法隆寺聖霊院
住所 | 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 |
電話 | +81 745-75-2555 |
時間 | 08:00-17:00 |
サイト | www.horyuji.or.jp |
カテゴリー | 仏教寺院 |
評価 | 4.4 7 件の口コミ |
Hōryū-ji Hall of Prince Shōtoku's Soul | |
最寄りの枝 |
|
近くの同様の会社 吉田寺 — 奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1丁目1−23 法隆寺東院夢殿 — 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 極楽寺 — 奈良県生駒郡安堵町東安堵1453 法隆寺伝法堂 / 法隆寺東院伝法堂 — 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 |
法隆寺聖霊院 件の口コミ
7 法隆寺の聖霊院は保安2年 (1121) に東室の南側を聖徳太子の五百年忌にあわせて改修したそうです。現在の建物は弘安7年 (1285) にさらに改修されたものだそうで国宝に指定されています。 御本尊は聖徳太子坐像で、太子像を中心に左右に山背大兄王、殖栗王、卒末呂王、恵慈法師像を配しているそうです。こちらも国宝に指定されていますが、秘仏のため普段は拝観できません。毎年3/22~3/24に開扉されるそうです。一度奈良国立博物館の法隆寺展で拝観した事があります。
法隆寺の御朱印はこちらです。
法隆寺の拝観料1500円は高いと思いましたが、法隆寺西院伽藍大宝蔵院東院伽藍の4施設を結構な距離を歩き見所があります。
というか、日本最初の世界文化遺産であることを、お忘れなく。
聖霊院に人が集っていた️
中に入ってお参りできるからかなぁ~
西院伽藍の東隣、鏡池の目の前にあるのが聖霊院(しょうりょういん)です。法隆寺を創建した聖徳太子を称えて、太子像が祀られています。聖徳太子の命日を含む3日間は拝観が可能なので、歴史ファンはスケジュール調整の価値ありです。また、正岡子規が柿を食べたとされている茶屋は、聖霊院の前にあったそう。〔国宝〕
This beautiful hall enshrines a statue of Prince Shōtoku. He is the Prince who is credited as being the founder of Buddhism in Japan. He established Hōryū-ji by having a temple and statue of Buddha built to honor the dying wish of his father, Emperor Yōmei.
法隆寺の創建で弘法大師空海と並ぶ日本仏教界最大のスーパースター、聖徳太子(厩戸王)を祀る堂で、法隆寺西院伽藍の東にある。本尊は平安時代の作の聖徳太子及び眷属像、太子の本地仏である如意輪観音菩薩の半跏像、地蔵菩薩立像も安置されて秘仏だが、太子の命日の旧暦2月22日の前後(近代以降は3月22-24日)の「お会式」に際して開帳される。
如意輪観音半跏像が聖徳太子の「本地仏」とはつまり、太子は如意輪観音の生まれ変わりとして信仰されていると言うこと。夢殿の本尊は救世観音でこれも太子を観音菩薩の生まれ変わりとみなす信仰を示しているが、平安時代に真言宗により本地垂迹説(日本のカミガミは仏が日本向けに姿を変えて現れた、とみなす理論)の普及で、「太子=如意輪観音」が定着したらしい。
たとえば法隆寺の隣の中宮寺の本尊である飛鳥時代(おそらく厩戸王の没後まもなくの造像)の菩薩半跏思惟像は形からすると弥勒菩薩と思われるが、如意輪観音として信仰されている。
なお片足をもう一方の膝の上に載せた半跏ポーズの菩薩像は飛鳥時代に朝鮮三国時代の流行が日本に取り入れられて多くが輸入されたり(代表例が京都・太秦の広隆寺弥勒菩薩半跏像)、国内でも多くが作られた後、奈良〜平安時代にいったんほとんど作られなくなったが、中世に入り聖徳太子信仰と結びつき、飛鳥時代の像を写す格好で再び、今度は如意輪観音として作られるようになっている。この聖霊院の如意輪観音半跏像もそうした例に当たる。
聖霊院は平安末期から鎌倉時代にかけて法隆寺の再興整備が行われた際に、元々は僧坊であった建物の南端を改造したもの。伽藍を挟んで反対側の西室も同様に改造されて、瓜二つの作りの「三経堂」になっている。
瓦葺き・切妻造りの南端に檜皮引きの軒と向拝が付加され、寝殿造風の板張り・畳敷きの堂がしつらえられていて、その屋根の連結部分がとても興味深い。背後に伸びる東室は後代に継続的に修理改修されているものの基本的に奈良時代の僧坊のまま。その東に並行して立つ長屋状の建物は妻室と呼ばれ平安時代の建築。
ちなみに聖霊院、東室、妻室、本尊はいずれも国宝で、如意輪観音像と地蔵菩薩像は重要文化財。