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西大寺

住所 奈良県奈良市西大寺芝町1丁目1−5
電話 +81 742-45-4700
時間 08:30-16:30
サイト saidaiji.or.jp
カテゴリー 仏教寺院, 観光名所
評価 4.5 16 件の口コミ
Saidai-ji
最寄りの枝
西大寺 愛染堂 — Nara, Saidaiji Shindencho, 6−14
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西大寺 件の口コミ

16
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
庄子洋美
30 九月 2022 0:18

大和西大寺より徒歩5分、広い境内は静かで共通拝観券を購入し、間近で仏像をじっくりと拝観出来ました。文殊菩薩像も間近で心ゆくまで拝観出来、通常なら正面からしか見ることが出来ないところが多いが、角度を変えて見ると獅子様のしっぽが見えて感激
これがまたかわいい️

Akino
24 九月 2022 10:13

千葉から伊勢・奈良の寺社巡りの旅で2022/6/5に訪れました。寺の駐車場(300円)に駐車して、拝観料(800円)を納め、本堂から拝観しました。
古の奈良の都、平城京には東に「東大寺」、西に「西大寺」の広大な寺がありました。東は現在の東大寺がある奈良公園一帯で、西は南の薬師、弥勒の両金堂、東西両塔、四王堂院、十一面堂院などを含む百十数宇の堂舎が建ち並び、西の大寺に相応しい規模の官大寺でした。しかし平安時代以降、再三の災禍により大部分の伽藍が昔日の面影を留めず衰頽してしまいました。現在の本堂(重要文化財)、四王堂、愛染堂は江戸時代になり再建・移築されたものです。寺宝を収蔵する聚宝館は昭和36年に造られました。「本堂」には釈迦如来立像(重要文化財)、文殊菩薩騎獅像及び四侍者像(重要文化財)、弥勒菩薩座像、「四王堂」には十一面観音立像(重要文化財)、四天王立像(重要文化財)、「愛染堂」には愛染明王坐像(御前立ち像)、興正菩薩寿像(国宝)、秘仏開扉日のみ拝観できる、秘仏愛染明王坐像(重要文化財)、「聚宝館」には国宝の金銅宝塔、重要文化財の吉祥天女立像・塔本四仏坐像・行基菩薩坐像・大神宮御正体及び厨子などが安置されています。午前中の早い時間のため拝観客が少なく、案内の方の懇切丁寧な説明を聞くことが出来ました。

HIROTAKA
13 九月 2022 16:34

安倍晋三元首相の殺害現場となった西大寺駅ロータリーは、かつての西大寺敷地の一部となります。女性天皇である称徳天皇の勅願で創設された西大寺は、奈良の大仏の東、東大寺の西側。皇位継承について女系天皇容認論に待ったをかけて、男系継承の自論を誇示した元首相の終焉の地が、平城京で活躍した聖武天皇の娘である天皇の勅願寺である因縁は不思議でもあります。しかも、称徳天皇の諱は阿倍で、これは阿倍氏に養育されたためというのも奇縁です。

きぃよ†
14 八月 2022 22:59

初めて伺いました (2022.7.23)
お陰様で四神めぐり満願しました‍️
ありがとうございました

入館チケット販売が16: 00までで
16: 30には閉まります。
私が伺ったのが、16: 00を過ぎていたため本堂に行って説明して優しく対応してくださいました。
とてもありがたかったです。
お寺の方々ありがとうございました‍️
またきちんと伺います

K K
11 四月 2022 3:20

西大寺駅のすぐ西の街中にあります。あまり観光客が行かれていないように思います。昔より狭くなったとはいえ、今でもいくつものお堂が立ち並んでいる大きなお寺です。
メインとなるお堂は、四天堂と本堂です。2つともそんなに大きな建物ではありませんが、仏像が素晴らしいです。
四天堂といっても、本尊は十一面観音立像であり、像高約5.9mの大仏様で、その大きさには圧倒されます。そして周りには四天王を従えておられます。
本堂は、ご本尊が釈迦如来立像で、その左(西)側が文殊菩薩騎士像で、2体とも旅行のガイドブックにも掲載されています。しかし、右(東)側の弥勒菩薩坐像は、ご本尊よりもはるかに大きく、像高約2.76mもある大仏様です。旅行のガイドブック等に乗っていないことも多いですが、必見です。

大塚正人
04 四月 2022 0:57

アクセスしやすい、有名なお寺です。愛染明王様の特別ご開帳に合わせて行かれると良いと思います。
本堂、観音堂など、共通拝観券を購入されてお参りされることをおすすめします。見どころが多いので1時間くらい時間をかけてゆっくりお参りされてください。

