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吉水神社

住所 奈良県吉野郡吉野町吉野山579
電話 +81 746-32-3024
時間 09:00-17:00
サイト www.yoshimizu-shrine.com
カテゴリー 神社, 観光名所
評価 4.1 20 件の口コミ
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吉水神社 件の口コミ

20
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
岩鼻友和
13 十月 2022 19:58

お参りの仕方が二礼十四拍一拝。
で、勝手神社の御神体が吉水神社にいどうされていて、勝手神社が火事で本堂が焼失したために。御朱印は、吉水神社と、勝手神社の2つで600円。

景色やら、なんやら、すごくよかったです。
さすが、吉野って感じでした。

田畑信二
07 七月 2022 0:54

世界遺産の吉水神社に行きました。参拝作法は2礼、17拍手、1拝で拍手が多いです。源頼朝さん、太閤さん、後醍醐天皇さんのゆかり品々が多くあります。町のから少し離れた所にありますが行って良かったです。

ban
15 二月 2022 13:31

吉野山は明治の廃仏毀釈で大打撃を受けましたが、吉野山におけるもう一つの南朝御座所であった実城寺があっさり廃寺になったのに対して、やはり元は寺院だった吉水神社が神社へ改めることで生き残れたことは非常に幸運なことだと思います。
もしも廃寺となっていれば書院はどこぞの寺社に移築され、世界遺産の構成資産どころか重文指定もされたかどうかという状態になったはずです。
当時の明治政府の吉野山への圧力を見るとまさにギリギリで難を逃れたという印象しかありません

狭野の人
11 十一月 2021 4:19

村社。
主祭神:後醍醐天皇、楠木正成、吉水院宗信法印
白鷗年間に役行者により吉水院として創建されました。
後醍醐天皇が京都花山院から逃れ、当社を行幸所として南朝を開いたとされます。不審火で焼失した勝手神社の祭神が仮遷座しています。

Sakura
06 十一月 2021 18:05

犬も参拝できる優しい神社さんです。
日本唯一「二礼、十七拍手、一拝」だそうで、神様がいっぱい!
明治時代までは格式ある お寺だったとか。

源義経や静御前、弁慶、豊臣秀吉などの ゆかりある古社です。御祭神は後醍醐天皇と楠木正成。

境内からの一目千本の吉野桜の名所です。

ハナハナ
18 十月 2021 6:27

犬・わんこ・ペット同伴可!!
日本一、犬連れ・わんこウェルカムな世界遺産・吉水神社!!

わんこお守りもありました。

中型犬を連れていた方が下を歩かせていても注意されてなかったです。

薮井務
16 十月 2021 19:15

日本一ペットに優しい神社と言われていますマンガ「咲ーSaKi―阿知賀編」
の聖地ですそして、世界遺産です後醍醐天皇が「柴犬を抱いたまま吉野山に逃げてきた。」と言うエピソードが有ります吉野山は日本有数の
桜名所です。。

ブサかわモコちゃん
04 十月 2021 8:35

初めて来ました。

通行止があり呼ばれてないかもでしたが辿り着きました。37号線を通って行きました。
山上にある歴史ある神社でした。
ありがとうございました。

オレオレ俺だよぉ〜
11 九月 2021 10:37

17神祀ってるから17拍手ってフザケすぎ
アホとしか言いようが無い
神主や宮司は無能力者に違いない️

ってか、17神も居ないのによ
祠には居なくて違う場所に1柱は居たけど

天野潔
08 九月 2021 13:17

吉水神社(よしみずじんじゃ)

別名・吉水院(きっすいいん)
吉水院というのは明治時代の神仏分離令以前、お寺だった時代の名称。

主祭神
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)「日本の第96代天皇および南朝初代天皇」

楠木正成(総本宮は湊川神社)

吉水院宗信法印(きっすいいんそうしんほういん)

日本最古の書院で、世界遺産にも登録されています。
吉野山全体も、世界遺産に登録されています。

ここでの参拝方法は、「二礼 十七拍手 一礼」となっています。

すぐそばには、「一目千本」桜があり、桜の季節には綺麗に咲いています。

究極のパワースポットといわれている、北闕門(ほっけつもん)・(邪気払い所)で、九字切りで邪気祓いも出来ます。
九字切りの方法は、北闕門で案内板があります、ウェブサイトにも記載があります。

御守りも、ペットの御守りなど、色々な御利益の御守りがありますが、ドーマン・セーマン(陰陽道が起源といわれています。)の御守りがおすすめです。

駐車場は、吉野山観光駐車場が大きいので停めやすいです。
駐車場から、吉水神社までは、徒歩で約30〜40分です。

桜の季節は、かなり混み合いますが、途中の茶店なども開いているので、それなりに楽しめます。

Leaf
10 八月 2021 21:52

令和3年7月 ご朱印いただきました。近くの勝手神社が火事で焼け、御神体がこちらの神社に移されているそうで、2社のご朱印をいただきました。
ナビを見ながら歩いていいたら、ナビが混乱するのか、変なルートが示されます。道沿いを歩いていたら、鳥居がありますので、問題なくたどり着けます。

