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かやの木稲荷大明神

住所 奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1 636 0923
サイト www.shigisan.org
カテゴリー 神社
評価 4.2 5 件の口コミ
Kayanokiinaridaimyojin
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かやの木稲荷大明神 件の口コミ

5
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BADBATUMARU
22 六月 2023 11:21

立派なご神木と狐の顔の
手水舎が良い感じの神社です

市村寿男
26 十二月 2022 0:21

物部氏と蘇我氏が政権争いをしていた頃に萌芽した御神木。世の移り変わりを見てきたのだろう、とても大きな榧の木だわ。

亀澤勉
05 三月 2022 4:13

樹令1500年の大木と聖徳太子像
時代を感じました
案内板より️今を去る一千五百年 (西暦四八〇年) の昔、日本の 国は氏族制度で蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るため争っていた時代である。 時にこの地に一粒の種の実から若芽が誕生したのである。それはこの種の木であった。 それから百年後、蘇我馬子は仏教の普及に努力せんとしたが、物部守屋はこれに反対し双方の対立抗争は ついに長く苦しい激戦となった。この時、聖徳太子は守屋討伐のため自ら陣頭に立っ てこの地に進み毘沙門天王を感得され、その御加護で 物部軍を降伏させ日本の仏教の栄える礎を築かれた 以来、樹齢一千五百年の神木椎の木は世の有為転変 を語らんとするや、ひたすら黙して語らず。 以上転写

sakura
08 四月 2021 6:08

ご神木榧の木
樹齢1500年今を去る1500年の昔日本の国は氏族制度で蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るため争っていた時代である。時にこの地に一粒の榧のみから若芽が誕生したのである。それから100年後蘇我馬子は仏教の普及に努力せんとしたが物部守谷はこれに反対し双方の対立抗争はついに長く苦しい激戦となった。この時聖徳太子は森谷討伐のため自ら陣頭に立ってこの地に進み毘沙門天を感得されその後加護で物部軍を降伏させ日本の仏教の栄える礎を築かれたのである

准将 M,K
27 十一月 2019 11:22

戦に向かう途中、ここに立ち寄った
聖徳太子の前に毘沙門天が現れ、
必勝祈願をしたのが
寅の年・寅の月・寅の刻だとか

太平洋戦争開戦時、真珠湾攻撃の際に
淵田美津雄中佐が「トラトラトラ」と
打電しましたが、
この聖徳太子のエピソードが由来に
なっているとの説も有力だそうです

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