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氷室神社

住所 奈良県奈良市春日野町1-4
電話 +81 742-23-7297
時間 06:00-18:00
サイト www.himurojinja.jp
カテゴリー 神社
評価 4.4 16 件の口コミ
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氷室神社 件の口コミ

16
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
宅見肇
08 三月 2022 11:16

ここは奈良の氷室神社です。神戸、京都、天理にも同名の神社が有ります。氷の聖地、水を保管する為に神様が祀られており、製氷販売業、冷蔵冷凍業の守護神の案内が有ります。参拝者に聞くと、何のお願いでもOKですよと言う、早速お願いしました

入口の門には氷柱、手水舎で清めた後は参道に戻り、四脚門へ。ここをくぐると拝門が見えます。ここで手を合わせ、お願いをします。
ここでも氷の干支や、おみくじ用の氷が見えます。最近は水や氷で文字が浮かび上がるおみくじが多いですね。

和銅3年 (710) 創建の古社ですが、現在の本殿は文久3年 (1863) の説明板、東大寺、春日神社への道側故にちょっと寄ってこの参拝客も多いですよ!

ありがっ様・Meaning
19 二月 2022 12:30

東大寺へお詣りの際、寄らせて頂きました。
早朝の為、お詣りのみでしたが、氷室の御名前の通り、氷に御縁深いとのことで、氷みくじもあります。
日清戦争で鹵獲した当時東洋一の戦艦鎮遠の砲弾は必見です。
奈良公園は自家用車は止め難いところですが、こちらの駐車場は穴場です。感謝。

林浩樹
21 十二月 2021 14:53

奈良国立博物館、奈良公園から程好いロケーションに鎮座されてます。最近では奈良のかき氷が全国的に評判となってますが、氷室神社は氷室と名乗るだけあって かつては宮廷で使用する氷を収納する蔵が置かれていたそうです。境内には宮廷をイマージュさせる雅楽が流れています。

まるふくかんたろう
27 十一月 2021 21:05

奈良公園から東大寺に向かう道筋に鎮座する。
ご祭神は中央が闘鶏稲置大山主命、左が大鷦鷯命(仁徳天皇)、右が額田大中彦命(応神天皇皇子)。
和銅3年(710)元明天皇の勅命により春日山に氷神を奉祀し、厳寒に結氷させた氷を氷室に蓄えて翌和銅4年に初めて献氷の勅祭を興され、以降毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷が献上された。奈良朝七代七十余年続いたが、平安遷都後は廃止されたが、貞観2年(860)に清和天皇の御世に現在の地に奉遷され左右二神を併せて三座となった由。
近鉄奈良駅近くの宿舎から歩き、8時台だったが先に二組がお参りをされていた。参道の木々の間に結構な数の鹿さんが入り込んでおり予期せぬことで最初はドッキリしたが、神門をくぐると想像以上に立派な拝殿、本殿で今度はビックリ。車が激しく行き交う通りの賑わいから一転して閑静な趣ある佇まいですごく良い感じだ。
「かき氷」のお供えもあるようだったがご朱印だけを頂戴しに授与所に行った妻を待っていると浮かぬ顔で戻って来た。
初穂料が600円だったと言う。思い出して「火打石でお祓いをしてもらわなかったか?」と聞くと「あっ、そうだった。お祓いしてもらったわ」という。「じゃあその分も入ってるんだろ」というと「あっ、それでかぁ。納得」・・・単純な奴。

由美子西田
17 十月 2021 5:03

何となく気になったので立ち寄ってみました。東大寺のすぐそばにあります。
社殿の造りや境内の雰囲気からかなり歴史の古そうな印象を受けました。事実、710年が創建だそうです。
社務所で削ったかき氷を神前に奉納し、そのお下がりをシロップをかけて頂くことができます。シンプルなかき氷ですが、奈良の夏は暑く、涼を取るのに最適でした。神様のお下がりなので、御利益もありそうです。
御朱印は紙に書かれたものを頂くのではなく、神職が、御朱印帳に直に書いて、火打ち石でカチカチして、清めてくださいました。
こぢんまりした神社で、長い時間散策する感じではないですが、居心地の良い神社でした。

御船久人
17 十月 2021 0:13

氷室があったとは思えない賑やかな場所にご鎮座。製氷の神様にされているようでおめでたい。業者の方、大和高原の氷室神社もよろしく。
この神社のお気に入りは春の桜でしたが、残念ながら枝が切り落とされていました。

