JAPANRW.COM

龍田神社

住所 奈良県生駒郡斑鳩町龍田1丁目5−3
電話 +81 745-75-3163
時間 00:00-24:00
カテゴリー 神社, 観光名所
評価 4.8 8 件の口コミ
Tatsuta Jinja
近くの同様の会社
春日神社 — 奈良県生駒郡平群町平等寺241
舟戸神社/西安寺跡 — 奈良県北葛城郡王寺町舟戸2丁目4189
平群坐紀氏神社 — 奈良県生駒郡平群町上庄5丁目1−1
猪上神社 — 奈良県生駒郡平群町信貴畑字信貴山2260

龍田神社 件の口コミ

8
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
Koji
14 一月 2022 23:04

法隆寺より徒歩15分。御神木も紅葉する木々も本当に手入れがしっかりされていて、いつまでもいたくなるような空間です。本殿は流造のこの色合いは、雰囲気でないですが、境内全体からは映えて見えます。御朱印にも快く応じていただき、参拝者を労っていただくお言葉にほっこりしました。またぜひ伺いたいです。手水社に鳥が!?タツタ!?もぜひチェック。脚の悪い方は、正面左に車の入り口があるのでこちらから。下は砂土なので、車椅子はちょっと前輪が厄介です

Yasuhiro
12 一月 2021 12:21

神名帳の大和國平群郡の項に「龍田比古龍田比女神社 二座」と記載のある式内社。
法隆寺から直線距離で1,100m南西(裏鬼門)の位置に鎮座。

現在の御祭神は天御柱神・国御柱神の荒魂、配祀神として龍田比古大神と龍田比女大神を祀っている。

創建は、聖徳太子が法隆寺を建立する際、鬼門除けとして当社を創建、竜田大明神を遷し祀ったとある。
つまり、当社は聖徳太子が法隆寺建立の際に、三郷町立野の龍田大社より竜田大明神を勧請したものという。

龍田大社の御祭神は天御柱命と国御柱命となっているので(一説には風神である級長津彦命と級長戸邊命)、当社の主祭神が天御柱神と国御柱神の荒魂となっているのはそういう由緒に基づくものだろう。このような由緒から、立野の龍田大社を龍田本宮、当社を龍田新宮とも呼んでいるようだ。

しかし、神名帳の社名からすると当初の御祭神二座は右社殿にお祀りされている龍田比古大神と龍田比女大神の二柱であろう。

そもそも、法隆寺建立の頃、神仏習合の思想はなかった。神を仏法の守護としていく考えは、宇佐の八幡神が東大寺建立に協力するという話の後、実際は福岡県の香春岳から採掘される銅が大量に奈良の大仏建立のために供給されたことを示すのだが、いずれにしても、法隆寺建立の頃にはそのような思想はなかっただろう。

おそらく龍田比古大神、龍田比女大神の二柱は記紀にも現れない神で、当地の地主神。当社の創祀は法隆寺建立よりももっと前だったに違いない。

神功皇后が三韓征伐に向かわれる際、鶏の声を聞いて出立する予定が、鶏が鳴くのが早すぎ、出立が早すぎた。そのため峠を登っても夜が明けなかった。そのため、その峠の名前は暗峠(くらがりとうげ)と呼ばれるようになった。その鶏は役立たずということで、生駒川に捨てられ、かわいそうに思った下流の龍田川の龍田神社の神に拾われたという。

kazuyoshi
23 十月 2020 11:37

【龍田神社】(たつたじんじゃ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある神社である。式内社で、旧社格は県社。崇神天皇の時代に創立され、法隆寺の鎮守とされていた。伝承によれば、聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。

私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。

延喜式神名帳にもこの名前で記載され、小社に列している。しかし、後に龍田大社より天御柱命・國御柱命の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れられてしまった。現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀している。

住所:奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6

アクセス:JR大和路線・近鉄生駒線王寺駅より奈良交通バスで8分、「龍田神社前」下車、徒歩すぐ。

橋本公裕
23 六月 2020 20:28

2020 4 26

本日、龍田神社にて参拝させて頂きました。初めての参拝です。

龍田神社の拝殿の前に大きな楠の木があります。楠の木は、祭られております



龍田神社の社伝では、聖徳太子が法隆寺の寺地を探し求めていた際、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国平群郡に「龍田比古龍田比女神社二社(二座)」と記載され、式内社に列している。

明治維新後、神仏分離によって法隆寺から分離し、境内にあった寺院関連建物は全て破却された[2]。明治4年(1871年)には三郷町立野の龍田神社(現在の龍田大社)の摂社となった。大正11年(1922年)3月に龍田大社から独立し、近代社格制度において県社に列している。

川口公一
23 五月 2020 20:13

法隆寺から西に1キロほどの所にある神社。法隆寺の建立地を探していた聖徳太子が龍田明神の化身と出会い、法隆寺を建立し、この地に龍田大社から勧請し、鎮守社として龍田神社を創建した歴史のあるお寺。境内には能楽の金剛流の発祥の地という碑があります。

林浩樹
16 五月 2020 15:19

法隆寺の帰り掛けに少し歩いて龍田神社を参拝してきました。御朱印の対応が素敵で、親切な奥様がフレンドリーな雰囲気を醸し出しましたた。境内にはソテツの巨樹があり、見応えもあります。手水舎が、鶏タイプは初めてかも知れないです。

幸子中江
02 四月 2020 14:48

毎年、10月は竜田神社の側からお祭りが始まります。
今は東西南北も同じ月にお祭りがありますが最初はこの神社でお祭りがありました。
私は昨日、福引きしに行き頂いたのがお菓子ですがそれでも良かったですよ(^^)

keiichi
10 十二月 2019 2:41

梅原猛によると、竜田神社と近くにある広瀬神社は天武天皇により確立されたミソギとハライによってケガレを祓う儀式、つまり大祓の行事が国家の儀式として行われた最初の場所だとしている。儀式を行ったのは天武天皇の寵臣であった中臣大嶋としている。そのために竜田神社に天の神である天御柱神、国御柱神が祀られ、天の神に深く関わる雷と風の神が祀られている。神は天から雷となって高い木、つまり柱に落ちてこの地にやってくる。天と地を結ぶ天の柱を祀っている。大和川の多くの川が出会う河合にある広瀬神社は五穀豊穣を祀る神であるワカウカノメを祀っている。ここでお祓いをすることにより天皇に仕える人々のケガレが川に流れ、海に流されてそこに棲む神々に流されたケガレが消される、としている。そして、この地の天の神と豊穣の神の形態が、後の持統天皇により祀られた伊勢神宮の神の祭りの形態に引き継がれたとしている。なお、竜田神社の天の柱は男神であるが、伊勢神宮は女の神である天照の神に変更されている。外宮に祀られている豊穣の神はワカウカノメで同じ。ここに古事記の秘密があると梅原猛は指摘している。

レビューを追加