Miki
01 三月 2022 0:24

特別公開されていた、秘仏の愛染明王を拝ませていただきました。
ご住職さんが由来など詳しいお話を聞かせてくださり、大変勉強になりました。
行って本当によかったです。

510
18 二月 2022 15:52

真言律宗総本山、南都七大寺のひとつ。年末に訪問。拝観券では、四王金堂、本堂、愛染堂に入ることができ、それぞれ間近で重要文化財級の仏像をゆっくり拝見することができました。境内には東塔跡もあり、大きな塔があったことがうかがえます

yasuro
02 二月 2022 10:28

東大寺を思い浮かべ、昔の寺院規模は凄かったんだろうと想いながらお参りさせて頂いていました。しかし規模は縮小したとは言え、素晴らしい仏像の数々を拝見できて嬉しいの一言でした。次回はもう少し暖かい時期にお参りさせて頂こうと思います。

Kumi
21 九月 2021 11:30

暑い時期に行ったので閑散としていました
お茶会の時は多くの人で賑わいます
一人では持ちきれない茶碗を両サイドの人に支えてもらって頂きます
学生の頃は茶道家の父と良く行ってました
回し飲みで顔見知りでない方もいらっしゃるので飲んだふりをしていました

奥村慎也
21 八月 2021 10:49

西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗の総本山。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に叡尊によって復興された。山号は勝宝山。現在の本尊は釈迦如来である。

宝亀11年(780年)の『西大寺資財流記帳』によれば、創建の経緯は以下のとおりである。天平宝字8年(764年)9月、孝謙上皇は恵美押勝の乱平定を祈願して金銅四天王像の造立を発願した。なお、孝謙上皇は同年10月重祚して称徳天皇となった。翌天平神護元年(765年)、前述の四天王像が造立され、西大寺が創建された。この四天王像4体は西大寺四王堂に今も安置されるが、各像が足元に踏みつける邪鬼だけが創建当時のもので、像本体は後世の作に代わっている。
西大寺の創建当時は僧・道鏡が中央政界で大きな力を持っており、西大寺の建立にあたっても道鏡の思想的影響が大きかったものと推定されている。護国のために四天王像を安置するのは『金光明最勝王経』に基づくものである。
「西大寺」の寺名はいうまでもなく、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。前述の『資財流記帳』の記載や、元禄11年(1698年)作成の伽藍絵図から復元される伽藍配置は以下のようなものである。寺域の中心には薬師金堂が建ち、その背後、通常の寺院では講堂のある位置には弥勒金堂が建っていた。これら中心伽藍の東には小塔院、その北に食堂院(じきどういん)、中心伽藍の西には正倉院、その北に政所院(まんどころいん)があった。中心伽藍の前方(南)には東西2基の五重塔が建ち、これらの東に四王院、西に十一面堂院があり、四王院の南に東南角院(すみいん)、十一面堂院の南に西南角院があった。塔は八角形で計画されたが、途中で四角形に改められた。
『資財流記帳』によれば、これらの諸堂には密教系の像を含む多数の仏像が安置され、多くの鏡で荘厳されていた。薬師金堂には、薬師三尊像を中心に計21体の仏像が安置され、中には密教系の孔雀明王像も含まれていた。弥勒金堂には計77体もの仏像が安置され、弥勒仏の兜率天浄土を表現していた[2]。
しかし、寺は平安時代に入って衰退し、火災や台風で多くの堂塔が失われ、興福寺の支配下に入っていた。
西大寺の中興の祖となったのは鎌倉時代の僧・叡尊(興正菩薩、建仁元年(1201年) - 正応3年(1290年))である。叡尊は建仁元年(1201年)、大和国添上郡(現・大和郡山市)に生まれた。11歳の時から醍醐寺、高野山などで修行し、文暦2年(1235年)、35歳の時に初めて西大寺に住した。その後一時海龍王寺(奈良市法華寺町)に住した後、嘉禎4年(1238年)西大寺に戻り90歳で没するまで50年以上、荒廃していた西大寺の復興に尽くした。叡尊は、当時の日本仏教の腐敗・堕落した状況を憂い、戒律の復興に努めた。また、貧者、病者などの救済に奔走し、今日でいう社会福祉事業にも力を尽くした。西大寺に現存する仏像、工芸品などには本尊釈迦如来像をはじめ、叡尊の時代に制作されたものが多い。その後も忍性などの高僧を輩出すると共に、荒廃した諸国の国分寺の再興に尽力し、南北朝時代の明徳2年(1391年)に出された『西大寺末寺帳』には8か国、同時代のその他の史料から更に十数か国の国分寺が西大寺の末寺であったと推定されている(なお、現存の国分寺のうち、西大寺と関係を持つのは旧伊予国分寺のみであるが、他にも複数の国分寺が真言宗各派に属している)

