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鳥屋ミサンザイ古墳(宣化天皇身狭桃花鳥坂上陵)

住所 奈良県橿原市鳥屋町33−2
電話 +81 744-47-1315
時間 00:00-24:00
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 4.4 7 件の口コミ
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鳥屋ミサンザイ古墳(宣化天皇身狭桃花鳥坂上陵) 件の口コミ

7
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おやきさん
20 七月 2023 18:45

とかく皇位継承に問題があったとされる継体天皇の次男にあたり、先代の安閑天皇の同母弟にあたる宣化天皇陵とされる。父である継体天皇が思いもよらず皇位を継いだ為、越前に居た兄である安閑天皇が呼び出されたが高齢の為、直ぐ崩御し、次いで宣化天皇も越前から呼び出され即位したと言う慌ただしさである。しかし宣化天皇も高齢での即位であったので、直ぐ崩御したと言う。記紀の記載も安閑、宣化両天皇に関しては非常に簡素な扱いの為、次代の欽明天皇と、安閑、宣化、両天皇との間で、二朝並立の次代があったのでは?ともされる。実際、安閑、宣化天皇にの子息は皇位を継げていない。恐らく欽明天皇をバックアップした蘇我氏によって排除されたのてあろう。常識では考えられない継体天皇の即位は朝廷そのものも自体が混乱していたと思われる。そのような宣化天皇であったので御陵もまともに製造されたのかも不明であろうと思われる。

明子山本
05 十一月 2020 19:28

新沢古墳群に行く道にあります。池は鳥屋池。古墳と一体化して 美しいです。畝傍山を 綺麗に臨めます。

Satoshi
03 十月 2020 1:17

被葬者:第28代・宣化天皇/皇后橘仲皇女

実際の被葬者は明らかにされていませんが、第28代・宣化天皇と、皇后である橘仲皇女の陵と伝えられています。

築造は6世紀前半頃と伝えられています。

拝:2020/07/19

ポンコツ浩ちゃん
05 九月 2020 12:02

宣化天皇の御陵に来てまづ感じられたのは真正面に畝傍山があり、静かな落ち着いた場所だった。周濠は奥がデカクて恐らく後世に農業用に拡張されたものだろう。垂仁天皇陵と同様水面が広いと美しい。
宣化天皇は継体天皇と欽明天皇の間の複雑な政権闘争があった時代とされていて確証は得られてはないのだが・・・

Noriyasu
01 十一月 2019 12:08

「畝傍の道」 巻一の三の二 橿原市鳥屋町33-2

高松寺を経由されても、戸毛久米線から直接お立ち寄りになられてもわかりやすい位置に鎮座されます。それぞれ案内板か常用のえんじ色の道標が誘導し、目の前にすぐい広がります。

高松寺を経由されると、あぜ道のような草むらの小径を池沿いに歩みをとることができるので撮影に興味のある方にはお薦めです。村出身の戦役者の碑や一風変わった石道標があります。

次は陵の東縁に沿いながら地の小径を辿って「桝山古墳」へと向かいます。途中、春日神社や弘誓寺を経由してゆくことになります。

masaru
10 十月 2019 21:35

69歳のおじいちゃんの時に天皇になった、第28代 宣化天皇の陵。おじいちゃんだったので、3年くらいしか在位期間がないらしい。

タイム母艦
15 三月 2019 11:16

鳥屋ミサンザイ古墳(宣化天皇陵)

(とりやみさんざいこふん せんかてんのうりょう)

鳥屋ミサンザイ古墳(とりやみさんざいこふん)は橿原市鳥屋町に所在する、墳丘長138mの前方後円墳です。前方部を北東に向けており、県道戸毛・久米線から南にその姿を望むことができます。周囲に幅約10~25mの盾形周濠が巡っています。これまでに外堤の護岸工事にともなう調査などで円筒埴輪や須恵器が出土しています。それらの遺物から6世紀前半に築造されたと考えられます。

鳥屋ミサンザイ古墳は、宣化(せんか)天皇の身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)とされています。宣化天皇は第28代天皇で、継体(けいたい)天皇の第二皇子です。名は武小広国押盾天皇(たけおひろくにおしたてのすめらみこと)といい、新羅が任那と百済を攻撃した時には大伴狭手彦(おおとものさでいでひこ)を派遣して防衛にあたらせた、と『日本書紀』に記されています。

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