Mika
02 八月 2021 15:41

一目千本という場所があって、桜の季節に来たらどんなに素敵だっただろうと、イメージと、桜の季節の写真を楽しむことができました。

日本最古の書院があって、義経と静御前が五日間過ごしたという間や、弁慶が思案したと言う間もあって、パワースポットに行ったかのような、なんだか不思議な感覚がありました。
音声でその内容のガイダンスが流れていたので、歴史に耳を傾けながら、その場を目で見て肌で感じることができたのが、良かったのかもしれません。
奥に進むと庭園があって、その奥には金峰山寺と思われる建物が見えて、とても趣のある景色につい、腰を下ろして眺めてしまいました。
あまり大きくない建物なのに、離れがたい思いと、実際よりも大きく感じる素敵な場所でした。

建物を出て庭園に出ると、九字切りできる場所とその方法が書かれていて、子供の頃に見様見真似でやったことがあるそれを、することができて嬉しかったです (*´艸`*)
秋か春にまた来たいな

風狼百合桜
09 七月 2021 20:33

旅仲間と一緒に参拝しました。
ここでは「2礼17拍手1礼」と「17拍手?!」とびっくりするほど珍しい神社で、神主様曰く本来の参拝方法で17柱の神様に1拍手ずつしているのだとか。いつもの「2拍手」の意味はこちらの神社の神主様にお聞きしてみると楽しいかもしれません。
また、桜の名所として有名な「一目千本」の桜でしたが時期的に出遅れしてしまいました (´・ω・`)
それを慰めていただけたのか、参拝時に優しい風が吹いていました。
仲間がそれをとってもらえたので、恥ずかしながらその一枚も
お守りは桜のデザインもありましたが、小さな家族 (犬や猫など) 用のお守りもありました。
神社までの道のりは大変でしたが、とても楽しい思い出です。
コロナの時期ですが、落ち着いたらまた行きたいです。

SHIGEO
04 七月 2021 3:56

この神社の主は最低です拝観料を支払い入場しようとしたら「どうしても入りたいの?」と人をバカにした悪態をついた既に何人も入場していてのに、何を基準に差別しているのでしょうか?とても神職とは思えない態度ですもう二度と吉野に行きたくなくなりました。人間として最低です

tatsumi
30 六月 2021 21:29

景色最高です。
ただ、ナビでは、凄い解りにくいところにあります。
駐車場もなく、少し行くまでが大変でした。
この吉水神社は二礼十七拍手、一拝という少し変わった参拝方法です。
ここでは御朱印を吉水神社のものと火事で焼けてしまった勝手神社の御朱印もいただけます

M
03 六月 2021 13:48

世界遺産.参拝協力金(任意)200円を目安に支払い,門をくぐる.右手に見えるは景勝地 一目千本.スマホでとるのも良いが,しっかりと桜をめに焼き付けて欲しい.谷に沿って満開の桜が咲き誇る様子は「桜の滝」とも言われている.ほかにも独特な参拝方法(17拍!),豊臣秀吉設計の庭,など見どころたくさん

Sato
29 五月 2021 15:23

恥ずかしながら予備知識なしに訪れました。此処が南朝の皇居だったとは!境内からの吉野山の眺めは素晴らしいですね。600円払って建物の中も見学しましたが、質素な作りの中にも素敵な内部でした。縁側からの金峯山寺の眺めもまた良い。

13 cicda
21 五月 2021 9:39

本道より少し下った場所にありますが、立ち寄るべき場所です。
手前には、上千本の桜を見渡せるポイントがあります。
今年の吉野の桜の見頃は、予測に反して早く終わってしまいましたが

Keisuke
07 五月 2021 10:24

修験道の僧院が多い吉野、こちらも元は僧院だそうです。後醍醐天皇が住まいとされ、南朝の拠点になりました。 世界最古の書院建築、義経公と静御前が身を潜めたお部屋等がありますが、何よりも参道からの景観が素晴らしいです。

おだたかし
19 四月 2021 7:28

? 水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社。旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている。社伝では、白鳳年間に役行者により建立されたと伝えられる。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸したとき、宗信法印の援護を受けて吉水院に行宮を設け、一時期居所とした。後醍醐天皇の崩御の後、後村上天皇が後醍醐天皇の像を作って吉水院に奉安した。源頼朝に追われた源義経、武蔵坊弁慶や静御前などが5日間吉水院に身を潜めている。豊臣秀吉が行った吉野の花見の際には、吉水院はその本陣とされ、5日間滞在している。現在も残る名勝の庭園はその際に、秀吉自らが造ったものであるという。境内からは「一目千本」と呼ばれる中千本と上千本の桜がよく見える。

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