玄賓庵
住所 | 奈良県桜井市茅原373 |
電話 | +81 744-42-6447 |
時間 | 10:00-15:00 |
サイト | city.sakurai.lg.jp |
カテゴリー | 仏教寺院, 観光名所 |
評価 | 4.3 8 件の口コミ |
Genpinan | |
最寄りの枝 高円山 石位寺 — 奈良県桜井市忍阪870 |
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玄賓庵 件の口コミ
8 令和4年5月28日第三回万葉ウォーキング「南山の辺の道 (桜井から巻向へ) 」に参加のおり訪問。
謡曲「三輪」で名高く、弘仁年間玄賓僧都の草庵であった寺とのこと。
ウォーキングの疲労の色濃く、腰掛けて先生のお話しを聞くだけで精一杯。お庭などゆっくり見ることはできませんでした。
この寺の管理者に危うく殺されかけました。
一言で言うと、鎌と鋏を拝観者に振りかざす危険人物が管理をしている酷い寺だということです。
もちろん警察を呼び、互いに示談になりました。
その示談中でも相手はへらへら笑って平謝りするだけで誠意の欠片も感じませんでした。
そんなに私の拝観の仕方や存在が目につくと思うのならば、
口頭で注意すれば良いだけの話でしょう?
鎌と木を切る大きな鋏を持って威嚇するのは知的レベルを疑うし、何よりも卑怯だと思います。
ちなみに後程電話をしましたが、奥さんのほうも守りの体制に入っているのかして、拝観者である私のほうが悪いと一方的に責めて来ました。
夫婦揃って攻撃的で排他的な姿勢の寺院だなと思いました。
本来ならば慰謝料も請求したい処ですが、
悪縁を引きずりたくないのと、
貴殿方ご夫婦が私に対して報復する可能性もなきにしもあらずだと思ったので、この度は引き下がりました。
この記事を貴院の管理者である貴殿方ご夫婦がご覧になっているかは私には知る由もありませんが、
貴殿方は今回の一件で確実に警察にマークされるようになったでしょう。
今回の事を以て肝に銘じて心の底から大いに猛省すべきです。
山辺の道南ルートに面しています。
入口にお賽銭箱(?)があり、こちらへ志を納めさせていただいて、お寺に入らせていただきました。
お庭もきれいに手入れされており、休憩する場所もありました。池には金魚が泳いでいて、池の水もきれいでした。
三輪山麓にある真言宗のお寺。桓武帝、嵯峨帝に信任があった玄賓僧都が俗事を嫌って檜原谷に庵を結んで隠棲し、山岳仏教の拠点となった。本尊は、もともと大神神社の神宮寺・大御輪寺が所有していた木造不動明王坐像で、重要文化財に指定されている。檜原神社の近くにある小さなお寺だが、きれいにされている。
大物主大神と天照大神の息吹『玄賓庵』・・
山の辺 (へ) の道沿いにある玄賓庵、この石畳に覆われた参道は、ハイカーの皆さんが立ち止まり、カメラを構えられるスポットの一つです。真言醍醐派玄賓庵三輪山奥の院、玄賓庵は平安時代の興福寺高僧、玄賓僧都 (げんぴんそうず) が暮らしたところであり、この高僧は桓武天皇の病を治したことでも知られます。桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら俗事を嫌い三輪山の麓に隠棲したという、玄賓僧都の庵と伝えられます。世阿弥の作と伝わる謡曲「三輪」の舞台としても有名です。
世阿弥の作、玄賓庵 (げんぴあん) と謡曲「三輪」。
三輪山の谷あいにひとりの僧都が世を捨て庵を結び仏に仕えて暮らしていた。そこに美しい女が仏に供える樒 (しきみ) と閼伽 (あか) 水を持って通ってくるようになった。女は「秋も深まり夜寒になったので僧都の衣をいただきたい」と言うので、乞 (こ) われるままに衣を与え別れの挨拶をする。女の住まいを聞くと「三輪の里山裾近く」と言って姿を消しました。不審に思った僧都があとを追って行くと大木の枝に先ほど与えた衣が掛けてあり、その女は明神の化身であった。明神はここで姿をあらわし「神も人も同じように迷いがある僧都に接して仏道に縁を結ぶことができた」と語り三輪山の故事などを告げて消えました。
以上、桓武天皇の信任が厚かったが大僧都の位を授けられるのを拒み、三輪山に遁世した玄賓僧都をモデルとして謡曲「三輪」は展開していきます。その筋書きでは、玄賓がここで三輪明神の化身である女性と知り合い、三輪の故事神徳を聞かされました。この話は、今から千数百年前、平安時代初期、高徳僧で名医でも有った玄賓僧都が隠棲したと伝える庵。もと三輪山の檜原谷にあったが、明治の神仏分離で現在地に移されました。
【思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。今更何と磐座や。。】
また、この玄賓庵では護摩壇が儲けられ、護摩から立ち上る炎と煙により、煩悩が焼き尽くされるといわれます。護摩壇の奥には不動明王の姿が見えます。燃え上がる炎は「天の口」であるとも言われます。それは仏の智慧の象徴であり、そこから供物を食すそうです。奉納された護摩木は供え物として焼かれ、煙が天に届くことで天は食を頂くことになり、代わりに人に福や幸を与えてくれるそうです。
玄賓庵
ここは玄賓僧都が隠棲していた庵で、ここには重要文化財の木像不動明王座像が伝わっています。謡曲で有名な「三輪」は玄質と三輪明神の物語を題材にしたものです。玄寶は弘仁九年 (818年) になくなりました
いつもは大神神社に登拝させていただくのだけれど最近はめっきり足腰が弱くなり今日は 桧原神社向かうことに。狭井神社の横から山辺道を通って檜原神社へ 、、向かう途中に真言宗の玄賓庵というお寺に。ひっそりとした 門構えに反し境内は綺麗に整えられていた。 是非一度足を運んでみて。
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隠れた山里のお寺です。
既に亡くなられましたが、ご住職様のお母様が堂守としておられ、参拝者に優しく接しておられたのを懐かしく思い出します。
よく手入れが行き届いた、落ち着いた雰囲気のお寺です。