動画で証明しますよ!
動画はトップページから写真タグか動画タグからタップしていただいて。そこからだいふくのスマホを撮した動画を探して見てくださいね。

阿蘇を鎮めるため十二神に後押ししてあげてくださいね
お気をつけて
ありがとうございます

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