いっちゃんいっちゃん
10 七月 2021 23:46

764年、恵美押勝の乱を平定を祈念して孝謙上皇が発願し、翌年、東大寺に対抗する寺として常騰が開山したが、その背景には道鏡が居たとされている。南都七大寺の1つとして奈良期には壮大な伽藍を誇ったが、平安期には衰退し、興福寺の支配下にはいり、鎌倉期になって真言密教を学んだ
叡尊によって復興された。叡尊は西大寺で50年以上をかけ、西大寺を復興し、現存する多くの文化財はこの時期のものが多く、戒律の復興や貧者や病者などの救済に奔走した。その後も忍性らを輩出し、荒廃した諸国の国分寺の再興に尽力したため、西大寺末寺となった国分寺は十数か国に及ぶと推定されている。戦国期には幾多の戦火に見舞われて、荒廃したが、江戸期に入って幕府から300石の寺領を認められると、再建の途に就くことができるようになり、伽藍が再建された。明治期に入ると真言宗から独立して真言律宗を組織し、その総本山となった。

21/06/27、近隣の薬師寺、唐招提寺、喜光寺の四ヶ寺を蓮で繋いで巡る『ロータスロード』で最後に参拝した。愛染堂裏の西塔跡地の蓮園ではまだ時期が少し早かったようだが、いくつかの開花を見せていただいた。また、愛染堂では国宝・興正菩薩寿像を拝見させていただいた。このお寺は、近くに西大寺の商店街があるにもかかわらず、いつ来ても静かなところがとてもいいお寺だと思う。

花木京
12 六月 2021 11:10

20年ぶりにお参りしました
南都七大寺 真言律宗 西大寺
西大寺と言えば近鉄西大寺駅を想像しますが
大昔は東大寺と共に栄えていたとか
他のお寺より知名度は低いかも知れないが
素晴らしいお寺だと思う

近鉄西大寺駅から徒歩3分程で到着
拝観券は各300円
それぞれのお堂で御朱印を書いていただける

南門からは大きな本堂が正面に見える
近くの人は通り道にされてるようです

このお寺仏像の多さに驚いた さすが総本山です
四王堂の十一面観音は
まるでご本尊のような風格 長谷寺を思い出した
その当時は今の60倍の敷地面積だったそうです

観光客は少なかったのでまったりした時間が過ごせました

色々無愛想だとか書かれてましたが
全然愛想良かったです。

Takashi
10 六月 2021 13:00

東大寺を創建した聖武天皇の娘
称徳天皇が東の東大寺に匹敵する
西の西大寺を創建したとか。
現在でも大きな寺院だと思えるが
当時はその27倍の面積があったとか. ;
KinKi Kidsの剛くんが西大寺内の幼稚園に通っていたとかで植樹もされてました.

真一松井
06 五月 2021 9:27

東大寺とは字面から対になるんでしょうか?近くにある他の目的地(別記)に行く途中で立ち寄りました(駐車場とも後述)。佇まいも対照的で境内は静かです。鹿は居らず。修行僧の方々が居られるのだそう。それもあって意図的にかワビサビなのか、随所で痛みに手を加えられていなかったりする様が見られます。危なかったり趣を損なったりしてる気がするのでもう少し手入れをされた方が良い気はします。重要文化財である大小様々な建物・仏像がたくさん。拝観料を払えば間近で観ることもできます。時節柄、桜が綺麗でした。御朱印5つ戴きました。釈迦如来、大黒天、愛染明王、十一面観音、四天王。拝観料、払えば良かった。。
駐車場は割と広く。300円の先払い。なんですが、近くにあるガトー・ド・ボワ本店なる洋菓子店と駐車場の提携を結んでいるそうで、先にそう申し出ると割引があるようです。領収証は車に置かず持ち歩いて、洋菓子店で提示することをお忘れなく。わかりにくかったです。。

円座厚司
05 三月 2021 19:40

平成29年1月に拝観しました。本堂・四王堂・愛染堂・聚宝館が拝観できました。三つのお堂でそれぞれの御朱印をいただきました。
この日は愛染堂のご本尊の御開帳されていました。
西大寺は称徳天皇が寵愛する道鏡のために建立したと言われています。平安時代に衰退したそうですが、鎌倉時代に叡尊によって復興されました。愛染堂には叡尊坐像が安置され国宝に指定されています。
現在の建物は江戸時代以降に建立されたものだそうです。

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