中島友孝
11 十月 2021 14:43

前から行きたいと思っていて行って見ました。
お勧めは「かき氷参拝」です。
まずはかき氷をもらうんですが、このかき氷がなかなかの高さで、途中で倒しそうでヤバしです。
参拝する時は、300円以上のお賽銭で。
参拝後かき氷はお下がりとして食べます。
なんだかのんびりします。
ただ、混んでると、確実にかき氷が溶けます。

梅本将実
15 九月 2021 14:49

昨日、神戸の氷室神社に行ったので、今日、奈良県に仕事に行く用事があったので、奈良の氷室神社に行ってみました。全くイメージが違います。奈良公園のそばにあるので、氷室あるのかなと期待しましたが、境内にはないようです。

Satoshi
21 八月 2021 13:50

御祭神:闘鶏稲置大山主命/大鷦鷯命/額田大仲彦命

創建は和銅3年(710)と伝えられています。
第43代・元明天皇の勅命により、吉城川上流の月日磐に氷神を奉祀し、厳寒に結氷させたものを氷室に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が始まりました。

奈良朝7代、この制度は継続しましたが平安遷都後は廃止され、貞観2年(860)、第56代・清和天皇の御代となり現在の地に奉遷され、左右二神を併せ三座となり、社殿が建立されたのは建保5年(1217)です。

拝:2021/07/16

non
13 八月 2021 17:20

奈良 氷室神社ある砲弾です。
元 清国海軍軍艦「鎮遠」(日清戦争後日本海軍)の後装式30.5cm砲クルップ砲(20口径連装砲2基搭載)の砲弾です。
なお、鎮遠の砲弾は、横須賀市の三笠公園にも展示されています。

以下 鎮遠の解説
概要
「鎮遠」は、清国(中国)が海軍増強のため、1881年(光緒7年)に ドイツ・シュテッティン(現・ポーランド領シュチェチン)のフルカン・シュテッティンで起工し、1882年(光緒8年)11月28日 - 進水。1885年(光緒11年)に 竣工しました。
常備排水量 7,220英トン・全長 91.0m・最大幅 18.3m
出力 6,200hp・速力 14.5ノット・航続距離 4,500カイリ / 10ノット・乗員 407名
主砲は20口径30.5cm連装砲フード付き露砲塔2基、ドイツのクルップ砲(後装砲)を搭載し、当時、姉妹艦の「定遠」と共に東洋一の戦艦であり、「東洋一の堅艦」と呼ばれ清国北洋艦隊に属しました。

清国の当時の背景
清国は海軍の近代化増強に努めましたが、当時の清の権力者西太后(映画ラストエンペラーの初めに登場)は最新の戦艦「定遠」「鎮遠」があるので軍事力の近代化はこれ以上必要ないとの認識により、自己の満足のため1885年から始めた頤和園の再建と拡張に伴う莫大な浪費を行い(日清戦争の総費用の約3倍にも上る)また、その予算すら不足したために北洋艦隊の予算を大幅に削りました。加えて海軍衙門の予算も内務府へ数百万両ほど流用させました。そして西太后の大寿(60歳)を祝う祭典で多額の出費(日清戦争の総費用の2倍以上)をさせました。
以上のような理由により、北洋艦隊・海軍衙門の予算不足により艦船は整備されたものの操練が遅れ艦船や設備の更新が行われませんでした。

日本海軍の措置
「定遠」「鎮遠」は最新式の後装砲クルップ式30.5cm砲クルップを4門採用しており、これは東洋最大級の艦砲でした。日本海軍はこの清国戦艦2隻に対抗するため、フランスから招聘した造船技官エミール・ベルタンの設計により、清国艦隊の主力艦を撃破可能なカネー社の「32cm(38口径)砲」を搭載した松島型防護巡洋艦3艦(三景艦(さんけいかん)を建造しました。ただし、各艦、主砲は1門で、射撃を行うと艦が傾くそうでした。(日清戦争では主砲はほぼ射撃を行っていない。)

戦闘
鎮遠は、日清戦争において1894年(光緒30年・明治27年)
9月17日 - 黄海海戦で日本艦隊と砲戦を行い、日本の旗艦「松島」に直撃弾を与えましたが、多数の被弾により大火災の損害を受けました。しかし、日本海軍の砲弾は厚い甲鉄を貫通できず、清国海軍の軍港、威海衛までたどりつきましたが12月24日 - 威海衛沖で座礁しました。
1895年(明治28年)2月17日- 威海衛で日本軍が鹵獲し、3月16日 、 日本海軍に編入されました。
1904年(明治37年) - 日露戦争時には、かつてのライバル艦であった松島型防護巡洋艦3艦(三景艦(さんけいかん)と共に4隻で第三艦隊第五戦隊を編成しました。そして黄海海戦、旅順攻略戦、日本海海戦に参加しました。
1911年(明治44年)4月1日 - 除籍され、11月24日 - 装甲巡洋艦「鞍馬」の実験艦として破壊されました。
1912年(明治45年)4月6日 - 売却。横浜にて解体されました。

