五新鉄道廃線跡(コンクリート橋) / 旧国鉄五新線未成線鉄道構造物群(幻の五新鉄道)
住所 | 奈良県五條市新町1丁目10−20 |
電話 | +81 747-22-4001 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www3.pref.nara.jp/miryoku/masumasu/2488.htm |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 4.5 8 件の口コミ |
最寄りの枝 五新鉄道廃線跡 野原西~生子町 — 奈良県五條市生子町45 |
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五新鉄道廃線跡(コンクリート橋) / 旧国鉄五新線未成線鉄道構造物群(幻の五新鉄道) 件の口コミ
8未成線としてはかなり見応えのある高架の構造物です。五條から新宮までかなりの山奥を貫く鉄道路線になる予定でした。もし完成されていてもかつての赤字83路線廃止に選定されていたかも、でも鉄道ファンとしては残ってる部分でも観光もしくはトロッコ鉄道として活かせないものかと思います。
五條新町通り(歴史を感じさせてくれる街並み)散策中に突然目の前に現れた鉄道遺産。街並み散策も楽しかったのですが、結局、五新線のほうが気になり(笑)メイン散策が入れ替わってしまいました。ノスタルジーに浸れ、なにか寂しさのような感覚と、よく残ってくれているなぁと感動と、なんとも言えない気分に。高架橋は丈夫そうな感じがしました。これからもずっと歴史を繋いでいってもらいたい素晴らしい鉄道遺産です。
明治末期に奈良県五條市から和歌山県の新宮市までの路線の建設を考え、昭和12年に工事が始ました。しかし第二次世界大戦および太平洋戦争の影響により資材不足などの理由で工事が中断しました。特に戦争中は日本全国各地で戦闘機や戦車を作るために鉄が回収されたため、この建物の上にある柵のような物の中身は鉄ではなく一部に竹が入っています。それから戦争が終わり工事再開したが、車に乗る人が急激に増え始めたため、鉄道を利用する人が減少し割に合った収入を得られないと考え工事中断。結局五新鉄道は1度も電車を走らせる事なく終止符を迎える。
昭和初期に建設が始まり、その後 戦争で物資が足らず 休憩 戦後 再開するも 昭和34年には 自動車 や バス が 普及し 要らぬ 鉄道 と なって 建設中止
此処まで 出来たのにネ 残念ですネ
工事の途中で中止になった五新鉄道の高架跡。
国道24号を挟んでコンクリートの高架橋が残っています。五條新町からだと一部しか見えませんが、国道を渡った丘の上からみると、ほぼ全貌を眺めることができます。
〜幻の五新鉄道〜
五條から十津川を経て新宮に至る、紀伊山地を縦断する形での路線計画でしたが未成線に終わりました。
今は街の一部としてただ静かに建っているだけの立派なコンクリートの橋が、線路を敷設され列車が走ることを今や遅しと待っています。
街中に無骨なコンクリート製のアーチ橋がある。開業することなく終わった、国鉄五新線の構造遺産なのです。
ここ五條市から紀伊半島の山々を越えて、南端の和歌山県の新宮市まで半島縦断の計画でした。
紀伊半島を鉄道で貫くと云う大構想は、その後も少しずつ建設工事が進められたが、1982年に採算が見込めないことから延伸工事が凍結される。結局のところ列車が走ることはなく、五新線計画は断念され、幻となりました。