天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵(野口王墓古墳)
住所 | 奈良県高市郡明日香村野口45 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/040/index.html |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 4.7 18 件の口コミ |
Mausoleum of Emperor Tenmu and Empress Jitō | |
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天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵(野口王墓古墳) 件の口コミ
18 藤原定家の日記『明月記』およびこの事件(盗掘事件)の顛末記『阿不畿之山稜記』によると一つの石室内に土葬の御遺骸を収めた乾漆棺と、火葬の遺骨を収めた銀製箱形蔵骨器、およびその外容器である金銅製桶があったという。
前者はおそらく天武天皇の御遺骸、後者はその皇后にして帝位をふまれた女帝、持統天皇の御遺骨であったろうが、この合葬陵はわが国の墳墓史の一大転換期を暗示する歴史的な御陵であった(五来重『日本人の死生観』より)
写真2021年5月撮影
駐車場 (無料) は県道209号線沿いの天皇陵の正面にあります。5~6台ほど止められそうです。
参拝所の左の道から歩いて200メートルほどで鬼の俎、鬼の雪隠にも行けます。
天武天皇は壬申の乱の時、伊勢神宮を遥拝し伊勢神宮のご加護で勝利できた。この事で伊勢神宮が最高神を祀る神社とされた。と言われているそうです。
天武天皇と持統天皇。
夫婦のお墓(古墳)ということ。
階段を登ると現れる神々しい景色と空気。
何も無いけど、それがまた、情緒かな。
ワンコも一緒で幸せな気分になれる。
階段の登口に小さい駐車場があるけど、
正式な駐車場なのかは不明。
何もないところです。
でも、なんだかここに立つと、とても、人の心を感じます。
今も昔も、ヒトはあまり変わってないのかもしれません。
そんな妄想ができて、ありがたいところです。
人のいない、暑い夏か、寒い冬に来るのがオススメです。
持統天皇のゆかりのある場所には一度行きたかったので立ち寄りました。
その目的が無かったら周りにはなにもないのですが、明日香村をサイクリングするにいいです。
綺麗に整備されていて良かったです。
明日香村にある天皇陵の1つ
子丘の上にあり、清涼とした神聖な雰囲気の場所です!
田園風景の中にあり石畳の階段を登らないといけないです。見晴らしは良いです
役に立ったを押してもらえると嬉しいです!
何とも不思議な体験をしました。友人と産直に行こうと誘われその後にこちらに行こうと車を進めました。が何度も同じ所を廻るだけで一向に行かれませんでした。諦めきれず知り合いの方に連絡して対処方法を聞きたどり着くことが出来ました。何とも清々しく本当に良かったです。
【Tomb of the old emperor】Tenmu and Jitou
天武天皇、持統天皇のお墓
何もないですが高いところからの景色は素晴らしいです。
夫婦で天皇陛下を歴任された、天武天皇と持統天皇のお墓です。お亡くなりになってからも夫婦仲良く一緒にいられて、いいなぁと感じる陵です。なんだかほっとできる場所です
南側に、車が5台くらい停められる、小さな駐車場があります。
天武天皇が最初に天皇の称号を用いたと、最近の研究では推測されています。古事記を企画し神の子孫を名乗る。現人神を自称し、その皇統は現在に至る。また、万葉集にも『日の御子は明日香の清御原の宮にあって神として治められ、日本の国は代々天皇が治める国として. 』とある。その御稜威は『大君は神にしませば天雲の雷の上に庵りせるかも』と歌われた。持統天皇は天武天皇の跡を継ぎ、後に天照大神のモデルになった。
残念なことに陵墓を盗掘されています。その折に陵墓内部を検分されて天武持統両天皇の御陵墓と断定。
歴史的にも有名な持統天皇のお墓と言うのに案外質素で拍子抜けしました。
うっかりすると通りすぎてしまいそうな道脇に、車数台しか停まれない小さな駐車場しかありません。
ちょっとがっかり、でも確かに存在したと感じられて良かったです。
被葬者:第40代・天武天皇/第41代・持統天皇
被葬者の実在性もあり、当地が天武・持統天皇陵である事が信頼できる数少ない陵です。
天武天皇と持統天皇は夫婦の間柄で、仲睦まじく葬られている印象を受けました。
拝:2020/07/13
天武天皇・持統天皇の合葬陵。
当時最も格式の高い八角形の陵墓で、夫婦で祀られています。
宮内庁指定と、祀られている天皇が一致する数少ない古墳でもあります。
それが判明したのが盗掘とは皮肉なものです。
1235年の盗掘に関する記録によると、石室内には二人が祀られており、一つは漆塗り木棺、もう一つは金銅製骨蔵器に火葬骨があったとのこと。
天武天皇がそれまでの歴代天皇のように道教 (又は儒教) に従って木棺に入れられたのに対し、妻の持統天皇は仏教思想で火葬を希望した最初の天皇であるという、歴史の事実と一致しているのです。
これ以降火葬が普及して、古墳が縮小又は不要となっていきます。
それだからでしょうか。天智天皇の没後、壬申の乱に勝利して律令政治の基礎を築いた天武天皇、そして妻として、天皇として律令国家の確立に尽力し、藤原京を築いた持統天皇という偉大な二人が祀られているにしては小さすぎる印象を受けます (東西58m) 。
しかしながら、飛鳥駅から明日香村中心に向かう途中にあり、高松塚古墳にも近いという地の利にあり、藤原京跡を北に臨む場所でも あります。
是非歴史のロマンを感じて下さい。
2019.4.20
てんむ・じとうてんのうりょう
(ひのくまのおおうちのみささぎ)
東西約58メートル、南北径45メートル
右手から軽く一周散歩してみた。
裏側の森林の中に入ると
ものすごく良い風を受けました。
2019.12.13訪問
天武天皇と持統女帝の合葬陵です。
律令国家の形成という壮大な夢を夫婦で成し遂げ、今は同じ陵に眠っています。
文暦2(1235)年に盗掘にあったと記す『阿不幾乃山陵記』によると、全長約7.5mの横口式石槨の中には、金銅製の棺台の上に置かれた漆塗り木棺と、金銅製の外容器に銀製の骨蔵器があったといわれ、前者が天武天皇の棺、後者が持統天皇の火葬骨を納めたものと考えらます。天武天皇と持統天皇は亡くなってからも共に眠っており、夫婦仲が良かったでしょう。
小高い丘の上にあり、長い石段を登った先にあるこんもりとした林が天武・持統天皇陵です。
区域内はきれいに掃き清められ、自然と背筋が伸びるようなキリッとした雰囲気をまとう神聖な場所です。
墳丘に茂る木々や竹やぶの周囲には、ぐるっと1周回れる細道がめぐっていますが、そこから裏にあたる細道を亀石方面に降りて行くと、すずなりの柿の木やちょっと変わった柑橘の実のなる畑などがあります。
人々の暮らしのすぐ隣に、歴史上の重要な史跡が派手に演出されすぎることもなく、飛鳥の地のそこら中にあるというのがすごいところだと思います。
近辺の天皇陵と異なり、八角陵墓のためか、最寄りの道からは小高い山のように見えます。百人一首でも思い入れのある「春過ぎて夏来にけらし・・・」の作者の持統天皇とその夫の天武天皇の稜です。日本史上著名な人物の終焉の地と思うと、自然と姿勢を正してしまいますね。