要目(日本海軍時)
常備排水量 7,220英トン[1]
全長 91.0m
最大幅 18.3m
ボイラー 石炭専焼缶8基
主機 レシプロ蒸気機関2基
推進 2軸
出力 6,200hp
速力 14.5ノット
航続距離 4,500カイリ / 10ノット
乗員 407名
兵装 30.5cm20口径連装砲 2基4門
15.2cm40口径単装砲 4基4門
6ポンド速射砲 2基2門
3ポンド速射砲 8基8門
35.6cm水中魚雷発射管単装3基
装甲 舷側: 14in (355.6mm) -10in (254mm)
甲板: 3in (76.2mm)
砲塔: 12in (304.8mm) -2in (50.8mm)
司令塔: 8in (203.2mm)
砲塔 22mm
バーベット 305mm
搭載艇 清国海軍時: 4等水雷艇(後の水雷艇26号型)2隻
その他 信号符字:GQHF(1895年〜)

参考・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

tatsumi
27 七月 2021 17:11

氷の神様。氷みくじという氷につけると文字が浮かんでくるというものがありました。
これからの時期沢山参拝者が来ると言うことでした。
宮司さんが気さくな人で話しやすい雰囲気な方でした (^. ^)

carpenter
22 七月 2021 0:53

東大寺に行く途中で立ち寄りました。
境内の綺麗な蓮池を見ていると牛蛙がモーモー鳴いていました。

【以下説明】

氷室神社(ひむろじんじゃ)は、奈良県奈良市にある神社。式内小社(論社)、旧社格は村社、神饌幣帛料供進社。
由緒は「氷室神社縁起」絵巻に記されており、また『続日本紀』や『元要記』にも散見される。和銅3年(710年)、元明天皇の勅命により、吉城川上流の月日磐に氷神を奉祀し(下津岩根社)、厳寒に結氷させたものを氷室に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が創始された。翌和銅4年(711年)6月1日に初めて献氷の勅祭が興され、以降毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を納めた。

奈良朝7代、70年余りの間はこの制度は継続したが、平安遷都後は廃止され、貞観2年(860年)、清和天皇の時期になって、現在の地に奉遷され、左右2神を併せ三座となった。社殿が建立されたのは建保5年(1217年)とされている。
以来、春日大社の別宮に属し、式年費用や営繕費、祭礼費などは春日社、興福寺の朱印高2万石、および社頭所禄、三方楽所料2千石などの一部によって行われたが、明治以降はこの制度も廃止され、氏子と冷凍氷業界の奉賛により維持される形になっている。

市村寿男
07 七月 2021 2:55

710年、元明天皇の勅命で吉城川上流の月日磐に氷神を祀ったのが当社の始まりで、厳寒期に結氷させた氷を氷室に蓄え、平城京に献上させる制度が始まった。この制度は平安遷都まで続き、860年、現在の地に移り、左右二神を併せて三座を祀ることになった。1217年、社殿が建てられ、春日大社の別宮の地位で推移したのち、明治以降、氏子と冷凍氷業界の奉賛で維持されている。式内小社で旧村社。
17/08/12に参拝して以来、ご無沙汰しており、枝垂れ桜の頃にお詣りしたいなぁ。
21/03/18、高円山 (奈良大文字) に登るため、そばを通ったら、垂れ桜が満開だった。とても美しい。

石原了文
18 六月 2021 12:54

奈良国立博物館の前に鎮座されている神社です。
御祭神は氷の貯蔵法と効用を教えられた神様とされ、製氷業の方からの崇敬があるそうです。
こちらではちょっと珍しい、氷の上に貼り付けて占う、氷みくじがあります。
また、南都楽所が置かれていた歴史にちなみ、拝殿の前には100円を納めると雅楽が奏上される機械も据えられています。
神職さんもご親切な方でした。

Toshiyuki
10 六月 2021 3:58

広さはそれほど広くないですし、人も少なめ。
御朱印もいただけますが、火打ち石?で、
お祓いしていただけます。
氷につける御神籤もできますし、
奈良公園の寺社巡りのときにはオススメします。

関根隆司
29 五月 2021 12:08

拝殿と舞台のところで、神社の方と子供たちが、何かの練習を楽しそうにやっていました。細かいことを言えば、参拝者に対する配慮が足らないとなりますが、楽しそうに取り組む子供たちを見て、とても癒されました。

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